重い槍【短編】

疑わしいホッキョクギツネ

重い槍【短編】

 先週末、疲れることがあった。


 明善(あきよし)に会ったのだ。


 高校時代から現在にいたるまで、だいたい十年のつきあいである。


 高校では同じクラスの同級生だった。高校を卒業してからは、別々の大学に通った。


 大学生のときには、アルバイトなどがない日にはほとんど毎日会っていた。夜に待ち合わせをして、ドリンクの料金が安い居酒屋に行くのがお決まりであった。高校生のときは、公園で缶ビールとか飲んでいた。


 大学を卒業して就職してからは会う回数が減った。半年に一回くらい。


 その半年に一回が先週末だったのだ。


 僕は最近、明善に会うと疲れる。心が張ったようになるのだ。





「好きなもの頼んでいいよ」


 明善は煙草を咥えながら、メニューを渡してきた。明善は煙草を咥えているときに少しだけしかめ面になる。


 すこし腹が減っていたのだが、なにを注文すればよいのかわからない。


 すがるように明善のほうを見ると、明善はしかめ面で、深呼吸をするように煙草の煙を天井にむけて吐いていた。





 待ち合わせ場所が麻布十番駅と言われたときから、なんとなく良い予感はしなかった。


 僕が少し遅れて駅に着くと、明善はスマホをいじりながら立っていた。


「ごめん。遅れた」


「あっそ。行こう」


 明善は店を予約してくれていた。久しぶりに会ったのであるが、そういった内容のことは話さない。スーツのズボンにしっかりと折り目がついていて、らしくないなと思った。


 明善は夜の麻布十番をグイグイ歩いてゆく。僕には土地勘が全然ないから、明善の半歩後ろを付いてゆく。


 夜の麻布十番には人がまばらだった。商店街のようなところを進んでゆく。


 明善には目的地までの道のりがわかっているらしい。ときおり振り返っては「仕事終わるのいつもこの時間なの」とか「明日休みなの」とか、返事をしなくてもいいようなことを話しかけてくる。


 明善が入っていったお店は地下にあった。そして高級そうだった。明善の足どりには迷いが無かったが、僕は店構えにすこし臆した。


 通された席は個室だった。間接照明が鬱陶しい。





 明善が僕からメニューをひったくると、数秒ながめて、店員を呼んだ。


 店員が注文をとりにくると、明善はメニューを適当にめくりながら思いついたままに注文をする。二人で全部食べれるのかと疑いたくなるほど大量に注文しているように見えたが、僕は明善の注文には口を挟めなかった。


 注文を一通り終えると、メニューを僕によこした。


「なんか、今の以外で食べたいのある? 今日は俺がおごるからなんでもいいよ」


「大丈夫」


 僕は渡されたメニューを見ずに、言った。


 明善が僕に次に飲むドリンクはどうするかと訊いてくるたびに返事に困った。なにを頼んだら良いのかわからないのである。ドリンクメニューに載っているのはボトルのみで、そのボトルはとても値段が高く、そしてどのような味がするのか予想することができない。


 僕は明善にドリンクをどうするかと訊かれたら、「生ビール」と答えることしかできなかった。


 途中からは気を使ってくれたのか、明善はウイスキーのボトルを注文して、ハイボールにして飲んだ。


 僕は煙草を一息吐いてから訊いた。


「明善さ、仕事変えたの。なんだか高そうなスーツだよね。いくらぐらいなの」


 明善はスーツのジャケットの襟をながめながら言った。


「前の仕事はやめた。今は、師匠について色々と雑用やってる。勉強中って感じだな」


「師匠?」


「先輩に紹介してもらったんだ。色々とやってる人だからうまく説明はできないな。スーツもその人に買ってもらった。ただ、今は雑用やってるだけだけど毎月五十万くらいもらってる」


