第78話 恐怖
ハルトがワーウルフの攻撃に反応できたのはある意味奇跡と言っても良かった。『憤怒の竜剣』の力で、一時的に身体能力の上がっているハルトはワーウルフの動きをかろうじて視認することができた。
ニヤリと笑ったワーウルフを見て剣を構えたハルトだったが、あろうことかワーウルフはハルトではなくイルに向かって駆け出したのだ。しかし、隣にいたイルはそのワーウルフの動きを追えていなかったのか近づいて来ていることに気付いていない。このままでは次の瞬間にはイルは爪に貫かれているだろう。そう思った瞬間にハルトはイルの事を横に突き飛ばしていた。
「イルさん、危ない!」
突然突き飛ばされたイルはわけもわからぬまま地面を転がる。しかし、そのおかげでワーウルフの攻撃から逸らすことはできた。たとえ、その代償としてハルトがワーウルフの攻撃線上に入ってしまっていたとしても。
その次の瞬間、ハルトの胸を貫くワーウルフの爪。激しい衝撃がハルトの体を襲う。全身が燃えるように熱い、その直後に激痛。
「ハル……ハルトォオオオッ!!」
目を見開き、叫ぶイル。あぁよかった、助けられた。そう思いながらハルトの意識は闇の中へと落ちていった。
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ずぷり、とハルトの体から爪を引き抜くワーウルフ。それと同時にハルトの体が地面に崩れ落ちる。ハルトのぽっかりと空いた胸の穴から血が流れ続け、あっという間に血だまりを作ってしまう。
その様子をイルは呆然と見ていることしかできなかった。ハルトの血で赤く染まった手を舐めながら、ワーウルフはクスクスと笑う。
「あーあ、まさかイルちゃんのことを庇うなんて」
「おいハルト! ハルト!」
必死に呼びかけるイルだが、ハルトはピクリとも動かない。それを見て血の気が引くのをイルは感じた。誰が見てもわかる、明らかな致命傷だ。
「無駄だと思うよぉ。しっかり当てたしね。でも良かったんじゃない? おかげでイルちゃんは守られたんだし」
「あ……」
そう言われてイルは思い出す。なぜハルトがワーウルフの攻撃を避けられなかったのかということを。
「オ、オレを……庇ったせいで……」
「その通り♪ イルちゃんを庇ったりしなければこんなことにもならなかっただろうにね。フフ、ハルト君ってホントに優しいんだなぁ。あの《神宣》の時と同じ」
今まさに、そのハルトの胸を貫いたばかりであるというのに嬉しそうに笑うワーウルフ。シアの魂と完全に混合しているからか、ハルトとの思い出をまるで自分のことのように語る。否、事実自分のことなのだろう。ワーウルフであり同時にシアなのだから。
「その優しさが、自分を殺したっていうのにね。残念、もうちょっとハルト君とは遊びたかったんだけど」
お気に入りの玩具が壊れてしまったことを悔しがる子供のような声音で呟くワーウルフ。その話し方が、どうしようもなくイルの心をかき乱す。
「お前がぁ……言うなぁっ!!」
感情のままに叫び、キッとワーウルフのことを睨みつけるイル。立ち上がり、魔法を行使しようとするが、その意思に反して体は思うように動かない。もともと先ほど魔法が放てたことさえ奇跡だったのだ。たとえイルにどれほどの想いがあろうとも、その現実を変えることはできない。それでもイルは諦めてはいなかった。震える足に無理やり活を入れて立ち上がる。
その様をワーウルフは興味深げに眺める。まるで動物を観察するような目で。
「もう何もできないはずなのにどうして立つの? 足も震えちゃってるし、魔法ももう使えないんでしょ? それとも……何か隠し玉でもあるとか?」
「うる……せぇ!」
「はぁ……あのねぇイルちゃん。何もできないなら大人しくしといてくれないかな。ワタシ、弱い人とか力の無い人と戦う気はないの。意志だけ立派でも、伴う力が無いと面白くないんだよね」
心底呆れた様子で言うワーウルフ。すでにやる気をなくしてしまったのか、変身すら解いている。
「それでもワタシの前に立つって言うなら……殺すよ? イルちゃんでもね」
「はぁ……はぁ……上等だこの野郎! やれるもんならやってみろ!」
「それ本気で言ってる?」
「っ!?」
スッとワーウルフが目を細める。一瞬たりともイルはワーウルフから目を離してはいなかった。だというのに、気付けばワーウルフはイルの目の前にいた。
「ほら、この程度の速さにもついてこれない。今のイルちゃんは……弱すぎるよ」
完全に舐められている。そうわかっていて、言い返したいのに舌が張り付いてしまったかのように言葉が出てこない。イルの胸中を占めるのは、ワーウルフに対する激しい怒り。しかしそれだけではない。確かな恐怖の感情もイルの胸の中にはあった。その恐怖が、イルから言葉を奪っていた。
「ハルト君、イルちゃん、【カサルティリオ】。この三つが揃ってようやくワタシと戦えてたのに、そのうちの二つが欠けた状態で何かできると……本気で思ってる?」
「っ……」
「それでも死にたいって言うなら……ここで殺す」
「……や、やればいいだろ……ためらう理由なんかないはずだ」
「いいねぇ、その隠し切れない恐怖の感情。すっごく可愛いなぁ。強がっちゃってさ。怖いんでしょ、ワタシが。隠さなくてもいいのに」
「誰がっ!」
「もし殺すなら、楽には殺さないよ。少しずつ、少しずつ……もう殺してくれって願うまで、ゆっくりと傷をつけ続ける。その覚悟がイルちゃんにはある?」
言いながら首筋に手を添えるワーウルフ。イルは必死に恐怖の感情を押し殺し、ワーウルフの目を見つめ返す。
「そう。ならいいよ……やってあげる。いい悲鳴を上げて、最期まで……楽しませてね?」
たとえこの場で殺されようとも、どんな目に遭おうとも絶対に悲鳴など上げるものかと固く誓い、イルは襲い来るであろう痛みに備え目を閉じる。
しかし、どれほどの時間が経とうともイルの体が傷つけられることはなかった。
「…………?」
おそるおそるイルが目を開けると、ワーウルフはイルではなくその後ろ……入口の方を見て、目を見開いていた。不思議に思ったイルが後ろを振り返ると、そこには——
「お前……なにしてんだ」
そこには、見たこともないような形相でワーウルフのことを睨むリリアの姿があった。
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