第2話 宗司の最期、そして姉になる
その日、姉崎宗司は朝から運が悪かった。
設定していたはずの目覚ましは何故か鳴らず、慌てて着替えた際に服に穴が開いてしまった。さらには階段から転げ落ち、持っていたスマホの画面が割れてしまった。朝ごはんの時に見ていたテレビでやっていた星座占いは断トツの最下位と言われた。
「今日は家から出ない方がいいでしょうって……そんなわけにいくか。こっちは学校があるんだから」
にこやかな笑顔でラッキーアイテムを告げているアナウンサーに対して悪態を吐きながら宗司は家を出る準備を進める。
一人暮らしである彼は家を出る前に選択を済ませ、帰って来てから回収するということをいつもしているのだが、寝坊してしまったためにそんな時間もない。
「帰って来てから干すしかないか。まぁそんなに量があるわけでもないし大丈夫だろ。とりあえずこんなもんかな。それじゃあ行ってきます——姉さん」
そして宗司は姉の遺影に向かって挨拶し、家を出る。
「バイト減らさないとダメかなぁ。うーん、また店長に相談するか」
バイトの入れ過ぎによる多忙が寝坊の原因だということがわかっている宗司はこのままでは勉強する時間すら確保できないと思い、バイトを減らすことを考える。
そうやって考え事をしながら歩いていたのが良くなかったのかもしれない。
「危ないっ!?」
「え?」
叫ぶと同時に鳴り響く甲高いクラクションの音。
目を向けてみれば、自分へ向かって一台の車がすごいスピードで向かってくるのが鮮明に見える。
すべてがスローモーションのように見え、今までの人生が走馬灯のように思い起こされる。そして最後に思い出すのは、憧れていた姉のこと。
(姉さん、ごめん。俺もそっちに行くことになりそう)
そこで宗司の意識は途絶えた。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「ん……」
バタバタと慌ただしい音で目を覚ました宗司はゆっくりと目を開ける。
(なんだようるさいな……ってあれ? 俺なんで寝て……たしか学校に行こうとして、それで……車っ!)
その瞬間、全てを思い出した宗司はガバっと起き上がる。
「あれ、なんだここ……」
てっきり病院にいると思っていた宗司は目の前に広がる光景に首を傾げる。
そこは見知らぬ部屋だった。正確には、知っているのに知らない部屋だった。宗司の記憶にはない部屋なのに、宗司の感覚はこの部屋を知っていると訴えかけてくる。
「いみわからん……というか、なんかぜんぶでかくないか?」
よいしょと体を起こして周囲を見渡すと、目に映るのは大きな本棚に机に椅子。どれもどれだけ大きな人が住んでるんだと言いたくなるようなサイズだった。
寝起きで正常に働かない頭を動かしながら宗司は部屋の中を歩き回る。
「あ、かがみだ……って、え?」
部屋の隅に置いてあった鏡に気付いた宗司は何の気なしにその鏡に近づき、そして絶句する。
その鏡に映るのは見慣れた自分の姿ではなく、小さな幼女の姿だった。
長い金色の髪にぱっちりとした大きな碧眼。精巧な人形だと言われても信じてしまいそうなほどの美しさ。恐ろしいのはこれでまだ発展途上であるということ。鏡に映る幼女が何歳であるかは宗司にはわからなかったが、ここから成長すればどうなってしまうのか。
ポーっと鏡を見ていると、勢いよく部屋の扉が開かれる。
「おぉ、リリア。起きていたのか」
いきなり入ってきた男に驚き、宗司が固まっているとその男がゆっくりと宗司に近づいてきてそのまま抱き上げる。
「バタバタしてしまってすまないな」
男に軽々抱き上げられたことで宗司はさきほど鏡に映った幼女が自分の姿であるということを再認識する。
(あぁ、やっぱりあれが俺なのかよ……というか、リリアって俺のことか? それにこいつ誰なんだ——っ!)
自分を抱き上げている男の顔をマジマジと見つめていると、頭に鈍痛が走り、記憶が一気にあふれ出す。
(俺はリリアで、こいつは——)
「おとう……さん?」
「ん、どうしたリリア。まだ眠たいのか? それならもう少し寝ててもいいぞ。助産婦さんもまだ時間がかかるかもしれないって言ってたしな」
「じょさん……あ!」
そして宗司は思い出す。自分が今どういう状況にいるのかということを。
「リリアももうすぐお姉ちゃんになるんだぞ」
そう、今まさに宗司の……リリアの母が出産中なのだ。今いるのは家の中で、バタバタと騒がしかったのは町にいる助産婦達が動き回っているからだった。
なぜこんな状況に置かれているのかはまったく理解できていないが、少なくともそれだけは思い出した。
おそらく子供の前だからであろう。必死に平静を保っているが、心配や焦燥といった感情を隠しきれていないのが宗司にはわかった。
抱っこされたまま宗司は部屋を移動する。バタバタと助産婦達が出入りする部屋の前で父親は立ち止まる。
その部屋の中からは、あと少しよ、や頑張って、とリリアの母親を励ます声が聞こえてくる。
父親の焦りが伝わったか、生命の誕生に始めて立ち会うからか、理由は判然としないが、気付かぬうちに宗司もグッと手を握りしめていた。
それから時間が経って、部屋の中から赤子の鳴く声が響く。
ハッとした父親が部屋の前にいた助産婦を押しのけて部屋の中へと入る。
部屋の中には数人の助産婦と、ベットに横たわる女性。そして……
「おぉ女神よ。ありがとうございます」
女性の腕に抱かれる赤子を見た父親は思わず天に祈りを捧げる。
「ルークさん、元気な男の子ですよ」
「男の子だったのか! あぁマリナ。よく頑張ってくれたね」
ベットにいる女性に近づく父親——ルークは妻であるマリナに労いの言葉をかける。
マリナは出産直後ということもあり疲れ切っていたが、笑顔を浮かべて腕の中の赤子を見つめる。
「ありがとう、あなた。ほらリリア。あなたの弟よ」
ルークの腕に抱かれる宗司にマリナは赤子を見せる。
気付けば宗司は自分の置かれた状況のことすら忘れて赤子を見つめていた。
生まれたばかりの、小さな存在。宗司の……リリアの弟。
それを見た瞬間、宗司の中で何かが芽吹いた。
この日、宗司は——リリアは姉になったのだ。
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