第33話 絶望的な状況1

「サーラ、これちょっと不味くない?」

「そうですね。かなり危険な状況かもしれません」


 地下八階で魔物の奇襲を受けて以降、あれだけいた火王国とギルドの精鋭部隊は、今や五十人にも満たない少人数となっていた。


「はぐれた人達は生きてると思う?」

「……あの状況なら逃げ延びた人達はいると思います。でも、あの魔獣の群れを見て進もうと思った人達は、ひょっとしたらいないかもしれません」

「そうよね。つもりこの人数でこのヤバイダンジョンを攻略しないといけないわけよね」


 分断され戦力を半減されても尚、火王国の精鋭達はダンジョンを降りることをやめず、ティナとサーラもそんな決死隊の最後尾を駆けっていた。


「ここで引かないとか、師匠にお仕置きされそうだわ」

「私もです。でも……」

「分かってる。このチャンスは逃したくないのよね」


 聖王国を出た以上、幼馴染みとの時間はもっとあると思っていた。だが聖暗部のエースとの邂逅により、そんな時間は妄想に過ぎなかったのだと二人は理解したのだ。


「今も護衛かんしされてると思う?」

「どうでしょうか。もしいるのなら、先ほど出てきてもいいと思うのですが」

「止められる可能性があったから撒いたけど、やっぱついて来てもらえば良かったわね」 

「本当に撒けるとは思わなかったですしね」


 王宮の結界を使ってメンバーの殆どが空間魔術を使用できると言われる聖暗部の護衛かんしを撒いた二人ではあったが、その実本当に成功するとは思っていなかった。


「アリアさん、噂ほどじゃないのかしら?」

「案外別のことに気を取られていたのかもしれませんよ」


 二人の脳裏に他人に触らせたことのない場所を弄り回された、忌々しい記憶が蘇る。


「ありえるわ。にしても……」


 集団の先頭の方で戦闘が始まった。襲いかかってきた魔獣を火王国の精鋭部隊が迅速に倒していくがーー


「やっぱ負傷者が出るわね」

「はい。この魔獣、数が多い割には一体一体の力がかなり強いです」

「八階で出てきたのと同じ数に囲まれたら脱出できると思う?」

「……難しいかもしれません」


 数で負け、個としての実力でも大差なし。優れた師を持つ二人は言葉にこそせずとも既に大局が見えていた。


「アンタはここで帰ってもいいわよ。たとえ無理やり連れ帰られたとしてもアンタなら大丈夫でしょ。お妃様、似合いそうだし」

「私こう見えても一途なんですよ。そんなことになったら世を儚むかもしれません」

「呪うの間違いでしょ。……気持ちはわかるけど。あ~あ、光栄な話なんだけどな。ねぇやっぱ私達ってちょっとおかしいのかな?」

「恋は人を狂わせるんですよ。そもそも狂ってなければあのタイミングで国を出たりしません。私、聖王国大好きですし」

「そんなの私も一緒よ。アンタと違って普通に王族の方々を崇拝してるしね」

「いえ、私も心からの忠誠を誓っていますよ? 王子の婚約者に選ばれたのは本当に光栄なことだと思ってます。でも……」

「そのでもが厄介なのよね」

「はい。それよりもティナ」

「分かってるわ。来てるわね」


 殿を務めている二人が振り返れば、そこには獲物を前に涎を零す三匹の魔獣が居た。


「ほんと、多過ぎでしょ。これで今までよく発覚してこなかったわね」

「ティナ、ここは私が」

「大丈夫なの? 私に影をつけたから余力ないんじゃ」

「ですから今の状態でどれくらいやれるか試しておきたいんです。……このダンジョンにいる二つ名付きの魔族を倒して、三人で国に帰るために」

「アンタの諦めの悪いところ、好きよ」


 微笑を交わし合う二人に魔獣達が飛びかかろうとして、しかし何らかの異変を察知したのか、いったん攻撃を取りやめた。


「獣の見かけのわりには勘が鋭いんですね。いえ、獣だから鋭いのでしょうか?」


 首を傾げるサーラの足元、そこにある影が増える。一つ、二つ、三つ。増えた影はゲートとなって黒い猫を召喚した。


 ニャー。ニャー。ニャー。


 可愛らしい鳴き声を上げる黒猫それらは特に大きいわけでも、異形の体を持っているわけでもない。だが魔獣達はただの猫が放つ餌をねだるかのようなその声に、一歩、二歩と後退した。


