歴史学にできること

逢坂 光治

歴史から学ぶ

 僕は大学で日本史を専攻しています。もちろん歴史が大好きなのですが、高校1年生の頃は理系に進むつもりでした。実は歴史以外にも色々と好きなものがあり、そのひとつが素粒子だったのです。高校入りたての頃は「歴史は本読んどきゃいいけど、素粒子はそうもいかない。実際に実験をしなければ知り得ないことが多いだろうし、社会の役にも立ちそうだ」と考えていました。しかし、数学のワーク提出がハードそうでいやになり、「歴史とかも好きだし、素粒子は本買って読んでればいいや」というありえない掌返しが起きて文系に進みました。以降は理系の人たちから「歴史なんて学んで何になるんだ。世界を動かしてるのは理系だ。」などと言われる文系差別の日々です。正直なところ、当時は僕もそのようなことを思っていました。ただ、歴史学をはじめ文系科目が今現在も研究され続けているのは、何かしら社会の役に立つことがあるからだとも感じていました。では、どのように役に立っているのか?自問自答を重ねた結果、歴史を学ぶことには2つの意義があると考えるようになりました。

 ひとつは、過去を学ぶことです。『邪馬台国はどこにあったのか?』『なぜ光秀は謀反を起こしたのか?』『ナスカの地上絵は何のために書かれたのか?』『マチュピチュが建設された目的は何か?』など、日本史・世界史を問わず歴史には多くの謎が残されており、これらを解明していくことが歴史研究のメインとなっているように感じます。しかし、謎を解き明かすこと自体はさほど現代の役に立つことがあるとは思えません。もっと知識を深めていけば何か得られるものもあるのかもしれませんが、専門的に学び始めたばかりの僕に思い浮かぶのはせいぜい『観光の振興』か『国家の正統性の保証』くらいです。最大の使命は、ロマンや趣味の究極として歴史好きを楽しませることのように感じてます。

 では、もうひとつの意義とは何か。ずばり現代の役に立っているのはこちらだと思うのですが、それは過去から学ぶことなのではないでしょうか。過去を学んだうえで、それを応用して未来に活かすということです。そもそも、今の社会科が設置された大きな目標のひとつとして戦争を繰り返さないということがあります。つまり、戦争の惨禍を知り、平和で民主的な社会を築ける人を育てるために学校で授業されている訳ですが、この過去から学ぶということはなにも戦争に限ったことではありません。感染症が世界的に流行っている今のような時にも真価を発揮するものではないでしょうか。

 コロナが日本で流行り始めた頃、「トイレットペーパーが入ってこなくなる」という旨のデマが流れて、品薄になったのが記憶に新しいですが、「オイルショックの時も同じことがあったような」と思った人は多いと思います。歴史の授業でこういうデマが流れたと習っていたのに、全く同じことが繰り返されてしまったのは残念なことです。もちろん、デマを流した人が1番悪いのですが、少しでも多くの人が「似たようなこと習った覚えある。これはデマかもしれない。」と気づければ、買い占めを防げたかもしれません。また、韓国ではコロナ流行後に迅速な対応がとられ、比較的被害が少なく落ち着きましたが、これはMARSの時の教訓が生かされているためと言われています。過去から学ぶとはこういうことです。

 感染症は過去に何度もパンデミックを起こしています。特に黒死病とスペイン風邪は猛威を振るったことで有名ですが、これらから学べることも多いと感じます。中でも特筆すべき点は、どちらも1回の流行で終息したわけではないということです。現状では新型コロナとは流行の規模も違いますが、黒死病は14世紀だけで3回、スペイン風邪も1918〜1919年にかけて3回流行しています。どちらも感染を拡大させているのは人の移動です。今、感染が収まった国では規制が緩み行動が活発になっている印象がありますが、その一瞬の気の緩みが第2波の原因となりかねないためとても心配です。

 また、最近では中国への賠償請求が取り沙汰され始め、その額は日本円で5000兆円を超えるとも言われています。もしこれが現実となってしまったら、中国は第二次大戦前のドイツのような状況になりかねません。戦前のドイツでは、多額の賠償金を請求された結果インフレが発生し、最終的にはナチスの台頭を招いています。中国でも同じようなことが起こらない保証はないと感じます。負の歴史を繰り返さないためにも、うまく落とし所を見つけて平和的に解決して欲しいものです。

 最後に、これまで歴史学の意義を述べてきましたが、もちろん過去から学ぶだけで問題が解決すると言いたい訳ではありません。コロナが早期収束した国の多くがITを活用できていたように、日々進歩する技術を常に視野に入れておがなくてはなりません。また、黒死病やスペイン風邪が流行った時とは人の移動手段が異なるため、地理学の視点も必要になるでしょうし、戦前のドイツと今の中国の経済体制の違いを知るためには経済学の知識も必要となります。そしてなにより、(詳しいことはよくわかりませんが)コロナの収束に最も重要なのは医学や薬学の力です。

 ただ、僕が言いたいのは、どんな学問も必要とされるから研究が続けられているはずだということです。政府のコロナ対策専門家会議のメンバーは、肩書を見る限り法学の専門家が1名いる他は全て医学系の方々で構成されているようです。もしここに他の分野(地理や経済など)の専門家を1人ずつだけでも加えれば、もっと合理的な判断を下せるのではないかと思うのです。

 それに、これはコロナに限ったことではないはずです。この世界はひとつの学問に支えられているわけではなく、様々な分野が複雑に絡み合って成り立っています。だからこそ、他の分野を蔑むのではなく、手を取り合って多角的に物事を捉えられれば、その時最善の結論に辿り着けるのではないでしょうか。

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歴史学にできること 逢坂 光治 @Rutherford10418

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