第15話 潜入調査

 ホテルに戻ると早速井上が店の番号を調べ、松本が部屋の電話をスピーカーにしてダイヤルボタンを押した。会話の内容は、予め打ち合わせている。

『はい、ローズマリー』

 男の声が出た。

「佐藤といいますが、そちらで働けないかと思い電話をしました」

『ああ、そう。まだママがいないから、四時頃また電話くれる?』

 下働きの男だろうか。軽薄そうな口調だ。

「あの、事情があって身分証明書みたいなものはないんですが、それでも大丈夫ですか?」

 何かの事情があることを匂わせるのも、作戦の一つだった。怪しいことをする店は、事情のある方が無理が利くため触手を伸ばしたくなる。それに本名や住所の類いは、決して店に伝えたくない。

『あんた、何歳?』

「二十一です。すぐにでも働きたいのですが」

『まあ、なくても大丈夫な場合もあるから、急ぐんだったら今日の四時に店へ来てよ。ママには話しておくから』

「はい、分かりました。ところで、お名前伺っても宜しいですか?」

『ああ、俺の? サトシって言えばみんな分かるよ』

「サトシさんですね。それでは今日の四時にお店へ伺います。宜しくお願いします」

 電話が切れた。これでバーの内情に一歩近付いた。

 それにしても、昨夜見たバーで、仮とはいえ松本が働くかもしれないなど、展開が性急過ぎた。これが井上の言う、結果に近付くことなのは分かる。悩んで考えてばかりでは、実際の物事は進展しないのだ。つまり、どう動くべきか方策を練り出し、結果を予測し、効果的と思われる方を判断し実行を決断するという手順を、井上は自然に踏んでいる。そして実際にやってみれば、物事が進展する。松本という絶世の美女が、なぜ井上についていくのかよく分かるというものだ。佐伯にとって、自分がそんな男になれるだろうかと、僕は思わず自問する。

 面接に行くために化粧をした松本は、はっとするほど美しかった。彫りの深い造形の上に、ブラックのアイシャドーと真っ赤な口紅がよく映えている。長いまつ毛は綺麗にカールし、実際以上に長く見えた。生憎ドレスは持っていないけれど、話しが決まれば店から借りるつもりのようだ。この女性を採用しない店があるとすれば、それはもぐりというものだろう。

 松本は約束の時間に間に合うようホテルを出て、そのあと店の近くの公衆電話から、『面接をパス、今日から働くことになった、店に出る準備があるからホテルには戻らない』と連絡が入った。それが夕方五時である。店は七時から開店し、女性が出揃うのは大体九時頃になるようだ。

 僕と井上は、夕食で三十分ほど外出し、そのあとはホテルの部屋で気を揉んだ。

 松本は深夜まで帰らないし、佐伯も店に出ているなら、ホテルへの連絡は期待できないことが分かっていてさえ、僕と井上は万が一に備えてホテルの部屋を動くことができなかったのだ。松本の帰りを待つ時間が、とても長く感じられた。

 彼女がホテルの部屋へ戻ったのは、結局午前一時を過ぎた頃だった。僕は井上と松本の部屋に行き、彼女から話しを聞くことになった。

 部屋に入ると、狭い部屋の中で、松本がベッドに腰掛けていた。井上が松本の横に座り、僕は備え付けの椅子に座った。

 松本によると、店内でいかがわしい行為はなく、普通のクラブのような営業形態になっているらしい。店は基本的に十二時で終わり、あとは客の入り具合でネオンを落として営業したりするようだ。

 彼女は初めてのバーで働くという経験に、興奮気味だった。アルコールも若干入っているらしく、それが彼女の興奮に拍車をかけている。

 松本が、店内の詳しい様子を報告してくれた。

「遠藤君、佐伯さんを見たわよ。昨日ベンツに乗り込んだ女性。スラリとして目立つから、すぐに分かった。店では加奈って名乗ってるから、まず間違いないわ。結構お客さんが付いてるみたい。ただね、お客の横に付いているときでも笑わないから、元気かどうかは分からない。今日は直接話しもできなかったし。それとね、あのバーはやっぱり怪しいわ。面接のときにママさんがね、この店はアフターも大事にしてるけれど、大丈夫かって訊くのよ。それで一応確認したの。それってお客さんの部屋まで行くサービスですかって。そしたらママさんが、お客さんがたくさん付いたら給料も上がることだし、みんながそういうことを考えて決めているようだって言うの。うちはそんなふうに頑張ってくれる子が必要だなんて言ってたわ」

