Ⅱ 暗黒の天使
私が初めて認識した〝死〟は、幼少期に結核で母親を亡くしたことだった。
母の死は、最愛の家族との死別という悲しみや淋しさだけでなく、むしろそれ以上の影響を人格形成期の幼い私に及ぼした。
軍医をしていた私の父という人は、もともと信心深い敬虔なクリスチャンであったが、母の死を境に彼のそれはまさに狂信的なものへと変貌した。
私達こどもに対する教育の根底にもその信仰にあり、叱る時にはまさに異常としかいえないほどに厳しかった。
無論、それに対して私達も従順に従うばかりでなく、時に反抗的な態度に出たことはいうまでもない。
だが、そんな父の狂信的な考えに意見して口論となったある日の夜、偶然にも父の寝室を覗いてしまった私は、彼がベッドの前に跪き、神に祈る姿を見て大きな衝撃を受けた。
そのショックはあまり大きく、気持ちが昂ぶってベッドに潜り込んでもなかなか寝つけなかったほどだ。
その頃から無自覚にも絵を描くことで感情を吐露する方法を習慣にしていた私は、目撃したその光景を即興でスケッチして、ようやく心を落ち着かせて眠ることができた。
そうした父との暮らしの一方、死の影は私自身の上にも迫る……。
思春期にさしかかったその頃、私は慢性気管支炎を患っていたのだが、記憶が確かならば1867年の末ぐらいだったろうか? 咳き込んだ際に血を吐き、すっかり自分が結核にかかったものと信じてしまった私は、自らの死が近いことを覚悟した……。
ところが、現実に結核で命を落としたのは私ではなく、姉のヨハンネ・ソフィーエだった。
兄弟姉妹の中では一番仲がよく、私にとっては母親代りのような存在だった姉だ。
母に続き、私はまたしても最愛の家族を死という黒い天使によって奪い去られたのである。
少年時代における愛する者の死と、自分自身の病と、そして信仰の中だけに生きる父の狂気……思えば、病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だったといえるだろう。
しかしそれは、けして悪い結果をもたらしたばかりではない。良くも悪くも、私という人間の人生は病・狂気・死というこの三つの要素によって彩られ、形創られたものなのである。
その後、私は技師になるためクリスチャニア工業学校に通うことになったのだが、リューマチ熱のために欠席がちとなり、1880年11月8日にはついに退学することとなった。
だが、このこと自体はさほどショックなことではない…いや、むしろ私にとっては人生が好転する転換期であったといって過言ではない。
なぜならば、私は技師なんかより画家になりたかったというのに、あの父に反対されていたからだ。
そんな中、この病によってやむなく退学となり、はからずも画家になる大義名分が手の中に転がり込んで来たのである。
その宿命的な成り行きから、その頃の日記を読み返してみると……
〝僕の運命は今や――まさに画家になることだ〟
などと、少々気恥ずかしいが若気の至りにも書いていたりする。
まあ、それまでにも水彩画や鉛筆画で風景や家屋をスケッチをしていたりはしたのだが、記念すべき1880年5月22日、私は油絵用の画材一式を買い、古アーケル教会を写生して本格的な創作活動を開始した。
病がちな私に父もその選択を認めざるを得ず、説得に成功した私はノルウェー王立絵画学校の夜学に通ったり、友人達と国会広場前のビルの屋根裏にアトリエを借りて尊敬すべきクリスチャン・クローグの指導を受けるなどその道に邁進し、徐々に健康も取り戻していった。
そして、ようやく自分らしい真の人生が開けてきた私は、クリスチャニア・ボヘミアンという前衛的な作家・芸術家グループと交流を持つようになる。
特にそのリーダーであったアナーキスト作家ハンス・イェーゲルの思想に心底共感し、当時クリスチャニアの若者達が熱狂していたのと同様、すっかりその信奉者となってしまった。
彼は伝統的なキリスト教的道徳に公然と異を唱え、自由恋愛主義を訴えていた……。
そんな彼の思想に惹かれたのも、対局にあった狂信的な父への反発からだったのかもしれない。
もちろん、ボヘミアンは絵描きである私に霊感と活気を与えてくれるものでもあった。
私の画風が保守的な者達からすれば前衛的なものとなり、時に…いやしばしば酷評されるようなことがあったのも、多分に彼らの影響を受けてのことなのだろう。
とはいえ、やはり私の絵の根底にあるものは〝病〟と〝死〟と、そして、それがもたらす不安である。
政府の奨学金を得てのパリ留学中に父が死に、父の跡を継いで家族の中では唯一医者になっていた弟のペーテル・アンドレアースも肺炎で亡くなった。
一方、妹のラウラ・カトリーネは精神を病み、入院生活を続けざるを得なくなった。
妹ラウラの心の病は私の精神をも蝕み、そのストレスからカジノで奨学金をすべて浪費してしまうという副産物までもたらしたほどである。
それからもう一つ、私の作品の重要なテーマとなっているのが死の不安に抗することのできる、人間の持つ最も強く、最も尊き心の力――〝愛〟だ。
けして人前では述べられないことだが……私は人妻であったミリー・タウロウとの禁じられた愛に苦しんだり、芸術家仲間プシビシェフスキの妻となったダグニー・ユールと長らく愛人関係にあったり…と、やはり〝愛〟は〝死〟同様に善悪両面において私と私の作品に多大なる影響を与えてきた。
もしもここに私の作品を一堂に並べたら、それらがすべて〝愛〟と〝死〟を扱ったものであることが容易にご理解いただけるものであろう。
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