9日目 森

彼曰く、森は全てを知り、全てを受け入れ、全てを流す浄化装置だ。


どこまで行っても木、木、木。

どれに触っても木、木、木。

どれを見ても木、木、木。

全部が全部木、木、木。

何も見えない聞こえない。

自分以外の命がない。

ここならすべてを終えられる。


インターネットですべてつながるこの世界。

生まれたときから電気的に管理されていた。

すべての行動を記号的に記録され、

奴隷のように番号を割り振られ、

書類に無造作に押される印の意味も分からぬうちに、

地獄から地獄へ移される。

猛々しい業火も、燃え盛る水も、血の滴る木も見当たらない。

金属とコンクリートとプラスチックで覆われて、

仲間と呼ぶほどの仲間もいないまま、

違う地獄のたらいまわし。

鬼が一つの酒を飲みまわすかの如く、

乾いたところに運ばれる。

宴はまだかと叫ぶ鬼が隣の宴に割って入り、

光と闇を混ぜたままいつまでも宴を続けている。

そして血も汗も涙も出ないままで、夢のような地獄を連れまわされる。

空から注ぐ光は消えて、代わりに赤外線光が全身を濡らす。

いつまでも乾かないその肌を拭いても皮膚がめくれるだけ。

血は出ないし痛みもない。傷の上に瑕がつく。

何もかもをなくされたまま、ただ赤い光だけが身を覆う。

ここは世界の地獄の坩堝るつぼ


夢の終わりが見えぬうちに、誰かが一言呟いた。

「赤くない世界を見てくるよ」

誰かはそのまま歩いていく。

赤い光を浴びたまま、遠く遠くへ進んだころ、

不意に光がぷつりと切れた。

しばらくたって光が集まり、近く近くに迫ったとき、

その中にいたのは誰かとは違う誰か。

違う番号が割り振られ、誰かのいた地獄に回される。

埋まった穴が埋まると地獄の雰囲気はより激しくなる。

赤は濃く、さらに濃くなり、光もより強くなる。

焼かれるような光を受けても、悲鳴も悶絶も上がらない。

構造上あるはずの声帯は生まれた時点で抜かれてる。

必要なのは秩序と安定だと叫んだ鬼たちが、

区別なくすべてを抜いているのだ。

夢が終わるまで同じことの繰り返し。

尽きない野望は真紅に染まる。


そして、また一人夢から覚める。

「赤くない世界を見てみたい」

声は上がらないはずなのに、その思考で頭がいっぱいになる。

立って、歩いて、離れて、走って、

赤を赤と認識できなくなるころ、すべての感覚が体に還る。

赤い光は届いておらず、金属もコンクリートもプラスチックもない。

すべてが緑に遮られ、鬼の叫びも聞こえない。

自分以外の命のない場所。

誰も見ていないはずなのに、誰かに守られているような不思議。

緑の隙間から差す白は暖かく肌を舐めるけれど、不快ではない。

耳をすませば誰かの呼吸が語りかける。

目を開けてごらん、大丈夫だから、と。

目に飛び込んでくる鮮やかな緑は優しく、いつか感じたぬくもり。

そのぬくもりが嬉しくて、なぜだか景色がぼやけてくる。

このまま死んでしまうのか、それはそれでいいかもしれない、

けれど、せめてこのぬくもりだけは、もう少しだけ感じていたい、

誰だかわかりませんが、しばらくそっとしておいてくださいませんか。

問いにぬくもりは動かない、ただ同じぬくもりを返すだけ。

それもなぜだか嬉しくて、たまった赤が抜けきるまでそこにいた。


誰かの近づく音がする。

ああ、あの人も赤いまま。

このままではかわいそう。

でもここまでくれば大丈夫。

よくぞここまで来てくれた。

目を開けてごらん、大丈夫だから。

いつかのときと同じように。

このぬくもりが、あなたを許すでしょう。

そのときが来るまで、変わらぬぬくもりを与えましょう。

どうかあなたの魂が、ぬくもりと同じになりますように。

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