『かんかんのう』

あん

第1話『から袖の弥平』

御一新ごいっしんしてからの博多はかた戊辰戦争ぼしんせんそう傷跡きずあとから

ようやく立ち直ろうとしていた。


妙見みょうけん長屋ながやに住む弥平やへい小倉城こくらじょうの戦いで長州軍ちょうしゅうぐん手傷てきずわされて

右手が不遇ふぐうになってしまい、今では博多の色街いろまち女衒ぜげんの使いっ走りとして

働く破落戸ごろつきに成り下がった。


元は四十石取よんじゅっこくとり足軽組頭あしがるくみがしらだったが、人間落ちぶれると人も離れていき

佳人かじんにも逃げられ、その日暮らしで毎日を過ごしていた。


対馬小路つましょうじに船が着き、今日も売られてきた娘達を連れ添って

御笠川みかさがわ沿いにある屋敷の小道を抜けて中洲なかすの店にまで

連れていく道すがら、春の日和ひより火照ほてられて、ふと鼻歌はなうたが出てきた。


かんかんのう きうれんす

きゅうはきゅうれんす

さんしょならえ さあいほう

にいかんさんいんぴんたい


弥平にはこの流行歌はやりうたの意味などわからぬ。

座敷ざしきでドンチャン騒ぎをしているのを毎晩聴かされているうちに

覚えた流行小唄だ。


歌っている弥平がふと後ろを見ると、

売られた娘の一人が泣いている。

「なんな?泣いても家にゃあ帰れんばい。はよ芸事げいごと身につけて

大尽だいじんなりに身受みうけしてもらえるようにすりゃ幸せになるるばい」

弥平なりのはげましではあったが、物言ものいいが不器用ぶきようであるためか

益々ますますおびえて涙を流す娘に「こりゃめんどくせえな」と

右のからそでたもとからマックスウエルのキャラメルの箱を取り出し

「ほら、アンタ口開けんね。これ・・・食べりい」

そう言ってキャラメルをひとつ娘の口に放り込んだ。


そうやって店まで送り届けた帰り道は決まって自嘲癖じちょうへきが出る。

また無用むようなさけをしちまった。これだから甲斐性かいしょうなしは困ったものだ。

格好かっこうつけて舶来物はくらいものなんて持ち歩いていても、服は着たきり雀で

つくろいをする女もいやしない汚らしい男が、一人前ぶって他人様たにんさま

情けをかけるなんざ身の程知らずもいいところだ。

だから身代しんだいつぶしちまったんだ。

弥平の楽しみは筥崎宮はこざきぐうの並びにある小汚こぎたな酒屋さかやつぶれることしかない。


『かんかんのう きうれんす きゅうはきゅうれんす さんしょならえ』

酒に酔ってみじめさを忘れようとするも、日に日に身も心もおとろ

てていくおのれいまわしかった。

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