「個体差でしょうか? 本当に勘がいいですね。まぁ、どちらにしろ死んでもらうことになるのですが」


 腰まで真っ直ぐに伸びた黒髪が自身の殺気に揺れる。あらか様な敵意を前に魔獣達が獰猛さを取り戻した。


 ニャー。ニャー。ニャー。


 場違いなその声は最早魔獣達を止めるには至らない。三匹の魔獣の内、一匹が猫達に、もう二匹がサーラとティナへ同時に襲い掛かった。


 聖王国最強の魔術師に師事する少女の体から魔力が迸る。


「聖暗術式・術殺『首折り』」


 ゴキッ。


「ギャ」


 ゴキッ。


「ギュッ」


 ゴキッ。


「ギャ」


 耳障りな音と悲鳴を上げて、猫の首が二百七十度回転する。同時にーー


「「「キャン!?」」」


 魔獣達の首も同じ分だけ回転した。跳躍こうげきの最中、突然司令塔たる頭部に起こったその不具合に、獣達の体は攻撃の体をなすことなく無様に地面を転がった。


「ちゃんと通じたようで良かったです」


 ホッと息を吐くサーラの影が、出番が無かったことに不満を持つかのように揺らめいた。


「アンタの魔術って何度見てもおっかないわね」


 剣を抜いたティナが地上で行う水泳の練習のようにもがいている魔獣達にトドメを刺していく。


「そう言われるのは悲しいですね。あの猫は猫の形をしているだけで、猫じゃないんですよ?」

「いや、そもそも猫の形にする必要がなくない?」

「この魔術は同調や共感を利用しますから。無機物ではそもそも対象外ですし、誰だって醜いものに自分を重ねようとはしないでしょ」


 いつの間にか猫の首が元の形に戻っていた。サーラは甘えるように術者の足元に擦り寄ってくる猫を一匹抱き抱えた。


「ニャー」


 と主人が鳴いてみせれば、ねこもニャーと返した。どこか山彦を思わすその声に、サーラは満足げな笑みを浮かべた。


「その点、小さくて可愛らしい物には皆が心を開いてくれて、とても便利です」

「でも共感魔術の応用である今の魔術が何で魔獣に通じるわけ?」

「獣の方が案外この手の感性が強い場合があるんですよ。ただこの魔獣達……」


 微かな違和感を見極めようとするかのように、サーラの柳眉が寄る。


「何よ。どうかした?」

「いえ、今の私達には気にしてもどうにもならないことですから」

「……そう、なら切り替えましょう」

「はい。あら?」


 二人が魔獣を静かに手早く片付けたことで、先を急ぐ先頭集団は後方の異常に気付くことなく進んでいた。そんな中、二人の傭兵だけが少女二人の戦いを観察していたのだった。


 胸当てと手甲という最低限の防具で身を固めた、弓を背負った茶髪の女が一歩前へと出る。


「さすが、噂に名高い剣聖と術聖の弟子ね」

「えっと、貴方は……」


 三百人を超える人数、そして時間がなかったこともあり、救助隊のメンバーは自己紹介もろくにできていない。当然、この国に来て日も浅いティナとサーラは目の前の傭兵達に見覚えがなかった。


「私の名前はティカ。一応ギルドに所属する傭兵よ。それでこっちが……」

「サムだ。よろしくな嬢ちゃん達」


 ティカと名乗った女傭兵の隣で三十代前半と思われる男が手を振った。


「私はティナ。こっちは幼馴染みで相棒の……」

「サーラです。それであの、私達に何か?」

「いえ、余計なお世話と思うんだけど、やっぱ二人は若いし、どうしても一言言いたくて」


 年若い二人は年長者からどのような話をされるのか予想がついているのか、黙って話の続きを待った。口火を切ったのはサムだった。


「今の内に地上に逃げな。嬢ちゃん達だけで戻れるか不安だったし俺達も今更引くわけにはいかないんで言おうか迷ってたが、今見せた実力があれば地上には問題なく出られるだろう」

