第63話 おまじない

「シエラッ!」


 慌てて起き上がったラミィは倒れたままピクリとも動かないシエラの下に走る。


「シエラ、ねぇシエラ! 起きて、起きてよ!」

「…………」

『いひひっ、あっははははぁ♪ すっごいねぇ、まさか今のでもまだ生きてるなんて。バラバラにするつもりだったんだけどなぁ。やっぱり竜って頑丈だねぇ。もっとも……もう飛べなさそうだけど』

「っ……」


 キッとダーヴのことを睨みつけるラミィだが、ダーヴはそれすらも面白いと言わんばかりに哄笑する。


「ラミィ、大丈夫か!」

「私は大丈夫よ。それよりシエラが……」

「……くそっ」


 明らかにまずい状態だった。シエラは全身から血を流している。その傷も深い。

 早く治療しなければ命が危うい。そんな状態だ。

 だが、この状況でそんなことができるわけがない。

 ディエドとダーヴが二人のことを逃がすわけがないのだから。


「——あぁ、いってぇ……やっと治りやがった」

『あ、ディエド起きたぁ? 見て見て、ボロボロだよぉ』

「あ? んだよ。俺が起きる前にもう終わりかけじゃねーか。遊びすぎだろお前」

『だってぇ、面白かったんだもん』


 そして、とうとうディエドまでもが目を覚ました。

 絶望的状況。絶対絶命とはまさにこのことだった。


「……レイヴェル、あんた逃げなさい」

「っ!? 何言ってんだよ!」

「逃げろって言ってるのよ! この状況で私達に勝ちはない。だったら少しでも、一人でも生き残る可能性を選ぶのが当たり前でしょ!」

「だったらお前が」

「私がシエラを置いていけるはずないでしょ! それにこの怪我じゃまともに走れもしない。私が魔法で時間を稼ぐから、あんたはその間に少しでも遠くに」

「ふざけるなっ!」


 それは、これまで見せたことがないほどの本気の怒りだった。

 ラミィの言葉にレイヴェルは本気で怒っていたのだ。


「俺はもう目の前で誰かを見捨てたくない。見捨てない。俺はそんなことをするために冒険者になったわけじゃない!」


 望んだのは力。家族を殺した魔物に、魔人族に復讐するための力。そして……誰かを救うことができる力だ。

 レイヴェルはその意志でもって、ラミィ達を背にディエド達を向かいあう。


「あ? お前が一人でやるってか?」

「あぁ、そうだ」

「魔剣も持ってねぇくせに調子乗ってんじゃねーぞ」

「でも俺達はまだこうして生きてる」

「俺らが遊んでるからだろうが。まぁいいぜ。やるっていうならやってやる」

『まだ遊んでくれるのぉ?』

「レイヴェル無茶よ!」

「無茶でもなんでも、やるしかないだろ!」


 怖くないはずがない。相手は魔剣使い。最強の存在だ。

 クロエがいなければ一介の冒険者でしかないレイヴェルでは、どう足掻いても勝てない相手。

 ラミィの言う通り、逃げるのが正しい選択なのかもしれない。レイヴェル程度の力で稼げる時間などたかが知れている。

 数分、数秒でも長く逃げることができれば助けがやって来るかもしれないから。

 多くの人から見ればレイヴェルの戦う選択は愚かな選択になるのだろう。

 それでも、レイヴェルにとっては正しい選択だった。


「くははっ、いいなぁお前。勇気と無謀をはき違えたバカな奴。そういう奴な何人も見てきた。誰かを守る。俺が時間を稼ぐ。ありもしない希望に縋って、自分から死地に飛び込む愚か者。そいつらがどうなったか知りたいか?」

「っ!」


 レイヴェルの視界からディエドの姿が消える。

 一瞬も目を離していない。瞬きすらしなかった。だというのに、消えた。

 レイヴェルの本能がこれ以上ないほどの警鐘を鳴らす。

 今すぐに動けろがなり立てる。

 しかし、そんな本能とは裏腹にレイヴェルの体の動きはどこまでも遅かった。


「全員死んだよ。こんな風にな」

「レイヴェルっ!」

『ざんねぇん、終わりだよ♪』


 レイヴェルの目の前に現れたディエド。

 その剣がレイヴェルの首に迫る。

 躱すことはできない。剣で防ぐこともできない。

 全てがゆっくりに見える視界の中で、ディエドの剣が迫ってくるのだけが見える。


(やられるっ!?)


