間章

閑話1 クロエとサイジ 前編

〈サイジ視点〉


 あいつと出会ったのは、いや……再会したのは、雨が降りしきる夜の日だった。

 俺の店の軒先で雨宿りしてる女がいる。客にそう言われて見に来たらこいつが居た。


「こんなとこで何してんだ?」

「……あ、ごめんなさい。邪魔ですよね。すぐに移動しますから……」


 雨に濡れる彼女は全てを諦めきったような表情をしていて。

 俺の記憶の中にあった彼女とはあまりにも違いすぎて。


「待て」

「? なんですか?」

「今日の夜は冷える。行くあてがないんだったらとりあえず入れ。雨宿りくらいはさせてやる」

「ありがとう……ございます」


 それが、俺とクロエの……実に三十年ぶりの再会だった。






□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



 

 クロエと初めて会ったのは、俺がまだ七歳。ガキの頃だった。


「ねぇねぇサイジ知ってる? 今日冒険者の人がこの村に来るんだって!」

「ホントか!? 冒険者が来るのか!」

「うん、パパとママがおもてなししないとって話してたのミリカ聞いたんだ! ロド君にも後で教えてあげないと」


 俺とミリカとロドジィ。

 あんまり大きくもないこの村にいる数少ない子供だった。

 ミリカは村長の娘で、ほとんど毎日俺やロドジィと遊んでた。


「冒険者……」 


 外の世界をほとんど知らない俺にとって。冒険者ってのは憧れの存在だった。

 とくに何も特別なもんなんてない普通の村だ。わざわざ足を運んでくる奴なんているはずもなくて、たまに依頼でやって来る冒険者だけが外の情報を知れる数少ない機会だったんだ。