 僕は明善のスーツをまじまじと見た。明善の言っていることは理解できないけど、あまり詳しく訊く気もなくなってきていた。


「スーツ、いい感じだろ」


「うん」


「気に入ってるんだ」


「うん。いいね」


「今は無理だけどお前のことも紹介してやろうか」


 明善は首を前にだして僕の目を見ている。僕は耐えられなくなってグラスに視線を落とす。


「今は遠慮しとくよ」


「そうか。まあ気がむいたら、な」


 僕は今後明善にその師匠を紹介してもらうことはないんだろうなと思った。


 明善の着ているスーツは、一目見るだけで仕立ての良さがわかる。だがそのスーツを着ている明善には違和感があり、全然似合っていなかった。



 明善(あきよし)は、旨そうに牛肉の刺身をほおばっている。牛肉の脂が喉に染みて、その状態で煙草を吸うと煙がなめらかにはいってくるのだそうだ。



 テーブルに並べられた料理の数々に箸をつける。美味い。だが旨くない。牛肉の刺身、牛肉の刺身をシャリの上に乗せた肉寿司。ウニを使用した創作料理、肝をミンチにして、もう一度整形した固まり。とくに明善は牛肉の刺身を好んで注文していた。食べてはおかわりをして、また食べてはおかわりをした。


 牛肉はA5ランクの国産牛である。僕にはA5ランクの国産牛に対する知識はない。明善に訊いてみる気もおきない。


「僕には牛角のカルビとカルビ専用ご飯の組み合わせが一番かもな。この牛肉も美味しいけれど、僕にはよくわからないな。別ものだよな。情けない」


「うまいよな。カルビ専用ご飯専用カルビもなかったっけ」


 明善はしたり顔で言うと、ハイボールを舐める。つられて僕もハイボールを舐めた。値段の高いチョコレートの味がした。


 卑屈な気分になってきた。それは明善に勘定を払ってもらうことからくるものだと自覚していたが、払拭することができない。金銭には曖昧さのかけらもない。


 明善がハイボールを旨そうに飲めば飲むほど僕のハイボールが不味くなっていくような気がしてならない。


 明善は愉しそうに話し続ける。なにが可笑しいのか、自分の話で笑っている。僕はなぜだか程度のよい相槌を打つことに必死である。明善の気分を高揚させるように相槌を打たなければいけない気がしていた。


 久々に会ったからなのか明善の会話のテンポと僕の会話のテンポは微妙にあっていない。明善がそのことに頓着するようすはない。


 会話とはなんだったか。僕は心のなかで呟く。会話とは溝を埋めるもの。


 無性に噛み応えのある肉が食べたくなってきた。


 なんだか浅いな。ふと頭をよぎった。


 明善は愉しそうに話し続ける。酔いがまわって声が大きくなっている。たまに睨みつけるように僕に視線をむける。それも酔いのせいなのだろうか。僕にはわからない。


 明善の話は色々な方向に跳んでいった。そのどれもが僕の範疇をこえなかった。


 明善は自分の頭のなかだけで遊んでいる。具体的な言葉がでてくることはなく、目先の話題に夢中であった。


 料理はまだ半分以上残っている。腹がふくれたのか明善は一切料理に手をつけることはない。


 明善が微笑しながら僕を見た。


「金がなかったら、俺が奢ってやるよ。俺に金があるうちは」


 僕は小さな声で「ありがとう」と返した。


 なにか言葉を繋ぎたかったけれど、なにも思いつかなかった。


 その後、どれだけのあいだ店にいたのかは覚えていない。


 僕は明善の言葉に耳を傾けるのに必死だった。


 ハイボールをコンスタントにおかわりして飲んでいたはずだが、一切酔っていなかった。そしてどんどん目が冴えていった。


 勘定は明善が支払った。僕はお礼の言葉を口にすることができなかった。明善にそれを気にするようすは微塵もなかった。


 店の外にでる。少し空気が湿っぽい。控えめに深呼吸をすると空気の味がした。


 まだ終電までには時間がある。いつもならば二軒目に行くところであるが、僕は気分が乗らなかった。どのような理由で二軒目を断ろうかと思案していたとき、明善は背伸びをしながら言った。


「帰るか」


 少し芝居がかっていた。


 明善とは駅で別れた。





 最寄駅から自宅までの帰り道。だいたい歩いて十五分。


 僕は今日、なにをしていたのだろう。なにを感じ、なにを考え、なにを見たのか。


 店で食べた料理の味を思いだそうとするが、まったく思いだせない。


 まあ、むきになることではない。


 ワイヤレスイヤホンを耳に挿す。『THEラブ人間』というバンドの『大人と子供』という曲が流れる。


 その曲は僕の心を落ち着かせた。



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重い槍【短編】 疑わしいホッキョクギツネ @utagawasiihokkyokugitune

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