一人暮らしと小学生

情熱大楽

一人暮らしと小学生

【1】


「う…あぁ、だ、誰か、いないのか? チキンラーメン一個でいい、譲ってくれ」


 駅から歩いて一五分程度の場所にあるオンボロ学生寮、『未来荘』。

 そこに廊下をはいずり回る、一人の大学生、大場タカシがいた。


「誰もいないのか? ほ、本当に餓死してしまうじゃないか!」


 二階にある自分の部屋からスタートし、一階のまだノックしていない、最後のドアをノックする。


 コンコン……返事なし。三月中旬ということもあって、アパートの大学生は全て実家に帰っているようだ。


「大家のばあさんも去年のクリスマスぐらいから帰ってこないし……バ、バカな、餓死なんてそう簡単にするもんじゃないさ」


 強がって笑みを浮かべるタカシだったが、絶食八日目、すでに立ち上がる力も残されていなかった。


 マンガなんかで『給料袋を落とす』というエピソードがたまにあるが、タカシは現実世界でそれが起こった場合、何のドラマも無く、ただ絶望感だけが襲ってくるだけという事を、今になってようやく自覚していた。


 しかも、なまじ自分は『給料落としちゃった!』と笑って言えるキャラじゃないと思い込んでいるタカシは、誰の力も借りずに、次の給料日まで生きようとしてしまった。その結果が、このザマだった。


