21日目 メロンパン

彼曰く、たまの自分へのご褒美は必要だよ。


いつもと違う帰り道。

夕日が傾くこの時間。

人通りの増える商店街の一角に、

お気に入りのお店がある。

通常この時間はお客さんが減る時間、

競合店とは違うやり方で、

帰宅途中の人々の心をつかむ、

この近辺で随一と話題のパン屋さんだ。

僕はこのお店決まった時に通っている。

パン屋通いの一般リーマン。

男の僕が言うのもなんだが、

ここのメロンパンが最高にうまい。

豊富な種類が並ぶ中でも、

このメロンパンだけは外せない。

僕の人生で自慢できることは二つ。

楽しい職場に入れることと、

このメロンパンに出会えたことだ。


楽しい職場にも波はある。

忙しい時期と暇な時間。

お呼びがかからないタイミングだと、

寝てても気づかれないくらいに暇。

ひとたび企画が動き始めれば、

てんやわんやのお祭り騒ぎ。

決して給与はよくないけれど、

自分が心から楽しくて、

「入ってよかった」と言えるくらい、

今の仕事に満足している。

つらいことももちろんあるし、

大変で理不尽な仕事を押し付けられもする。

でもそれをすべて乗り越えた先に、

何物にも代えがたい達成感と、

仲間と分かち合える喜びがある。

人付き合いは衝突ばかりで悩ましい。

でもその中で発見できる驚きがある。

厳しい上司の意外な趣味、

同期のライバルとの共通点、

仕事の早い先輩が早起きが苦手だったり、

早上がりでサボるイメージの同僚が食通だったり、

見えていないところが見えてくる。

いろんな刺激や体験を経て、

人のいろんな面を知ることができる。

一人で閉じこもっているだけではわからない。

人と触れ合うことで知る喜び。

そういうものを含めて、

今の生活に満足している。


仕事の影響もあると思うが、

生活にも当然波はある。

外食で済ませるときもあれば、

時間を作って弁当の日もある。

ご飯を我慢するときもあれば、

お菓子を大量に買い込むときもある。

こういう生活だと健康が心配だ。

それも考慮の上でやっているからいいけれど。

我慢がままならないときは、

切り札としてあそこに行く。

普段の道から少し外れて、

にぎやか盛りの商店街。

時間的には混まないはずでも、

この店だけは毛色が違う。

帰宅で疲れた心を誘う、

魅惑的で香ばしい香り。

何も口にしたくないときでも、

鼻を抜ける誘惑には負ける。

気づけば素敵な店の中。

数々の小麦のにおいに包まれて、

楽しいセレクションが今始まる。


学生も多いこの時間。

商店街よりも混んでいる店内で、

今日のお供を決めに行く。

数あるパンの海の中、

僕の耳に届く甘い声。

カレーの舌を喜ばせる刺激も、

ウインナーの歯ごたえのある香りも、

トンカツの肉々しさも、

フルーツのフレッシュさも、

僕の耳には届かない。

セレクションとは形だけ、

決まり切ったランウェイをただ進む。

多くの勧声に囲まれながら、

ただ颯爽とゴールに向かう。

そこに待つのはメロンパン。

世界で一番好きなパン。

何にするかを悩む声も、

お釣りはいくらの声も見えない。

見えるのはただただメロンパン。

クッキー生地と大きめ砂糖。

かじるとザクザク快感歯ざわり。

中身はしっとりふっくらもっちり。

小麦の香りを下地に置きながら、

どこかフルーツに似た甘み。

後味に感じるのは幸福。

思い浮かぶ会社の同僚や友人たち。

そしてみんなで食べた思い出のメロンパン。

食べる前からよみがえる喜び。

騒いで疲れた文化祭の夜。

疲れて迎えた職場での朝。

人生の谷が来たとしても、

気分だけは谷に落ちたくない。

山にいる時のご褒美には、

いつもメロンパンが待っていた。

だから僕はメロンパンを求めて、

このお店に足を運ぶ。

あの時感じた喜びを忘れないために。

山あり谷ありの人生を、

すこしでも気分よく乗り越えるために。

義務も我慢も仕事も生活も忘れて、

今日も僕はメロンパンを買う。

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