12日目 穴

 彼曰く、私から抜け落ちた、なにか。


 ***


 カバンに穴が開いた。いつも使っている、仕事でもプライベートでもフル活用している、ごく普通のカバン。

 フラスコ型で、真っ黒で、トートバッグ代わりにしている、少し小さめの。おあそこんも、本も、ノートもペンも、眼鏡ケースだって入れている。中には小さなポケットも付いていて、鍵や目薬などの小物も入れられる。一人で作業して過ごすのに欠かせない私のすべてが入っているのだ。

 このカバンはスマホと同じくらいに私だ。人間としての私を構成する要素が詰まっていると言っていい。

 これがあれば、私が私でいられる、そう思う。


 そんなカバンに穴が開いた。

 カバンの底。外側だけでなく内側にも。瞼の裏の隙間みたいに入り込める場所ができてしまっている。コンタクトを付けたまま起きた時に、カピカピに乾いたコンタクトが眼球に張り付いて肉皮と角膜の間に入り込んでしまう、あの場所。

 幸い、穴の存在に気付いてから失くしたものはないようだ。いつもの私の持ち物はすべてカバンの中に入っているから、穴が開いてしまったからといって使えなくなったわけではない。気に入っているもので、私も同然の物なのだから、裏切るはずもないだろう。妄信のようなそれが、隅っこに穴の開いたカバンへの無償の信頼になっている。


 そんな感情の裏に潜む、かすかな疑念、暗雲。

 このカバンは欠陥品なのか?それとも私の使い方が荒いのか。

 後者の可能性は十分にある。長時間肩にかけていると重いし、肩も凝るからと、時々手で持って歩いたことがあるが、そのたびに自然と地面と擦れてしまったこと数回。階段の上り下りの時にも、段差にぶつけてしまった記憶がある。会社や家についてカバンを置くとき、気を付けていても擦ってしまったことだってあるだろう。


 カバンはしょせん、モノ。人間みたく傷は治らない。修復業者に頼めばきれいに縫い直してくれるだろう。けれどそこまでする気にはなれない。他のカバンを買ってしまった方がいいのではないかと思うくらいには、モノに対して私は非情らしい。


 カバンに穴が開いた。私の持ち物は無事だった、安心はしている。

 けれど、もしかしたら私自身から何かが抜け漏れてしまっているのかもしれない。

 モノをいつくしみ、大切に使うべきという祖母のもったいない精神に感動した心かもしれないし、すぐに新品を買おうとして工夫しようという創意工夫かもしれない。あるいはもしかすると、自分の底にしまい込んで隠していた、大切な何か。

 失くしてはいけないと、本気で思っていたものが、零れ落ちてしまっているのかもしれない――。



 ただ一か所に開いてしまっただけの穴に対してどこまで本気になれるのか、試してみた一日でした。

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