「目、目がかすんできた…チキンラーメン、チキンラーメンが食べたい」


 力尽き、寮の玄関で仰向けに倒れるタカシ。


「アンタ、そんなにこれが食べたいの?」


 頭上にチキンラーメンの袋を確認したタカシは、瞬時に息を吹き返した。



【2】


 ズルズルズル、と麺をすすりながら、タカシは横目で命の恩人である少年を見た。


「なんだよ、ジロジロ見んなよ」


 見た目は小学校五、六年生といった感じ。生意気そうな顔つきだ。


「ごちそうさまでした」


 黙々とラーメンを食べていたタカシは、どんぶりを床に置き、改めて少年を見た。


「ありがとう、本当に助かったよ」


「どういたしまして」


「でも、なんでこんなアパートに? 今、このアパートには僕しかいないよ」


「ああ、だから来たんだ」


「? どういう事?」


「だから、アンタに会いに来たんだよ」


 タカシは、自分の脳をフル回転させてこの少年の顔を思い出そうとした。しかし、どうにも見覚えがない。


「人違いじゃないか? 僕は君なんて」


「あ、鉄アレイじゃん!」


 少年はタカシを無視して、部屋の隅にある鉄アレイをいじりだした。一五キロある、なかなか本格的な鉄アレイだ。


「これで毎日鍛えてんの?」


「あ、ああ。それより」


「お、この前出たゲーム機じゃん! 古いヤツも!  一人暮らしだったら、徹夜でゲームだってやり放題だもんね」


 タカシは少年に薄気味悪い印象を受け、ビシっと言ってやろうと、真面目な顔で言った。


「あのな、君、聞くんだ。 僕は、君に見覚えが無い」


「そうなの?  いいや、これから覚えてくれれば」


 あっけらかん、と答える少年。


「これから毎日一緒に暮らすんだから、顔と名前ぐらい覚えてくれよ。あ、オレ、コォって言うから」


 絶句するタカシだったが、そこは大学生、常識ある大人としての意見がすぐに思いついた。


「いいか、君、よく聞くんだ」


 頼杖をつきながら反論する少年。


「コォだって」


「……そうだったな(ふてぶてしい奴だ)。コォ君、よく聞け。家で何があったか知らないが、家出はダメだ。お母さんやお父さんが心配してるぞ?」


「いいよ、別に」


「よくない! 僕には大人として、君の家出を手助けすることは出来ない。 警察に連絡するぞ、いいな?」


「ったく、真面目ぶりやがって。やっぱりアンタは……アンタのままだな」


「何?」


 意味不明なコォのセリフに顔をしかめるタカシ。気味の悪いセリフだ。


「なんでもない。別に警察に連絡してもいいけど、その代わりチキンラーメン代は払ってくれよ」


「な」


 タカシは反論しようとしたが、出来なかった。自分の残金が、十一円しかないことを知っていたからだ。


「アンタにチキンラーメンを無理やり食われたんだからな。もし警察呼んだら、泣いてわめいてやる!」


「 こいつ……」


 怒りに震えるタカシ。しかし、ため息をついて、あきらめたように言う。


「分かった。しばらく置いてあげよう。ただ、ご両親には連絡するんだそれが条件だ」


「あ~い」



【3】


 こうして、大学三年生のタカシと、小学六年生のコォの奇妙な共同生活が始まった。


「タカシ、ファミレス行こうぜ」


 顔をしかめてコォを見るタカシ。


「なんで呼び捨てなんだ? しかも、晩ご飯は食べただろ? ……君の金で」


「何言ってんだよ、一人暮らしっていえば不規則な食事だろ?」


「偏見だね、それは。僕は規則正しい一人暮らしを心がけてるから。朝六時に起床、夜十時に就寝!  食事は一日三回!」


 ズッ、とよろけるコォ。


「な、なんだそれ? 今日び、オレ達小学生でもそんな生活してないぞ!」


「人は人、僕は僕だ」


「んじや徹夜でマージャンとかしようぜ、せっかくの一人暮らしなんだし」


「マージャンなんて持ってない。だいたい、面子が僕らしかいないだろ?」


「お前、もっと自由を満喫しろよな……」


 心底悲しそうに言うコォ。タカシはコォが少し可哀想に思えた。仕方なく、ため息をついて言う。


「つたく、ゲームでもやるかい? ちょっとだけ」


「ホントか!?」


「なんだかんだで飯もおごってもらったし。好きなソフト入れなよ」


「うん!」


 コォは楽しそうにソフトを物色し始めた。タカシはそれを見ながら、自分にある感情が沸いている事に気づいた。


(なんか、久しぶりだなこういうの。給料無くす前から、忙しいのを理由に遊んでなかったもんな)


「おっしゃ、これやろうぜ!」


「ずいぶん古いやつだな……」


 タカシの咳きを無視して、ゲームを起動させるコォ。壁にかかっている時計を見てはしゃぐ。


「うわ~、もう十一時だぜ、こんな時間にゲームやってるって事自体、興奮するなぁ!」


 そんなことを言われると、憧れの徹夜ゲームを体験させてやりたくなるのが人の性。タカシはあっさり陥落した。


「まあ僕も大学は休みだし、明日はバイトもない。徹夜でゲーム、やってみるか?」


「ホントかよ!?」


「そのかわり、絶対寝るなよぉ!」


「誰が! どっちが遅くまで起きれるか、勝負だ!」


 ジャーン、派手な効果音が画面から流れた。



【4】


「オエェェ」


 三月下旬の早朝、タカシは洗面台で一人吐いていた。


「クソ、コォの奴が一人暮らしは飲み会だ! とか言い出したせいで、メチャメチャ二日酔いだ……」


 空き缶だらけの部屋の真ん中で、堂々と寝ているコォを見て、タカシの表情が緩む。


「全く、不思議なやつだな。小学生のくせに僕より酒が強いし」


 蹴飛ばされていた布団を、優しくかけてやる。


「それにしても、よっぽど一人暮らしとか……そう、自由に憧れが強いんだな、コイツは」


 タカシは勉強机の椅子に腰掛け、苦笑した。


「そういや、僕もそうだったな。社長の一人息子ってだけで、何もかも決められて……自由に憧れてたっけ」


 ふと、机の上に置かれた自作の小説が目に入る。


 タカシは、自分が何故家を出たのかを思い出させてくれた少年に、感謝した。しかし、思い出したのは一瞬のことで、次の瞬間には、頭は忙しくなる大学生活に切り替わっていた。