 それから俺達はロドジィも連れて村の入り口で冒険者達がやって来るのを今か今かと待ち望んでいた。


「ねぇまだかなぁ。遅いねぇ、冒険者の人達」

「あぁ。ホントに来るのか?」

「ぜんぜん来ないじゃねぇか」

「ホントに来るよーだってパパとママが言ってたもん」


 子供の頃なんて我慢弱いもんだ。それは俺も多分に漏れず。最初は冒険者が来るっていうので期待に胸を膨らませてたけど、待ってる間に少しずつ飽きが見え始めてた。

 そんな時だった。


「あ、ねぇ! あれなに!」

「あれ? うお、なんだあれ!」

「竜? 竜じゃねぇか!」


 空から近づいて来る竜に俺達は目を輝かせた。

 本当なら竜は危ない存在だ。見かけるどころか近づいて来るならすぐに逃げろって話なんだが、この時の俺らはそんなことすらわかってなかった。

 ただただ滅多に見れない竜の姿に興奮して目を輝かせてた。

 それからすぐに俺達の前まで降りてきた竜の背中には二人の人が乗っていた。


「ほらクロエ、着いたわよ」

「ありがとラミィ。シエラもお疲れ様」

「クゥン♪」

「とりあえずこの里の村長に挨拶を……って、あなた達誰?」

「「「…………」」」


 この時の俺はきっとみっともない顔をしてたと思う。竜の背に乗る二人の姿に見惚れてたから。

 俺だけじゃない。ミリカとロドジィもだ。


「えっと……この村の子かな? 初めまして。私はクロエ・ハルカゼ。よろしくね」


 そう言って笑顔を浮かべるクロエに俺は心を奪われていた。

 腰まで伸びた長い黒髪は太陽の光を反射してキラキラと輝いていて、目鼻立ちの整ったその美貌は、幼い俺の心を鷲掴みにするには十分だったんだ。


「わ、私ミリカ!」

「お、俺は……ロドジィ……です」

「ミリカちゃんにロドジィ君ね。それで君は……」

「あ、えっと……サイジ……」

「サイジ君? よろしくね」

「っ!」


 クロエに笑顔を向けられて心臓が飛び跳ねた。

 思わずミリカの後ろに隠れてしまうくらいに。


「わっ、ちょっとどうしたのサイジ」

「な、なんでもない!」

「あ、ねぇねぇ! お姉ちゃん達が今日村に来る予定の冒険者なの?」

「え、私達? うーん、明確には違うんだけど……私もラミィも冒険者じゃないし」

「そうなの?」

「うん。私の友達が冒険者でね。私は一緒に旅してるだけだから」

「それじゃあ、その友達は?」

「ちょっと用事でね。遅れてくるから私達だけ先に来たの。明日には来るんじゃないかな」

「そっかぁ」


 この時、俺の頭から冒険者のことなんか消え去ってた。恥ずかしい話だけど、ガキの俺はクロエのことで頭がいっぱいになってたんだ。


「それじゃあ私はあいつらのこと迎えに行って来るから。挨拶だけしといてね」

「うん、わかった」

「クロエ……」

「ん、どうしたの?」

「私がいなくても寂しがらないでね!」

「寂しがらないよ!?」

「なんで寂しがってくれないの!?」

「何その逆ギレ!」

「うぅ……私はこんなに寂しいのに、一分一秒クロエと離れたくないのに」

「重い……重いよラミィ。と、とにかく早く行ってあげないと。たぶん待ってるよ」

「クロエ以外なんて待たせて構わない」

「それされると私がみんなに文句言われるの! ほら、いいから早く行って」

「はぁい。それじゃあ行ってきまーす。ちなみに、行ってらっしゃいのキスとか……」

「しません」

「ちぇっ。まぁいいや。超速で行くわよシエラ!」

「クゥン!」

「……さて、それじゃあ私も挨拶しに行かないと。あ、ねぇ君達、村長の家の場所ってわかるかな?」

「うん! わかるよ、だって私の家だもん!」

「家? それじゃあミリカちゃんは村長さんの娘さんなの?」

「うん!」

「そっかぁ。それじゃあ案内お願いしようかな」

「うん、わかった!」

「あ、お、俺も! 俺も一緒に……行く」


 この時の俺は一生分の勇気を振り絞ったような気持ちになってた。今の俺からしたらあり得ない話だが、この頃の俺は消極的でビビりだったからな。


「それじゃあサイジ君にもお願いしようかな。君も一緒に行く?」

「う、うん」


 ロドジィも同じように顔赤くして頷いてたな、確か。今は王都のギルドマスターなんてやってるあいつも、あの頃は俺と同じガキだったってわけだ。

 それからクロエを村長の家まで送り届けた俺達は、家の外でボーっとしてた。


「すごい綺麗な人だねぇ」

「……あぁ、そうだな」

「うん」

「私びっくりしちゃった。いいなぁ、私も大きくなったらあれくらい綺麗になれるかなぁ」

「無理だろ」

「無理だな」

「酷い!? もう、二人ともさっきからクロエさんに見惚れすぎ。あ、わかった。二人ともクロエさんのこと好きになったでしょ!」

「「っ!」」

「バ、バカなこと言うなよ!」

「そんなわけないだろ!」

 

 あからさま過ぎる誤魔化し方だ。でも子供の俺にはこれが限界だったんだ。

 そんなわかりやすい反応をしたらミリカにだってわかることくらい少し考えればわかるのに。


「むぅ……私だって十分可愛いのに……」


 今にして思えば、この時ミリカは嫉妬してたのかもしれない。仲が良いと思ってた男二人が急に現れた女に取られたらそう思うのも無理はない。

 

「それじゃあ少しの間お世話になりますね……ってあれ、みんなここで何してるの?」

「……別にっ」

「おっと。どうしたのミリカちゃ……って、行っちゃった。なんか怒らせるようなことしたかな。二人ともわかる?」

「「わからない」」

「あはは、だよねー。はぁ、女心はかくも難しい……小さい子でも女の子は女の子だからなぁ」

「「?」」

「あはは、ごめんごめん、二人にはまだわからないよね。そうだ。これから二、三日の間お世話になるから。よろしくね」

「は、はい!」

「よろしくお願いします」


 クロエに夢中だったこの時の俺達はミリカの変化に気付くことができなくて、それが大きな事件を起こすことになった。

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