28日目 本屋
彼曰く、あれも読みたい、これも読みたい・・・。
***
本屋に行くのが私は好き。
自分以外の誰かが落とした言葉を、ふいに誰かが拾っていく。
お互いが何者かも知らない作者と読者が、言葉だけを通じて想いを受け取ったり、想いを馳せたりする。
いつもは見ない景色、普段は見せない感情、目を向けない現実や理想を考える機会になる。
タイトルや装丁に興味を持って、本の背に指をかけ、ちょっとだけと思って本を開いてみると、知らない間に10分くらい読みふけっている。
結局買った方が早いじゃん、と思ったか、ゆっくりと本棚を離れてレジに向かう。
手には先ほどまで感じていた重みそのまま。
はじめは何の感情も見えなかった人が、少し朗らかな顔になってエレベーターを降りていく。
本屋は、新しい出会いの場所でもあると、ここに来るたびに私は思うのだ。
そんな甘い響きを思い浮かべるのに反して、男女的にも、単なる友人的にも出会いのない私が今、本屋の入り口に突っ立っているのには理由がある。
入り口と言っても、大型デパートの7階に位置する行きつけの書店はワンフロアをかこっているので、エスカレーターで上り切ったところが入り口となる。
機械の力で上昇しながら、本の香りが近づいてくるのを奥ゆかしく思っていた私は、入り口近くにある陳列棚前に、見慣れた背中を見つけてしまったのだ。
あまり見たくない背中だった。
がっしりとした筋肉質の体躯に似合わない、すらりと伸びた脚。
大柄な体を覆うように上半身に羽織ったファージャケットの上には、その人物性を表しているかのようにツンツンに髪の立てられた頭が覗く。
くわえて、筋肉を嫌というほど強調しているジーンズが、どうしようもなく私の陰キャ性を刺激する。
本能で分かる、この人間は肌に合わないと。
聞く人が聞けば一発で失礼だとわかる考えを巡らせながら、アメリカヤマシギのダンスを披露している私であるが、当該の人物と話したことがあるわけではない。
これだけ言っておいて、この人物の本性を私は全く知らないのだ。
私も人間なので、知らないなりに目の前のことを予想するわけだが、こう考えてしまうのには理由がある。
どの場所にも感情むき出しの人間がいるのは、50億人が暮らす地球上のこととしては当然のことだけれど、自分の近くにそういう人間がいると知ってしまうと急に世界が生きづらく感じてしまうものだ。
感情をひけらかして、自分の存在を主張する人々は、なぜか大体声と態度がデカい。
別に差別しているわけではない、断じて。
私も時々そうなるし、責められることもある。
でもそれがいつもとなると、ただの迷惑な人でしかないと思うのだ。
そう、その迷惑な人というのが、目の前の人物なのだった。
いつも行くカフェ、決まって16時以降の一番混む時間にやってくるその人物は、やたらと声がデカく、注文するときの態度もデカいのだ。
遠巻きに自分の席からその様子を見る私が直接害を被ることはないけれど、一度撒かれた感情の種は私のところに届くまでに大きくなって、静寂な店内の空気を乱す。
乱してくるものが私は苦手。
つまるところ、私はこの人物が苦手なのだ。
とはいえ、事実から連なる妄想が必ずしも現実と一致するとは限らない。
それに私の予想は大体自分に被害があるときしか当たらないことと、今のところ嫌気がさすほどの被害がないことを考えると、やっぱり私の想像は外れているのかもしれない。
だからと言って、うるさくしているのがいいかと言われると肯定して賛美して承諾する寛容さはないのだけど。
そろりそろりと、別の場所へ捌けようと考えているところで、当該の人物がくるりと振り返り、こちらに向かってきた。
突然のことにドキリとして、キバタンのようにその場で奇怪な動きをする私。
ここだけ見ると私の方がうるさいな、うん。
そんな自己分析に見向きもせず、例の人物は下りのエスカレーターに乗っていった。
それを見て私は、なんとなく自分のことを恥じた。
もう人のことをああだこうだと決めつけるのはよくないなと。
下りていく背中がやけに揺れているのを見ながら、私は目的の棚に足を向けるのだった。
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