5日目 『余命3000文字』感想レビュー
彼曰く、自分の命が小説の中にあったら。
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『余命3000文字』村崎羯諦
本屋に寄ったときに気になった一冊。気になったら手に取ってレジに進むまでが私の本屋ルーティンなのだから、もちろん買ってしまったのだけど。
ここ5、6年ほど、薄命の主人公像というのがよく取り上げられている印象。『君の膵臓をたべたい』『余命10年』『君は月夜に光り輝く』――。どれも読んだし、どれでも泣いた。日常めったに感情が揺れない私も、本の中の世界では感情が動くらしい。こういうのを感動と、人は呼ぶだろうか、なんて哲学的な考えになったりしてみたり。
そうした主人公像がありきたりに感じていた昨今、ついに余命の捉え方は文字単位にまでなったのかとタイトルを揶揄しながら手に取ったのが『余命3000文字』だった。3000文字でどんな物語になるのかと、半ば心配しながら楽しみにしていた。いったい誰目線なのか。
つい先日上げた、ショートショートについての本を読んでからの私は、ちょくちょくとショートショートの練習をしてみたりしている。だからこそ、と言っていいかはわからないけれど、3000文字の物語を書くことのシンプルさと大変さはわかっているつもりだ。単純なだけでは面白くない。少し不思議で、時には理解できないほど突拍子もない設定を加えてみて、事実と虚構の狭間を自由に泳ぐ魚を生み出す。水族館で自由に泳ぐ魚を見た観客が三者三様の反応を示すように、小説の感想も千差万別。それらを受け入れてなお無視できるほどに、自分の納得できる構成に仕立て上げるのは難しい。少なくとも私はまだそう思う。
そんな気持ちを裏切りつつ、面白さを展開してくれるのも、ショートショートの魅力なのかもしれない。この短編集が示すショートショートの可能性は、難しさの中に面白さを見出す、物語を作ることの楽しさに人を取り込んでいく、不思議な魔性さにある。
短編って不思議なもので、大した考えのない私でも、書けるかもしれないからやってみようかな、と軽く一歩踏み出してみようという気にさせてくる。
証券口座を作るのも、半年以上決意が揺らいだ保険の解約も、私には大きな壁だった。小説を書くというのも、いまだに大きな壁の一つだし、他の趣味についても同様だ。けれど、初めて見ればそんなこともない。大きな壁に見えるのは大きすぎる目標を見据えてしまっているからで、初めの一歩はどれも小さな段差くらいのものなのだ。道端の縁石を乗り越えるくらいに簡単な小さな運動、ジャブに過ぎない。何事も試しに叩いてみればいい、鬼が出るか蛇が出るか、対処する手はいくらでもある。ネット社会って言うのは便利なものよ。
自分の命が文字数だったら。彼氏彼女の関係にスイッチが足されたら。父の仕事が流れ星だったら。肉体から脱却して骨だけになったら。遺産目当てに結婚した相手がとんでもない長寿だったら。幼馴染に補助金が出るなら。
この世界には違う言葉の重ね掛けで変なものに生まれ変わるものがいくらでもある。実現不可能な代物でも、想像するのはいくらでもできる。自分の感情の思うまま、考えの赴くまま、際限なく広げられる自由な遊び場。
小説というのは、その遊び場をちょっとだけのぞかせてくれる、ただの入り口なのかもしれない。
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