 そう思った次の瞬間だった。

ガキンッ! と甲高い音が鳴り響く。


「あ?」

『あれぇ?』


 次いで聞こえたのが、ディエドとダーヴの怪訝そうな声。

 

「てめぇ、何しやがった」


 ディエドの剣は止まっていた。否、止められていた。

 レイヴェルの首に届くギリギリの所で。

 よく目を凝らせばレイヴェルの首元に黒い結界のようなものが展開されていたのがわかるだろう。しかし、今の一撃で終わらせることができると思っていたディエドからすれば突然剣が止められた意味がわからなかった。


「死んで……ない? っ!」


 レイヴェル自身も僅かに戸惑ってはいたものの、それどころではないと頭を切り替え氷剣でディエドに斬りかかる。


「ちっ」


 小さく舌打ちしたディエドは軽く跳んでレイヴェルの剣を避ける。


「どんな隠し玉だ? そこの女が何かしたようにも見えなかったが……お前の力か?」

「……答える義理はねぇだろ」

「そりゃそうだ」


 答える義理はない。そう言ったレイヴェルだが、本当のところは自分でもわからない、だ。

 なぜディエドの剣が防がれたのか。どうやって防いだのか。

 レイヴェルにはまるでわからなかった。

 しかし、そこでふとレイヴェルの脳裏に一つの言葉が思い起こされた。

 それは、レイヴェルが竜人族の里にやってきた時のことだ。

 クロエがレイヴェルの手を握り、何事かを呟いていた。


『何言ってるんだ?』

『えへへ、秘密。ちょっとしたおまじないかな』

『おまじない?』


 そんな些細なやりとり。レイヴェルはほとんど気にも留めていなかった。


「そうか……あの時の。あのおまじない……」


 もしレイヴェルの傍から離れることがあっても、レイヴェルのことを守れるようにクロエがレイヴェルに施した守護結界。

 胸の奥が熱くなる。クロエのくれた力がこうして確かにレイヴェルのことを守ってくれた。


「一人じゃない。俺の傍にはクロエがいる」


 そう思えば不思議と心の奥底から力が湧いてくる。

 

「どんなからくりか知らねぇが……面白れぇ。ちったぁ楽しませてくれるってことだな!」


 獰猛な笑みをその顔に張り付けて、レイヴェルに斬りかかって来るディエド。

 その速さはとてもレイヴェルでは追いきれない。しかし、その身を覆うクロエの結界がディエドの攻撃から身を守り続けていた。


「あっははははぁ! かてぇ、かてぇなお前! 斬ろうとしても斬れなかったのは久しぶりだ!」

「くっ……はぁっ!」


 レイヴェルは完全に防御を捨てた。避ける、守る。その一切合切を切り捨てた。

 防御を全てクロエの結界に任せることにしたのだ。

 頼り切ることが正しいとは思わない。クロエの結界の耐久度もわからない。

 ずっとその身を守ってくれる結界などあるはずがないのだから。

 げんにさきほどダーヴの呪剣と戦っていた時には結界は発動しなかった。何かしら条件があるのは明白だ。

 それでも任せるしかない。攻撃と防御。その両方に意識を割いたままディエドに剣が届くはずがないのだから。


「くははははははぁっ!!」

「はぁあああああっっ!!」


 斬り結ぶなんて上等なものではない。

 ディエドからの一方的な攻撃。逆にレイヴェルの攻撃はかすりもしない。

 先を読んでも、癖を見抜こうとしても、ディエドはその全てに対処してくる。


(わかってたことだけど、こいつただの魔剣使いじゃない。戦士としても一流……イグニドさんレベルだ)


