清と濁



「肋骨骨折で全治三週間ですね、でもまぁ生活にそこまで支障は無いと思われるので、激しい運動は控えて頂ければ」


「ありがとうございます」


ガラガラと横開きのドアを開けて待合室に戻るリノリウムの廊下を歩く。

うーん海に飛び込んで気絶した後にあの化け物にでもぶたれたのだろうか、骨が折れるとなると相当な強さでシバかれたに違いないのだ。


ベンチではハクトウワシが待っていた。


「ごめんな、待ってくれて」


「の、No problem!」


言えない…心臓マッサージをしようとして骨を折った事、絶対に言えないわ…


「…こちらこそ礼を言わなければならないわ、ありがとうマサキ」


「ん…あぁ」


なんか無性に照れ臭くて、当然の事だ、というような素振りで返す。


マサキは飛び込んでくれた。

自らの事を考えるよりも先に、私を助ける事を優先してくれたのね。




ビャッコは一人、波止場の近くのコンクリの上で考え込んでいた。


「あのセルリアン、自然に出来たヤツじゃない…明らかに手が加えられて生物の形にされていた…となれば」


不意にビャッコは踵を返し、雪山の方角を睨みつける。


「胡散臭い奴が入り込んでいたみたいね…」




「それでさ…ふぁ…は…は…」


「あぶない!」


くしゃみが出そうになって、ムズムズした鼻腔に空気を取り込み始め、顔が歪む。

フルルちゃんが僕の鼻を急いで押さえる。


「…ふぅ」


「あはは、危なかったねー」


「風邪ひいたかな…」


もしくは誰かに噂をされていたとか。

まぁ僕の事だからその可能性は万に一つの様なものなのだが。


ピロピロピロと電話が鳴り出す。

ごめんね、と一先ず彼女に断りを入れて、ドアの外に出て応対する。

今まさに僕はフルルちゃんと楽屋で談笑して少し明るい気分になっていたのだが、出た電話の内容は僕の心臓を爆破させかけた。


「きききききき気絶!?!?骨折!?!?」


『言うてでしたよー、あんま痛くないですし』


「せせせせせせセルリアンのいる海に飛び込んだ?!?!ハクトウワシも気絶した?!?!」


『今はでも問題ないっす』


「今は問題ないって…今どこにいるんだ?」


『結構遠いんで大丈夫ですよ、ハクトウワシも検査してもらいましたけど異常はなしでした。報告だけしておこうかなーと思って…』


「いや、ダメだろ…何処にいるんだ…?…あぁ、あそこか、わかった、今行くから待ってて」


ピッと電話を切ると、後ろから少しドアを開けてフルルちゃんが覗いていた。


「…聞いてた?」


フルルちゃんがコクリと頷く。


「行っていいよ、私のライブなんかよりそっちの方が大切だよー」


「でも…」


「いいよ、行ってきて」


フルルちゃんがニコッと笑う。

せっかく長く話せる時間で、しかもライブも観れる機会なのだが…


「うーっ…ごめん!ライブ後のやつまでに帰ってくるから!」


「やくそくだよー?」


走ってバス停まで行って、その後水辺エリアの奥の方まで行けばいい。

往復一時間半ってところだし…後色々話を聞いて…

あぁ、監督任されていたのに僕のミスだ…

きっと夕方迄には帰れる筈…




「はぁっ、はぁ、はぁ、もう歩けないわ…」


シンヤはホッキョクギツネの手を引いて、雪山の中腹を歩いていた。

もう完全にホッキョクギツネは諦めたのか、大人しくこちらが手を引くままについてきている。


「もうっ!後でマコに言いつけてやるんだから!」


後ろでクドクドとホッキョクギツネが喚いている。

どうやらずっと部屋の中に閉じこもっていたので天性の体力も無に帰しているようだ。

モービルの通り道となっている、キャタピラで踏みしめられた雪道の上を歩いている。


そうだ、確かここら辺だった。

モービルで来た時、パークの他のエリアまで見通せたベンチのある場所。


「ほら、こっち!」


「一体何があるって…」


文字通り、初めて息を飲んだの。


粉雪がちらつき始めていた。

その結晶の一つ一つが、遠くからさしている夕日に照らされて暖かく光っていた。

箱の中からは見えなかった景色、私だけでは見れなかった景色。


遠くに見える陸地は汚い色だった。

緑、土の色、建物のレンガ、湖の仰々しい青。

でも何故なのか、これ程までに、こんなに汚い色に、心を奪われている私がいた。


「どう?…いきなり何も言わずに無理やり連れ出したりしてごめんな…でもさ…つまんないじゃん」


近くに設置されていた、つららの垂れた自販機から熱く感じるコーンスープをシンヤが渡してくる。


「外には沢山綺麗なものがあるよ…君が想像してる以上にさ…」


「…」


ホッキョクギツネは目を輝かせながら目の前の光景を凝視している。


夕日が奥の山に落ちかけて、半分がズブズブと沈もうとしていた。

雪がぱらついている中、雲の影が二人の上を塗りつぶしていく。


「…どう?」


「汚い…でも…きれい…」


「…コーンスープ…冷めるよ。開けてあげようか?」


そういやそこにモービル停はあった。

じゃなきゃこんなベンチも自販機もない。

本当はモービルで来た方が楽だったろうが、もうそんな事はどうでもいいんだ。


黄昏の薄い紫が灰色の雲に染め抜きを作っていた。

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