10日目 遠方

彼曰く、遠くに住む人と心は通じても、理解しあっているかは分からない。


「よろしくお願いします、失礼します」

受話器を置き、一息つく。

今日も苦手な電話の時間が終わった。

これほど苦痛を感じる仕事はない。

今日した会話で一番出てきた言葉のランキングをしたとしたら、

「すみません」

これが一番に間違いないでしょう。

よっ、悪いことしてないのについ口から洩れてしまう言葉No.1。

君ほど軽々しく出て行って、

大した重みもなく相手に届く言葉もないでしょう。

ときには、「あ、社交辞令だな」と思われたり、

「絶対悪いと思ってないな」と口に出されたり、

「や、もういいです」と、率いる言葉を拒否されることもある。

言い訳くらいさせてくださいな。

こちらにもいろいろとやるべきことがあって、

いろいろとイレギュラーなケースが発覚して、

いろいろな人や部署に確認を取らないといけなかったんですから。

私がその辺のもろもろをやってなかったらこのプロジェクト破綻してましたよ?

電話越しでもみんなの考えていることや状況が、

目に見えて伝わってくれればいいのに。

そう思わずにはいられませんね。


なにかの動画でこんな映像を見た。

ある恋人が定期的に連絡を取り合っている。

2人はそれなりに裕福で、高校の頃からの付き合い。

一方の上京を境に生活は一変し、会うことも叶わず3年が経つ。

2人を支えるのは近況報告の電話と手紙だけ。

電話は決まった日にち、決まった時間。

声を通して2人の恋仲を確かめ合う。

手紙は毎月2~3通、最近の出来事を写真に収めたり、

贈り物を送ったりして愛を育む。

遠くても確かにつながっている2人。

愛の形は様々でも、通じ合うことはできるんだなと思った覚えがあるのです。

しかしそれはまやかしの産物。

創られた虚像、いっときの夢まぼろし。

女が偶然恋人の住む地方に訪れたとき、

どうしても会いたくなった女は恋人の住む場所を訪ねます。

そこは電話で聞いていたのとは全く逆の様子でした。

優れた外観、立派な庭、清潔整頓が徹底された内部・・・。

そんな場所は目の前にはありません。

寂れた見た目、雑草の茂る貧相な庭、おんぼろでところどころ崩れている内装。

どうみても貧乏人以下の住む、家とも呼べない代物。

不健康そうなホームレスが住んでいればまだいい方かもしれない。

そう思えるほどの場所が恋人の住所でした。


彼は嘘をついていたのか。

女はそう思わざるを得ません。

手紙での近況も楽しい出来事ばかり。

彼らしく面白いことをしているシーンや、

仲間との旅行、イベントでの成功を収めた写真や動画。

ときどき知らないかわいい女性と写って楽しそうに笑っているのを見て、

ちょっとだけ妬ましく思ったり。

キーボードで打たれた文字は淡白でも、

彼が書いていると想うだけで、言葉の重みが違うと感じたのです。

なにより電話越しに聞く声はハリがあって健康的に思えたし、

恋人を想っての言葉は男らしく、頼りがいがありました。

彼の声を聞いているだけで、彼のことすべてが分かっていると思えたし、

向こうもきっとそうだと思っているに違いない。

愛に勝るものはないんだという確信めいた情愛が、

遠い地に住む2人を繋げていると感じていたのです。

・・・少なくとも女の方は。


結局男の方が、上京した先で不運の事故にあい、

写真などの捏造を友人にお願いして連絡を続けていました。

そして実は女も身内の不幸があり、親戚の伝手で引っ越してきたことが発覚します。

男の入院先で対面した2人は互いの状況を何もわかっていなかったこと、

嘘をついてまで安心させようと真実を言わなかったことを謝り、

これからは隠し事なく素の自分を見せて、穏やかに暮らそうと決めます。


互いの状況や本当に考えていることなんて、

実際に顔を合わせて話しても、腹に一物抱えていない限り分かりっこない。

電話越しなんてもっての外なのです。

真剣な話をしながらゲームをしていたり、

ばかげた話をしながら、期限の迫る書類を必死に書いていたり。

どこかしらに矛盾は起きてくるもの。

齟齬も起きるし、勘違いもあらわになってくる。

気付いたときにはたいてい遅い。

次善の策も腐敗しかけて、また新しく対策を練るしかなくなってしまうのです。

そうならないようにするには、日ごろから話すことに慣れて置き、

いついかなる状況でも冷静に物事を見れる目が必要なのです。

切羽詰まった状況、遭遇したことのないイレギュラー、

突然の方針転換、想定と違う運行状況。

常に変化する状況に対処するには心を通わせるだけでなく、

互いの状況を理解して、自分が執るべき行動をくみ取ることが大切でしょう。

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