 井上がそこに食い付いた。

「それでなんて答えたの?」

「採用してもらわなきゃならないんだから、お金が欲しいので積極的に考えますって言ったわよ」

 井上は懐疑的な視線を松本に向けて、更に訊いた。

「客筋と料金はどう?」

「料金は結構高いわね。ボトルを入れて一時間座ったら、一人なのに七万円の伝票が来たの。ボトルを入れなくても四万から五万くらいは取るみたい。銀座や六本木じゃあるまいし、高過ぎるわよ。客は会社の偉い人が多そう。その筋らしき人は、今日は見なかったわ」

 井上の質問が続く。

「その料金で、客の入りはどう?」

「まあまあよ。二十テーブルくらいあって、八割程度は埋まっているから」

「接待客は多い?」

「ほとんどは、一人で来る客よ」

 ここで井上は少しの間黙り込んで、遠慮気味に言った。

「その料金で、接待でもなくそれだけの客が入るのは、何かあるかもしれない。やっぱり、特別なサービスが売りの店かも」

「そうかもね。気付いたら営業中に、何人かの女がいなくなってるのよ。あれってお客と一緒に、ホテルに行ったんじゃないかと思うんだけど」

 僕が不安そうな顔でもしていたのだろうか。松本は、慌てて付け足した。

「あっ、佐伯さんは最後まで店にいたから、安心して」

 たとえ今日は店に残っていたとしても、そんな場所で働いていれば昨夜のようなこともあるだろう。

 しかし松本のおかげで、全くベールに包まれた内部の様子をイメージできるようになった。想像のみであれこれ考えるのとは、雲泥の差だ。これからどうするかも決めやすい。松本の協力を得られたことは、実に有益だった。その分井上には、大きな迷惑を掛けてしまったけれど。

「美香、あとニ、三日、そこで情報を取ってくれないか。こうして様子が分かると助かる。仙台の滞在は延長しよう。ただし、客の誘いには乗らないで欲しい。もし客と外に出る羽目になったら、潜入捜査はその時点で終わりだ。いざとなったら、店から逃げ出せる?」

 井上は、松本がそんな場所で働くことを人一倍心配しているというのに、彼女にまだ潜入をやらせようとしている。

「大丈夫よ。そこはどうにでもなるわ。それに佐伯さんとも直接話したいの。それができれば、もっと詳しいことが分かるはずよ」

 松本は自分の体を張ってまで、真相に近付こうとしてくれる。この二人がついてくれるのは、本当に心強い。僕は二人に、改めて礼を言った。

 潜入捜査二日目も初日と変わらず、特別な収穫はなかった。一つだけ初日と違ったのは、佐伯が店を欠勤したことだ。それが本当の欠勤か、それとも直接客のところへ行ったのか、松本は確認のしようがなかったようだ。新入りが、従業員の欠勤について店やそこで働く女性たちに訊ねることは、とても不自然だからだ。

 昼の間は三人で仙台の街を、できるだけ目立たないようにぶらついた。バーの関係者に見られたら、少々厄介なのだ。如何にも事情があるように装い働き出したのに、友人と楽しそうに歩いていては、違和感を誘発するだろう。

 駅からすぐにハピナ名掛丁商店街アーケードが始まり、クリスロード商店街、マーブルロードおおまち商店街を経て、T字を描くように左側にサンモール一番町商店街、右側はぶらんどーむ一番町商店街、一番町四丁目商店街と繋がり、それが国分町通りと平行して走っている。随分長いアーケード街だ。僕たちは国分町近辺を避けながら、そこで食事やコーヒーや、ちょっとした買い物を楽しんだ。

 そして僕たちは、仙台で潜入捜査三日目の夜を迎えた。

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