 楽しい共同生活は、終わりを告げようとしていた。



【5】


 四月に入ると、大学は再開し、コォを追い出しはしなかったものの、夕カシは忙しさに飲み込まれていった。ようやくバイト代も入り、何もかもが以前と同じになろうとしていた。


「なあ、タカシ、今日も遊べねぇのかよ」


「ああ、学校から直接バイトに行くし、帰ってからは試験勉強しなくちゃな」


「けどよ」


「あ、悪い、時間だ。メシ代置いておくから、食べな。じゃあな」


 バタン、タカシは大急ぎで部屋から出て行った。


「あ……バカヤロー」



【6】


 その日の夜中、勉強をしているタカシの気配に気づいたコォは目を覚ました。


「ん…タカシ?」


「ああ、悪いな、起こしたか?」


「いや、いい」


 眠そうな日をこすって、コォはタカシを凝視した。


「なぁ、何の勉強してるんだ?」


「何って…… そうだな、算数を一万倍難しくしたようなやつだな」


 その答えを聞いたコォは、顔をしかめた。


「それって、小説家になるために何か関係あんの?」


 タカシの目が大きく見開かれた。驚いてコォの顔を見るタカシ。


「お前何でそれを」


「聞いてんのはこっちだよ。小説家になるために算数なんているのかよ?」


 しばらく考えたタカシだったが、ため息をつき、笑って答える。


「どうやって僕の……しかも、昔の夢を調べたのか知らないけど、残念ながら僕はもう小説家は日指してないんだ。そこそこの企業に就職して、そこそこのお金を稼ぐ。それには、文系じやなくて、理系の方が有利だからね。って、コォにはまだ分からないよな」


「じや、じゃあ、算数は別にやりたくないって事?」


「ま、そうなるな」


 皮肉めいた笑いをタカシが浮かべた瞬間、コォがタカシに飛び掛った。

 タカシは勢いに押され、もみくちゃになりながら倒れる二人。


「な、何するん」


「パカヤロー!  お前は…お前は今まで何を見てきたんだ! あんなに悔しい思いをしてきたのに、もう忘れたのかよ!」


「な……!」


 激昂したタカシは、コォを力任せに振り払った。壁にたたきつけられるコォ。


「お前に何が分かる?  好きなことばかりやってたって、この世の中生きていけないんだよ!」


「なんでだよ……」


 タカシは、コォが涙をボロボロ流していることに気づき、困惑した。


「なんでこんなに……こんなに自由で、好きな事に熱中できる時間を楽しまねぇんだよ、頑張らねぇんだよ! ホントに無理なのかよ、力尽きるまでやってみたのかよ!? 思い出してくれ、自由なんて一つも無かったじゃねぇか……」


 タカシの脳裏に、電撃のように家を出る前の自分が難った。習い事、勉強、言動、友達、遊び 全てが決められていた、自由が一つもなかった時代。


 そして、ただ一つ自由だった『夢』、『小説家になる』という夢も、鮮明に、強烈に心に蘇った。


「コォ……お前は……いや、まてよ、お前は!」


「思い出してくれたんだな……憧れと、ついでにオレの事も」


 後ろ歩きで、ドアの前に立つコォ。涙をふき、ニカッと笑う。


「ど、どこへ行くんだ!」


「オレの役目は終わったからな。楽しかったぜ、じゃあな、タカシ」


 スウッ、とドアをすり抜けて、コォは消えた。


「コォ!」


 慌ててドアを開けたタカシだったが、予想通りそこには誰もいなかった。



【7】


 机で、自作の小説、しかも小学生の時に始めて書いた小説を眺めるタカシ。


「コォ…コウ。もう一人の孝(たかし)って意味で、主人公につけた名前だったよな」


 読めば読むほど矛盾しているその物語を、孝は楽しそうに読んだ。


「好きな事に熱中していられる状況……あの頃に比べたら、確かにその通りだ。サンキュー、コォ、わざわざ出てきてくれたんだな」


 孝は決意した。孝の人生を変える大きな決意であった。


「お、桜だ」


 窓を開けると、街にはたくさんの桜が咲いていた。 もう四月だった。









おわり

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