 戦えば戦うほどに感じるのは絶望的な力の差。

 早く決めなければ、そう焦れば焦るほどに剣はブレてしまう。


『あっはぁ、わかっちゃったぁ♪』


 それまで黙っていたダーヴが口を開く。


『それぇ、あの女の結界だよねぇ。ふふっ、そっかぁ、ここまでするなんて。結構過保護なんだねぇあの女。だとしたら傷つけられないのも納得かなぁ、私達の作る結界は強固だから。ちょっとムカつくけどぉ。でぇもぉ、だからこそ隙があるんだよねぇ。ねぇディエド』

「あ? なんだよ」

『ちょっと耳貸してぇ……ごにょごにょ』

「なんだそれ? ホントか?」

『ほんとだよぉ。ダーちゃん嘘言ったことないじゃん』

「いやお前しょっちゅう嘘吐くだろ。嘘ついて俺の事死にそうな目に合わせるじゃねぇか」『ソンナコトナイヨー』

「嘘くせぇ。まぁいい。嘘だろうがなんだろうが、全部まとめて喰い尽くすだけだ。やってやるよ——来いよ、呪剣」

『いっひひひ、頑張ってねぇ♪』


 空中に残っていた全ての呪剣がディエドのもとに集まる。そしてその切っ先が狙うのはレイヴェル……ではなく、その後方にいるラミィとシエラだった。


「っ!」

『守ってあげないと、死んじゃうよぉ』


 呪剣がラミィとシエラに襲いかかる。

 ラミィとシエラにその呪剣から身を守る術はない。


「くそっ!」


 レイヴェルは二人を守るために走った。

 しかし、レイヴェルの実力では二人を守り切ることは不可能だった。

 だからレイヴェルは、己の身を盾にした。

 だがクロエの結界は……レイヴェルの身を守らなかった。


「がっ……」

「レイヴェル!?」

『あっはははぁ、やっぱりそうだぁ。その結界、君を狙った攻撃にしか反応しない。ううん、反応できないんだよねぇ』


 呪剣が狙ったのはラミィとシエラ。レイヴェルではない。レイヴェルは呪剣の射線上に自ら身を晒しただけ。だからクロエの結界は反応できなかった。

 その結果、結界は呪剣を素通りさせてしまったのだ。


「ぐぼっ……」


 塊のような地を吐き出すレイヴェル。

 誰が見ても重症。シエラと同様、すぐに治療しなければ助からないレベルの傷だった。

 もはや戦えるレベルではない。


「案外あっけねぇ幕引きだな」

「レイヴェル! そんな、どうして、血が止まらない」

『無駄だよぉ。呪剣は文字通り呪いの剣。呪いの傷が治るはずないよねぇ』


 回復魔法で必死に血を止めようとするラミィだが、魔法は弾かれレイヴェルの怪我を治すことはできなかった。

 そうしている間にもレイヴェルはとめどなく血を流し続け、ついに立っていられなくなってしまった。


「はぁ……せっかく楽しめると思ったのによぉ。まぁいいか。こっちもやることあるしな。少しは遊べたから許してやる。お前ら楽に殺してやるよ」

「くっ……」


 ラミィはレイヴェルとシエラを背に、レイヴェルが落とした氷剣を持って立ち上がる。


「今度はお前がやるってか? やめとけ。せっかく俺が楽に殺してやるって言ってんだ。優しさは受け取るもんだぜ?」

「何が優しさよ」

「苦しまずに死ねるんだから優しさだろ。まぁ、とにかく死んどけや——呪剣」

『バイバーイ♪』

「っ!」


 絶対不可避の死の剣がレイヴェル達に迫る。

 そして——。


『——あっはぁ♪』

「前言撤回するぜぇ、まだ遊べそうだ」


 ディエドとダーヴの楽しそうな声が響く。


「ごめん……もう、大丈夫だから」


 巻き上がった土埃が晴れたその先にいたのは、レイヴェル達を背にして立つクロエだった。

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