第62話 【聖魔法】

 【聖魔法】を発現させる、そう決めたイルではあったがその方法がわかれば苦労はしないというものだ。しかし動かなければ何も始まらない。そう思ったイルはロックゴーレムに向かって手のひらを向ける。


「せ、【聖魔法】!!」


 しかし、どれほど待っても何の魔法も発動しない。

 空間に痛々しい沈黙が満ちる。ハルトもシアも、ロックゴーレムですら哀れなものを見る目でイルのことを見ている気がした。徐々にイルの顔が赤くなっていく。


「え、えーと……イルさん?」

「うるせぇ! 黙れ、何も言うな!」


 魔法を使う、というのはそれほど簡単なことではない。スキルが発現してようやく魔法を使う資格を得て、そこから鍛練を重ねてようやくまともに使えるようになるのだ。だからこそ王都には魔法学校まであるのだから。何も考えずに簡単に使えるような【生活魔法】とは違うのだ。

 【聖魔法】であったとしてもそれは変わらないのだ。


「魔法を発現って……どうすりゃいいんだよ。アウラもその辺は帰ってから教えるとしか言わなかったし。あぁくそ、こんなことならちゃんとやっときゃよかった」


 真面目に鍛練しなかったことを後悔した所で時間は戻らない。ならばイルは今できる範囲で魔法を発現させる方法を考えなければならないのだ。


「これしか方法はないんだ。ならやるしかない……オレが、やるしかないんだ」


 今この状況を打開できる可能性があるのは自分だけなのだからとイルはもう一度ロックゴーレムに手を向ける。男であった頃よりも爆発的に増えてしまった魔力の扱いに苦労しながらイルは魔力を掌に集中させる。しかし何かが発動する気配もない。

 そうこうしているうちにロックゴーレムがイル達のいる方向に近づいて来る。


「イルさん、こっち!」

「うわぁ!」


 とっさにハルトがイルの手を引いてロックゴーレムから距離を取る。その動きは先ほどまでよりも少しずつではあるが速くなっていた。


「このままじゃまずい……でも、ボクじゃどうしようもないし」

「くそっ!」


 ハルトは隣にいるイルのことを横目で見る。イルは誰がどうみても焦っていた。しかしそれも無理はないだろう。イルの魔法だけが頼りで、イルの魔法が発現しなければこの場で全員死んでしまうことが確定しているようなものなのだから。


「何が足りないって言うんだよ!」


 苛立ちもあらわにイルが叫ぶ。ハルト達のことを守りたいという想いもある。魔力が足りないということもない。しかし魔法は発現する兆しすら見せない。そうして生まれた焦りが徐々にイルから余裕を奪っていく。

 それを見たハルトは一つの決心をする。イルの前に立ち、壊れかけた木剣を構える。


「おいハルト、何してんだよ」

「ボクが時間を稼ぐよ」

「稼ぐって、どうやって!」

「攻めるわけじゃなく、守るだけならこの壊れかけの木剣でもできると思うから。だから、イルさんは魔法のことに集中してて」

「そんな、無茶だ!」

「大丈夫だよ。ボク、イルさんのこと信じてるから」

「おい、ハル——」


 言うやいなやハルトはロックゴーレムに向かって駆け出す。ロックゴーレムも近づいて来るハルトに標的を定めたのか、イルから視線を逸らしハルトと戦い始める。

 そして、時間稼ぎのために動き出したのはハルトだけではなかった。


「こっちよ化け物!」


 ハルトのもとに向かおうとしたロックゴーレムに手近にあった石を投げるシア。もちろんほとんど威力などないが、単純な思考しかできないロックゴーレムはそれだけでも攻撃意思ありと判断しシアにも攻撃をしようとする。シアは意外な俊敏性を見せてピョンピョンと攻撃を避けながら石を投げ続ける。ハルトも隙をみて攻撃をしながらロックゴーレムの気を引き続ける。

