25日目 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||まとめ
彼曰く、これがエヴァ、それでこそエヴァ。
***
そんなこんなで長いことシン・エヴァンゲリオンについて書いてきました。
途中までは自分の反応も込みで書いてましたが、
最終的にはほぼほぼあらすじをそのまま書くだけでした。
これを日記と呼んでいいものか。
この日記を書き始めて以来、日記と言うものの定義をずっと考えている私。
そんな私だから言いますが、
”日記なんて何を書いても許される、だって日記だもの”
と言うことです。
たかが日記、所詮日記。
私が私のために書いているもの。
どんなにつまらないものでも、私の世界の一部。
自分の思い通りになる数少ない世界。
自分の理想を叶えるための第一歩。
そんな一歩を踏み出すことを、思えば私はずっと避けてきたのかもしれません。
新たな自分を見つけるため、自分のやりたいことを叶えるため。
強欲さ、傲慢さ、意地汚さ、覚悟、末期の決意。
失敗しても、くじけても、落ち込んでしまっても、
弱い自分と向き合って、それでも生きる道を見つけて歩く。
歩き出すことが大切なのです。
シンジは劇中で全く正反対の人間に成長しました。
初めは父との対話を恐れ、自信がなく、世界を救う責任も負えない、
心が小さく、臆病で、誰に対しても後ろ向きな人間でした。
でも自分と同年代の人間、自分に期待している大人、
多くの意志に触れ、自分がやるべきこと、自分の居場所、
自分が守っていくべきものを数多く知ります。
自分の避けられない運命とともに。
最終的にシンジは自分の理想を叶えるため、
運命に向き合い、過去の自分を乗り越え、弱さを受け入れます。
すべてを守ることはできないけれど、
大切な人から命を貰い、戦う正義を貰い、生きる意味を貰った。
せめて与えられたものは死ぬ前にちゃんと活用して、
守りたいと思うもの守り、助けられるものを助けられるように。
失われてしまったものもあるものの、シンジはやりたいことを成し遂げました。
”自分はこれっぽっちの人間だ”と決めつけて、
限界を超えようとしない、小さな世界の閉じた生活。
それこそが彼の呪縛、いつまでも子供のままの原因だったのです。
14歳は思春期真っ盛り。
自己認知の中に他者認知も組み込まれ、
自分も他者も知らない、新しい自分の存在を知覚し始め、
自分だけのものだと思っていた世界が急に広がり始める頃。
急激な世界の拡大は、ときに人の心を押しつぶしてしまう。
立ち直れない人は、それこそシンジたちのように子供のままなのです。
今の子供たちはもっと多感で、大人の様相になるのも早いでしょう。
それでもきっと、抱えている悩みはある。
可能性の中の自分を見つけて、理想に近いものを選べるかどうか。
その人の命運を決めるのはそれぞれの選択。
より良き選択が、人生を豊かに、意味のあるものにしてくれるでしょう。
エヴァの終わり方について、これもかなり悩んだんじゃないかと思います。
嫌いではないですが、「こう終わらせたのか」と少し拍子抜けでした。
同じく観に行った先輩は「コレジャナイ・・・」と震える拳を抑えていました。
どうあれ感じ方も受け取り方も人それぞれ。
庵野監督がやり切りたかった形がすべてではありませんから。
最良の選択だったかはわかりません。
でも庵野監督がまだできる、作品を作る気概がある、という可能性。
新しい何かが見えたような気がします。
結局観客が色々と考察してしまう。
これがエヴァだし、それでこそエヴァ。
これで終わるのがさみしいです。
もっといろんな作品を観ようと思いました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます