第22話 交際1ヶ月。

 翌日、俺と美咲みさきはいつものようにバイトをした。


 美咲の様子は相変わらずで、やはり元気がないように見えた。


「お先に失礼しまぁす」


 閉店作業を終えると、美咲はいち早く帰り支度をして、出て行こうとした。


 いつもなら声を掛けてくれるのに。 

 まるで俺を避けているかのようだった。


 そんな美咲を、俺は引き止める。


「美咲、ちょっと待ってくれるか?」


「す、すみません私、今日はひとりで帰りたくて……」


「大事な用があるんだ。だから、ちょっとホールの方で待っててくれるか?」


「は、はい……わかりました」


 俺が少し強めに言うと、美咲はしぶしぶといった様子で頷いた。


 それから俺は美咲がホールの適当な席に座るのを確認すると、まだキッチンにいた店長を尋ねる。


「店長」


「準備はできているよ」


「ありがとうございます」


 優しく微笑む店長からを受け取って、俺は美咲の元へ向かった。


 


✳︎ ✳︎ ✳︎




 ホールへ行くと、そこでは美咲が少し不安そうに、ちょこんと席についていた。


 さっきの物言いは、少し不安にさせてしまっただろうか。でも、あんなふうに言わないと美咲は待ってくれないと思ったから。


 俺は出来るだけ優しく、愛しい彼女に声を掛ける。



「美咲」


「せんぱい? な、なんですか? 大事な話って……」



 こちらを振り向く美咲。


 疑問を投げかけながらも、美咲の瞳は俺が持つそれに止まった。


 俺は美咲の元まで歩いて行って、美咲の座るテーブルにそれをそっと置く。



「お祝いだよ、美咲」


「お祝い……ですか? これ、ケーキ……」


 そう、俺が持ってきたのはショートケーキだ。


 店長に頼んで、今日の分を残しておいてもらったものだ。


 俺と美咲の分で2切れ分。俺はそれを両手にひとつずつ、お皿に乗せてやってきた。



 ————あの時の美咲のように。



「ごめんな。忘れてて。先週は俺と美咲が付き合い始めて、1ヶ月の記念日だった」


「えっ、せんぱい……気づいてたんですか……?」


「美咲の様子がおかしかったからさ。店長の助けもあってやっと気づけたよ。情けない彼氏ですまん。もし許してくれるなら、数日遅れのささやかなパーティーといかないか?」



 俺がそう言うと、美咲はくりんとした目でこちらを見つめた。


 そしてその瞳が涙に煌めいて。


 次の瞬間。それは決壊した。



「せんぱぁい……せんぱぁぁあいっ!」


「うわっ。ちょ抱きつくな! まだケーキひとつ持ってんだぞ!」


「だっでぇ……嬉しくて、うれじくてぇ……!」


「だから抱きつくなっ、頭を擦り付けるなぁ〜〜! ケーキが落ちるだろぉ!?」


「ゔぇぇぇぇぇん!!」


 それからしばらく、美咲は俺に抱きついたまま泣き続けた。


 俺は抱きつかれていることに対するドキドキと、泣かせてしまったことへのドキドキでどうにかなってしまいそうだった。


 でも美咲は「嬉しい」と言っていた。だから、俺がしたことは間違っていないはずだと、そう思う。

 

 美咲は俺の制服が涙と鼻水でびちゃびちゃになる頃、ようやく泣き止んだ。


 そして美咲は赤くなった瞳のまま、俺に向き直る。


「せんぱい」


「どうした?」


「私の方こそ、ごめんなさい」


 美咲は姿勢を正して、俺に頭を下げた。


「せんぱいは受験生だから。わがままなんか言っちゃいけないってわかってるんです。でも、寂しくて。せんぱいが遠くなった気がして。今のままだと、せんぱいの前でしっかり笑える自信がなくて。変な態度をとってしまいました」


 美咲は本当に申し訳なさそうに、また泣きそうな声音で言う。


 だけど美咲は悪くない。


 悪いのは情けない俺だから。


「いいよ、べつに。それにさ、して欲しいことがあったらどんどん言ってくれよ。それをわがままとは思わなくていい。受験生って言ってもまあ、彼女のための時間くらいどうにかするし」


「せんぱい……」


 小さく声をもらす美咲に、俺は情けない言葉の続きを紡ごうとする。


 こんなこと言わなくても通じ合えるのなら、それがいいのだと思う。だけど、俺たちはまだお互いに恋愛初心者だから。


 言葉にしないとわからない、伝わらないこともあるのだろう。


 だから話すことにした。



「俺はさ、恋人は愚か、人間関係さえも壊滅的だからさ。これからもたくさん間違えるし、気づけないこともあると思う。だからそんなときは、叱ってくれ」


「そんな。せんぱいを叱れませんよ」


「いいんだよ、恋人なんだから。それに、元々俺たちはお互いに先輩で後輩だ。遠慮はいらない。そうだろ?」


 俺にとって美咲はバイトの先輩で、学園の後輩。


 美咲にとって俺はバイトの後輩で、学園の先輩。


 そして今は、お互いがお互いの恋人だ。


 だから遠慮なんかいらない。


 そんな関係を築いていけたらと思う。



 その想いは美咲に伝わったのだろうか。


 美咲はやっと笑ってくれた。

 およそ1週間ぶりに見る、花が咲くような笑顔。


 その花を咲かせたまま、美咲は言った。



「あは♪ そうですね。だったらどんどん叱っちゃいます。『コラッ!』って。それでいいですか? せんぱい♪」



「ああ、バッチリだ」



 俺たちは1週間ぶりに笑い合った。


 それはとても幸せで、安心する時間で。

 

 そのあと、俺たちは甘い甘いケーキをつつき始めたのだった。






〜〜〜〜〜〜





 初めての恋人。交際1ヶ月。

 幸せで、だけどまだ慣れないことも多い時期。お互いに少しずつでも、歩み寄っていけると素敵ですね。

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