21日目 津波
彼曰く、揺れたね、あの日も。
***
なんとなく眺めるYouTube。
オススメ欄には私の視聴履歴やGoogle検索履歴、登録している性別や年齢層などから、私が興味を持ちそうな動画が並べられるらしい。
いわゆるリスティング広告のようなもの。
キーワードに乗せられた消費者が必要のない情報やものに引っ張られる。
情報の暴力っていうのはこういうことか、と感じずにはいられない情報弱者の私。
世界にはびこるすべての物事は私の手の内にあるなんていうキャラクターが時々ファンタジーの中にいるけど、どんな頭をしているのだろうか。
解剖して頭の中身をのぞかせてほしい。
たぶん私の知らない、理解できない世界が広がっている気がする。
そして人の頭を切り開く知識も経験もスキルもない私には、目の前に転がってくる情報に踊らされるしかないのだ。
大量の情報を前にするとこんなにも私は無力なんだなぁ。
漫然と眺めていると、何度も見た動画も流れてくるし、関連した似たような動画も流れてくるし、そうじゃない動画も流れてくる。
自動再生というベルトコンベアで運ばれてくる動画の中にも楽しみを見出せるのは、果たして興味を持っているからなのか、それとも興味がないからなのか。
前者だとうれしいなぁ、なんてのんきなことを思いながら、興味のない広告が自動終了するのを待つ。
流れ始めたのはあの日の動画だった。
2011年3月11日、東日本大震災。
東北関東大震災、東北地方太平洋沖地震など、様々な名称で呼ばれる地震、またそれによって齎された災害。
多くの犠牲者を出したあの地震の日は、テレビもネットも大騒ぎだった。
当時地元にいた私も、椅子の上で暢気に昼寝をしていたところにやってきた突然の揺れにおっかなびっくりしたものだ。
あれからもう10年と半年が経った。
あの場所にいた人や仕事中に被害にあった職場の先輩たちから話を聞いた時にはない頭を振り絞って想像したけれど、結局実際の映像を見た方が早いということを当時も今も感じてしまう。
久しぶりに見た津波の映像は体を芯から冷えさせた。
黒々と渦を巻き、地上にあるすべてのものを飲み込み、押しつぶし、蹂躙していく津波。
高台に避難してその様を呆然と見ていることしかない撮影者と周りの人。
ズームされた港の船が水位低下と上昇に合わせて上下するたった10分ほどの1往復で何十年とかかって作られた街を消していく様子に思わずつばを飲み込んだ。
地震大国に生きることは、地震と向き合うことだと見せつけられる。
少し前にも大きめの地震があった。
大きな地震にしか気づかないだけで、報道もされない小規模地震は全国各地で毎日のように起きている。
いずれ来る巨大地震も、いつ来るかはわからない。
でもいつかは来るのだ。
備えておかないといけないんだろうなと思う。
そのとき情報の暴力だけでなく、自然の暴力にも飲み込まれないように。
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