 それもこれも、イルならば魔法を発現させることができると信じているからこそだ。その信頼にイルは応えたいと思った。

 その瞬間だった。


『苦労しておるようじゃの』

「っ!? 誰だ!」


 この場にはハルト、イル、シアの三人しかいないはずなのに突如として聞こえた耳慣れぬ少女の声に驚いたイルは周囲を見渡す。しかし誰の姿も見えない。


『まぁまぁ、落ち着くがよい。焦っても良いことなどないぞ』

「だからお前は誰だってんだよ」

『はぁ、まったく最近の若者はこれだから。そうじゃの、妾は精霊のようなものじゃと思ってくれればよい』

「精霊? そんなバカな」


 この世界にも精霊は確かに存在する。炎の精霊もいれば、本の精霊など様々な種類存在する。しかし精霊と意思疎通できるのは《精霊使い》の職業についているものだけで、それ以外の者にはその存在を感じることすら難しいというのが世の定説だ。だからこそイルはこのどこからか聞こえる少女の言うことを信じることができなかった。


『事実なのじゃがなぁ。ま、信じるも信じないもお主の自由じゃ。そして、妾の言うことを信じなければお主らはこの場で死ぬだけじゃ』

「なんだよそれ……」

『どうじゃ? 信じるか? 得体の知れない存在からの助言を、お主は受け入れることができるのか?』

「…………やる」


 少し考えた後、イルは答えた。もとよりこのままでは先などないのだ。ならば藁にも縋りたくもなるというものだ。


「だからさっさと教えろ」

『ふむ、その意気やよし。教えてやろう。なぜお主の【聖魔法】が使えぬのかということを』


 どこか楽し気にその声は言う。癪に障る声だと思いながらもイルは黙って言葉の続きを待つ。


『理由は単純。しかしだからこそ難しいものだ』

「いいから早く教えろよ! お前のおしゃべりに付き合ってる暇はないんだ!」

『……しょうがないのー。つまらん奴め。答えは単純じゃ。お主が自分が女であることを受け入れていないから、この一点に尽きる』

「は?」

『自分は男だと、女ではないという思いがお主の《聖女》としての成長を妨げておる』

「それは……でも……」


 イルの中に在る男としての意識が《聖女》のスキル発言を妨げている。しかし、それがわかったからといってすぐに受け入れられるかといえばそれは別の話だ。十数年を男として生きてきて、女になってからまだ一月も経っていないのだ。受け入れろと言う方が土台無茶な話だとイルは思う。


『受け入れられぬ……か? しかし、出来ねばここで死ぬだけだぞ』

「…………」


 少女のある意味無慈悲とも言える物言いに、イルは言葉を失う。今までの、男としての自分を捨てなければ死んでしまう。しかしそれはつまり今までの男としての自分が死ぬのと同義だ。しかし求められているのはそういった決断だ。


『神というのは相も変わらず意地の悪いことだの。お主のような存在を生み出してしまうのだから』

「オレは……」


 イルの前ではハルトとシアがロックゴーレムの気を引き続けるために戦っている。それも、イルならば魔法を発現させることができると信じての行動だ。

 ならばもう、イルの答えはわかっているようなものだ。


「オレは……今の自分を受け入れる。それでしかハルト達を助けられないっていうなら……昔の自分なんかくそくらえだ。だからオレは……これからをイル・ミルスティンとして生きていく」

『ふむ……良い目じゃ。気に入ったぞ』


 過去に縛られて未来を捨て去る。そんな決断をイルはしない。そのためにハルト達が死ぬようなことがあれば死んでも死にきれない。イルは、ガイル・マースキンであった自分との決別を選択した。

 そう決めた瞬間、ストッパーが外れたようにイルの中を駆け巡る力。先ほどまで以上に増した自分の魔力にイルは目を白黒させる。爆発的に増加した魔力が抑えきれずイルの体から放たれる。


「な、なんだこれ」

『ほほう、これは。予想以上じゃのう。ここまでとは馬鹿魔力じゃな。どうだ、感じるであろう、力を』

「……あぁ」


 魔力が増えるのと同時に、イルは自分がスキルを発現したことを感じていた。


『あのロックゴーレムの核は右肩じゃ。あとはどうすればよいかわかるの?』


 それだけ言い残して少女の気配が消える。

 イルは、先ほどと同じように掌をロックゴーレムに向ける。体内に荒れ狂う魔力の操作に四苦八苦しながらも魔力が徐々に集まっていく。


「“光よ、我が元に集いて敵を打ち払え!”——」


 キッとロックゴーレムのことを見据えイルは叫ぶ。


「『ホーリーランス』!!」


 イルの手から放たれる光の奔流。それは槍の形となってロックゴーレムに襲い掛かる。そしてそのままぶつかった光の槍は今まさに攻撃せんとしていたロックゴーレムを吹き飛ばし、土煙が巻き上がる。


