19日目 災害

彼曰く、あのときの感覚は忘れることができない。


『日本沈没2020』を見ましたので、

私の覚えている災害についてをば。


実際の映像にあるほどの未曽有の大災害ともなると、

それはもう相当に運の悪い場合か、

もしくは巡り合わせで訪れる死の運命と思って、

私なんかは諦めてしまうでしょう。

まだ生きているということは単に運が良かっただけ、

忌憚のない言葉で述べるならばそう考えてしまいます。

きっとあの頃あの場所にいたら、

私はきっと命を落としていただろう。

あのとき旅行に行ってくるなんて言っていれば、

無情な波に押し流されていただろう。

報道番組で洪水や土砂崩れの映像を見るたびに、

どこか他人事のように感じてしまう反面、

「あの日」の感覚を思い出さずにはいられないのです。


東日本大震災。

2011年3月11日、午後3時ごろ。

東北地方の太平洋沖をマグニチュード9.0という、

観測史上最大、最悪の被害をもたらした大災害。

荒れ狂う波、粉々に崩れた家屋、なぎ倒され押し流されていく車や木々。

テレビを流れる映像はこの世のものとは思えませんでした。

まだ日の差す時間帯に、私はテレビ画面の前で、

宙ぶらりんの心模様で映像を凝視していました。

文字通り、口をぽかんと開けたまま。

言葉を発するべきかどうか、

色々な想いや考えが頭をよぎっては消えていって、

ただ見ていることしかできませんでした。


そのとき私はまだ故郷で中学生。

ちょうど高校受験を終え、自宅に帰り、

自分の部屋で面接の手応えを感じないまま、

質疑応答を頭で思い返していたところでした。

次の試験までどうしようか、

結果が早く出てほしいな、

今日の晩御飯はうんとおいしいものを食べたいな、

なんて呑気なことを思い浮かべながら、

勉強用のワークチェアに体操座りをして回っていました。


そんなときです。

突然、ドンッという揺れが来たかと思えば、

数十秒後には大きい横揺れが来ました。

すぐ横にあった棚からは教科書やトロフィーが転げ落ち、

乗っている椅子も不安定に揺れ、

あわやバランスを崩して倒れるところでした。

机の下に隠れるのが遅れましたが、

頭に何も落ちてこなくてよかったです。

幸い揺れはそれほど激しくなく、

収まったと判断したところで1階に降り、

何となくテレビをつけました。

家には私1人。

ひとまず家具や食器など、家のものが無事なことを確認して、

リビングに戻ってきてみると、

想像とは違う報道がされていました。

私が想像していたのは、

「太平洋沖の遠海部で地震発生」とか、

「小規模の地震が発生しました」とか、

字幕スーパーで流れるくらいのものと思っていたからです。


しかし実際には、

「東北地方沿岸で大型の地震が発生」

「津波が街を飲み込み、多くの家が流されていくのが見えます」

「原子力発電所にも被害が及んでいる」

「被害は東北地方だけでなく、関東都心部でも建物の損壊や液状化現象などが…」

など、聞き覚えのある単語と聞き覚えのない言葉で、

画面の字幕が慌ただしく変わっていきました。

その後もたびたび起きる余震に、

報道官が逐一状況を発表し、

地震以外の番組がなくなりました。

小さな余震が故郷まで届くことはありませんでしたが、

初めに体に感じた揺れの感覚が離れることはなく。

報道のたびに揺れたと勘違いして、

びくびくと膝を抱えていました。

その日以降、自主登校期間だったこともあり、

しばらく私はテレビの報道官と顔を合わせる日々。

両親や兄弟とも地震の話で持ち切りでした。

興奮と緊張と安堵と祈り。

いろんな感情が渦巻いて、

ただただ画面を見ていることしかできませんでした。

「災害」という単語を強く意識した瞬間です。

東海豪雨や阪神淡路大震災を経験した両親も驚いていましたが、

私にとっては初めての、

「なす術もないほどの自然の脅威」でした。


一度だけ、地震が起きてから東北地方を訪れたことがあります。

残念ながら福島第一原発やその周辺は、

怖さもあって近づけず、

結果ほとんど滞在することも叶わず引き返しました。

遠く見ただけでも、いまだに復興を続ける地に残る、

理不尽で無情な自然の仕打ち。

人間の作り上げた街と人々の心を抉った力は、

遠く離れて見ているだけだった子供の私の感情に、

恐怖を刻んでいたのです。

上京して以来、ときどき当時の関東の様子を聞きますが、

物流が止まるから物が買えない、

車は動かないし、会社も家もボロボロ、

何も手に付かない状態だった、と、

口々に大変な状況が飛んできて、

当時の労苦を伺えました。


必死の救助や日夜の努力、

懸命な復興活動もあり、

もとの生活を取り戻しつつあると聞きます。

『日本沈没2020』も、

新しい形で取り戻した日本という国で、

歩たちが力強く生きる描写で締めくくられています。

彼女たちが多くの人々の想いを胸に抱いて、1つの希望を頼りに歩んだように、

ただ1つ残った松が「奇跡の一本松」として人々の希望となったように、

生きるためには何かの存在が大きな力になることを、

私たちは知ったし、知っているはずです。

いつか起こる災害が、自らの死を導くものであったとしても、

またそこで生き延びることになったとしても、

大切なものは見つかるはず。

何かできることがあるはずなのです。


「あの日」、ただ報道を見ていることしかできなかった人間ですが、

私にも何かできることがあるはずだ、と、

考えられるようになったのは、

1つの成長だと思っています。

そしてそれを感じさせる「あの日」の恐怖を、

忘れてはならないと思うのです。

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