第17話 闇の正体

 彼女は僕の部屋に移動し、二人で外が白み始めるまで話しをした。

 そこで彼女は、以前起こった出来事を少しずつ語り出した。彼女がなぜ、あの怪しいバーで働くことになったのか、という話しだ。

「お父さんは会社がだめになる寸前、借金の残っていない三つの不動産を安く売却し、それで得た現金を隠し持っていたの。それが夜逃げ後の、当座の生活費だった。それでしのいでいる間に、どうにか生活を立て直すつもりでいたみたい。けれど、所詮は住民票も移せない身の上だった。まともな職がなくて、結局は折角の資金を、ただ減らしていったの。結局私が高校を卒業した後に、夜の世界で働き出した。最初は昼の仕事を探したの。けれど、住民票を取れないことがネックになった。そんな状況だと、働ける場所は限られる。初めての勤め先は、年齢を誤魔化して雇ってもらった仙台市のクラブよ。割と高級な店で、客層は悪くなかった。嫌なことが少なくてそれなりに勤めることができたし、サラリーもよかったわ。家族三人が食べる分には困らない程度に、お給料をもらえていたの」

 佐伯はそれまでの経緯を、報告書を読み上げるように語り続けた。

 そんなふうに働いているところへ、悪夢が突然襲いかかった。ある客が、佐伯が夜逃げをした佐伯不動産会社社長の娘であることを知っていたのだ。しかもその客というのが、父親が借金をしたヤミ金と繋がる組の人間だった。出張ヤクザという言葉があるけれど、盛岡から仙台へ流れ、そこで活動の基盤を築いていた連中のようだ。

 彼らの金に対する嗅覚は、ハイエナ並みだ。その客は、店では素知らぬ顔をし、閉店後に佐伯のことを尾行した。先ずはねぐらを押さえ、逃げ隠れできないように、周辺を固めることにしたようだ。

 何も知らない佐伯は、仕事を終えていつも通り多賀城の自宅へ帰った。そして翌日、ヤクザがアパートに突然現れた。その中に前夜の客がいて、尾行されたと気付いたときには後の祭りだった。

 ヤクザは散々騒ぎ立てた。父親を遠洋漁船に乗せる話しや、海外で内蔵を売る話しが出た。あるいは保険を掛け、死亡してもらうという、脅しとも本気ともつかないことを言われた。逃亡前科のある佐伯一家は、結論が出るまできっちり見張られ、逃げ出すこともままならなかった。

 連日朝から晩までヤクザたちがアパートに詰め掛け、恐怖を植え付けられた。母親はノイローゼになり、父親は頭を抱え込んでその場をやり過ごした。彼らははっきりとした暴力を振るわなかったけれど、言葉とぞんざいな態度で佐伯たちに圧力を掛け続けた。

 警察に連絡し、一度警官が立ち会った。そこでヤクザは言った。佐伯一家は借金を踏み倒し、夜逃げしたのだと。債権者である自分たちは、話し合う必要がある、それのどこが悪いのか。彼らは警官の問いをかわし、借金返済の協議が必要であることを主張した。

 実際に、はっきりとした暴力を彼らは振るわない。民事不介入を原則とする警察は、佐伯一家に同情しながらも、手を貸すことができなかった。

 警察に通報したことが、ヤクザの脅しをエスカレートさせた。

 五日目に、父親が根をあげた。自分は遠洋漁船に乗るからもう勘弁してくれと、彼は妻子の前で、ヤクザに土下座した。

 脅しの効果が見え始めたことを実感すると、親玉が出てきて、家族三人の前で静かに言った。

『利息も含めると、最低五年は船に乗ってもらう必要がある。そこまでの覚悟はあるのか? それよりもっと楽で手っ取り早く稼ぐ方法がある。娘さんに、俺の紹介する店で働いてもらうんだ。なに、今だって水商売をしているんだからそれと大差ない。これが俺の、最大限の譲歩だ』

 もちろん父親は断った。借金帳消しの見返りに紹介する仕事など、ろくでもないことが分かり切っていたからだ。

 断ると、再び彼らの嫌がらせが始まった。夜逃げしたことが近所に知れ渡るよう、誹謗中傷の張り紙をアパートの中へ貼ったり、ドアの前で騒ぎ立てたりした。しかし彼らは証拠を残さないため、いくらでも言い逃れできた。

 母親は更に深刻なノイローゼになり、毎日怯えて暮らした。父親は、一度自殺を企てた。

 佐伯の話しを聞きながら、それまで繋がりそうで繋がらなかった小さな駒が、ようやく線上に並び始める。

 彼女は、風が吹けばかき消されそうな小さな声で、話しを続けた。

「それで私が自分から、今の仕事を引き受けたの。最初はあんな仕事だなんて、全然知らなかった。それにいくら働いても、お給料は払ってもらえないし、店の要求は一切断れない。ただ、お客がチップをくれるから、どうにか食べることができていた。家へヤクザが押しかけてこないから、毎日怯えて暮らすこともなくなった。それだけでもよしとしなければ、生きているのが辛くなる。これが私の現状よ。どう? やっぱり私のこと、軽蔑した?」

 そんな事情を知って、どうして彼女を蔑むことができるだろうか。

「軽蔑なんてしないよ」

 彼女は、仙台ライブのあとで会ったときのように、僕の本心を探る目付きでこちらをじっと見る。

「嘘よ。私自身が自分を軽蔑しているのに、男のあなたが、身体を売る私を軽蔑しないわけないわ」

 その言い方は、批判的でも攻撃的でもなく、強いて言えば暗示的だった。彼女はベッドの端に腰掛け、視線を自分の足元に定めている。

「佐伯が進んでやったことじゃない」

「同じことよ。本当に嫌だったら、殺されても拒んでいたわ」

「いや、いざとなれば、それはそんなに簡単なことじゃない。そのくらいは僕にも分かる」

 彼女は沈黙した。彼女が何かを考えているのか、単に茫然自失となっているのか、傍目には分からなかった。突然外でパトカーのサイレンが鳴り出す。意外に近い場所のせいか、佐伯はその音にはっとし、それが遠ざかると再び足元に視線を落とした。

 僕は冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して、佐伯に手渡した。

「確かに簡単じゃなかった……」

 聞き取りづらい、小さな声だった。

「え?」

「逃げ出したかったし、拒否したかった。でも怖くてできなかった」

 ボトルを持つ彼女の手が、小刻みに震え出す。

「ブラウスのボタンを一つ一つ外され、スカートをめくられて、でも私は何もできなかった。抵抗したら店に言いつける、そしたらお前の家にヤクザが行くって言われた。全部知られているの」

 彼女の声がかすれ、瞳から涙がこぼれ落ちる。僕は思わず、彼女の言葉を遮った。

「もう、いいよ」

 自分でも驚くほど勢いのある声に、彼女がビクリと肩を震わせる。僕は気を取り直して言った。

「忘れなよ。忘れるのも簡単じゃない。けれど、事故のようなものじゃないか。僕はそう思う。だから佐伯のことを軽蔑なんてしない」

 とうとう彼女は両手で顔を覆い、呻くような声で泣き出した。僕はそれを目の当たりにして、戸惑うばかりだった。泣いている彼女を、僕はただ見守るしかなかったのだ。

 佐伯は、かすれた声で言った。

「遠藤君、隣に来て」

 僕が佐伯の横に座ると、彼女は自分の頭を僕の肩に預けて泣き続けた。佐伯は僕の首筋に顔を埋め、声を出さずに暫く泣いた。

 僕はその間、慰めの言葉一つかけることができなかった。黙って泣かせていると、暫くして彼女が鼻声で言った。

「遠藤君、女の子の扱いに慣れていないでしょう」

「うん……、正直、今も困ってる」

 彼女は、空気が漏れるような声で小さく笑う。

「ライブのあった日に話していたこと、本当だったんだね。ねえ、遠藤君、迷惑かもしれないけど、私を東京へ連れて行ってくれない?」

「いいよ。佐伯がそうしたいなら、僕は構わない。でもその前に、一度警察で何もかも話した方がいい。佐伯の両親の問題もある。ヤクザをどうにかしないと、いつまでも危険が付きまとう」

 佐伯は、「そうね。ありがとう」と言って、ようやく笑顔を見せた。

 結局彼女は、そのまま僕の部屋に泊まった。彼女はドレスを脱いで、朝まで僕に寄り添い眠った。

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