「イルさん……すごい」

「なに今の……」


 思わず呟くハルトとシア。一方、魔法を使ったイルは想像以上の脱力感に襲われながらぜぇぜぇと荒い息を吐く。


「や……やったか?」

『ギ……グ……』

 しかし、やがて土煙が晴れた頃、そこにあったのは立ち上がるロックゴーレムの姿だった。それでも先ほどまでのように無傷とはいかなかったのか、その体が傷つき所々が欠けていた。


「今のでも倒れないのかよ」


 イルは今の一撃にまさしく全力を込めた。しかし、やはり扱いなれていないせいで威力が分散してしまったのだ。


「イルさん、大丈夫!」

「イルちゃん!」


 崩れ落ちたイルの元にハルトとシアが駆け寄る。


「あ、あぁ大丈夫。なんとか……だけど。今のでも倒せないなんて」

「今のもう一回撃てたりしない?」

「同じ威力ってのはちょっと厳しいな。それとあと撃てるのは一発ってところだな」


 ロックゴーレムは緩慢な動きながら立ち上がり、少しずつ周囲の岩を取り込んで体を修復している。


「くそ、早く倒さないと」

「……右肩を狙う」

「え?」

「あいつの核だ。右肩にある……らしい」

「らしいってどういう……」

「とにかく! 今はそれしか手段がないんだ。なんとかしてあいつの足を止めれないか?」

「……わかった。やってみる」

「今度こそぶち抜いてやる」


 イルは再びロックゴーレムに向けて魔法を放とうと魔力を集める。しかし、先ほどの一撃に全力を出し過ぎたせいでなかなか思うように集まらない。

 そしてハルトは時間稼ぎと足止めを兼ねてロックゴーレムに戦いを挑む。


「はぁ!」


 足止めをする、そのためにハルトは足を重点的に狙うことにした。ロックゴーレムもハルトのことを迎撃しようとするが、その動きは先ほどまでよりもずっと遅い。避けることも容易だった。


「ハルト、後少し耐えてくれ!」

「わかった!」


 少しずつイルの手元に魔力が溜まり始める。そしてイルは詠唱を始める。


「“光よ——”」


 今度は外さないように、と右肩に狙いを定めようとするが動き続けているためになかなかうまくいかない。

 それに気づいたハルトがロックゴーレムの足に向かって全力の一撃を叩き込む。


「倒れろ——『地砕流』!!」


 掛け値なしの全身全霊。ハルトも全力の魔力を注ぎこんで技を放つ。耐え切れずに砕け散る木剣。その破片が周囲に飛び散る。

 しかし効果はあった。足を払われる形になったロックゴーレムが地に倒れる。


「イルさん!」

「“我が元に集いて敵を打ち払え!”——『ホーリーランス』!!」


 ハルトの掛け声と共に魔法を放つイル。倒れたロックゴーレムはそれを避けることができない。イルの狙った通りにロックゴーレムの右肩に『ホーリーランス』が命中する。


「どうだ!」

「——っ、まだだ!」


 イルの魔法は確かにロックゴーレムに命中した。しかしやはり威力が足りなかった。ロックゴーレムの核である部分は露出しているものの、傷はついていない。

 ロックゴーレムは核を隠そうと傷の修復を始める。そうなってしまえば今度こそハルト達にロックゴーレムを倒す手段は無くなる。


「そんなっ!」

「くっ」


 イルとシアが悔し気に表情を歪める中、動いたのはハルトだった。折れた木剣の剣先を拾い、ロックゴーレムに向かって走る。


「これで——」


 残った魔力をかき集め、手に握った折れた木剣の先端に魔力を集中させる。それをそのまま思い切りロックゴーレムの核に突き立てる。


「終わりだ!!」


 ピキリ、という音と共にロックゴーレムの核が砕け散る。核を砕かれたロックゴーレムは途端に動きを止め、やがてガラガラと音を立てて崩壊するのだった。

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