「もう分かってると思うけど、姫様を救出できる可能性はかなり低いわ。貴方達は地上に戻ってこのダンジョンの危険性を訴えて頂戴。可能なら聖王国にも協力を要請して。このダンジョンを作った魔族、かなりヤバイわよ」


 それは誰もが肌で感じていることではあったが、改めて言葉になったことで悪夢が現実になったかのような薄寒い空気が流れた。


「……無理だと思ってるんなら何でアンタ達は逃げないわけ? 死にたいの?」

「まさか。ただ私たちは姫様に大きな借りがあるの。だからここで引くことはできない」

「まっ、俺はティカには逃げてほしんだがな」

「それは私も同じよ」


 少女達は年上の男女が全く同一の指輪をはめていることに気が付いた。


「それでも逃げないんですか?」

「あ~。……うん。絶対後悔するって分かってるけど、それでも変えたくない生き方ってあるじゃない? ……って、まだ若い二人には分かんないかな」


 幼馴染み達は顔を見合わせた。二人の表情かおはまるで姉妹のようにそっくりだった。


「分かるわよ。ねっ?」

「ええ。分かります」

「おいおい。何か逆に背中押した感じになってねーか?」

「そんなつもりはなかったんだけど。ねぇ、一応聞いておくけど、貴方達逃げるつもりは?」


 二人の少女の瞳に強い意志の輝きが宿る。


「ないわ」

「ありません」


 若さ故の無知とも取れる返答を聞いて、年長者達は一瞬だけ迷うような素振りを見せたが、すぐにその表情を切り替えた。


「分かった。まっ、俺達としても嬢ちゃん達のような腕利きがついてきてくれるのはありがたい話だぜ。なっ?」

「ええ。こうなったら力を合わせて必ず生き延びましょう」

「元から死ぬつもりはないっての。そうでしょ、サーラ」

「はい。必ず生きて、三人で国に帰ります」

「三人? ねぇ、それってーー」

「ティカ。前をみろ」


 何度か戦闘があったのだろう。会話をしながら走っている内に四人は先に進んでいた隊を発見した。隊は見るからに広そうな空間の手前、ギリギリの通路ところで止まっていた。


「サム、あの大広間のような空間って……」

「ああ、見るからにバカ広いあれは八階と同じだな。このダンジョンの今までの構造を考えて、ここを超えなければ下にはいけねー。……嬢ちゃん達、覚悟はいいか? ここから先に待ったはねーぞ」

「覚悟なんてとっくに決まってるわよ」

「お二人は私達に構わず、自分達の身を守ることに専念してください。私達もそうします」

「良い返事。じゃあ行くわよ」


 そして四人は隊と合流を果たした。合流した後、集団の代表者から救助隊の皆に向けて話があった。ユーモアを含んだそれに誰もが失笑し、そして使命感を燃やす鼓舞に全員が決意を新たにする。


 誰もが思った。ティナやサーラも思った。自分達は生きて目的を達するのだと。


「行くぞ! 火王国、バンザイ!」

「「「火王国、バンザイ!」」」


 そして救助隊は定められた死地へと突撃する。


 広い、地下とは思えないほどに広すぎる空間の中には一匹の魔獣の姿もない。だがそれで安堵する者は皆無だった。八階さきの地獄を潜り抜けた彼等は知っているのだ。この先にある絶望くなんを。


「走れ! 全力で駆け抜けろ!」


 故に彼等は走る。一心不乱に。前へ、前へと。そんな彼らをあざ笑うかのように、広い空間の至る場所に魔法陣が浮かび上がる。陣の中に広がるのは闇だ。暗くて深い奈落のごとき闇。その中で光るのは野獣達の目と牙。


 凶悪なるそれらは物語る。


 喰ろうてやる。誰一人残さず喰ろうてやる。


 そうして起こる魔獣の召喚。魔法陣から飛び出した魔物達はまるで黒い津波のように救助隊へと襲い掛かった。


「来るぞ! 怯むなぁああああ!!」

「「「「うおおおおおお!!」」」」


 そうして死を恐れぬ勇猛なる戦士達と魔が生み出した獣達との死闘が始まった。

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