第19話 母と彼女。

「なんだワタシはてっきり遂に誘拐でもしてきたものかと〜」


「するわけあるか!」


 事情説明をすると俺の母・和恵かずえは「わっはっは」と大きく笑った。


 場所はリビングのテーブルに移っている。


 母と美咲が向かい合わせに座っていて、俺が美咲の横だ。


 美咲は例の如く先程までの余裕など吹き飛んで、今までにないほど縮こまっている。


 俺だって意味わかんねえよ。なんでいきなり彼女を母親に紹介せにゃならんのだ。

 

 そういうのはまだ早いと思うのです!



 俺は高笑いして気分の良さげな母を他所に、小声で美咲に語りかける。


「(おい、大丈夫か?)」


「(だ、大丈夫なわけないですっ。いないって言ってたじゃないですかぁ〜!)」


「(しょうがねえだろ、早上がりになったらしいんだから)」


「(うぅ〜〜〜〜。私、もう帰っていいですか……?)」


「(いや、ここで帰ったら心証悪いだろ……)」


「(ですけど〜、そうですけどぉ〜〜)」


「(すまん。早めに切り上げられるようにするからさ)」


「(……わかりましたぁ〜)」



 俺たちがこそこそ話を終えると、母は特に気づいた様子もなく話始める。


「まさかあんたがこんなに可愛い彼女さんを連れてくる日が来るなんてねえ。友達すら連れてきたことがほとんどなかったのに……。お母さん嬉しいよ……」


「いやしみじみとしなくていいから」


「……そうかい? でも嬉しいねえ。あ、お嬢さんお名前はなんていうんだい?」


 涙をちょちょり出していたかと思うとぱっと切り替えて、母は美咲に照準を定める。


 俺を相手にしてもつまらないと思ったらしい。


「ひゃ、ひゃい! わ、わたくしっ、しぇ、しぇんぱいのっ、じゃなくて、直哉なおやさんとお付き合いさせていただいていますっ、美咲結愛みさきゆあと申すものでございます、です!」


「(おい言葉遣いおかしくなってんぞ)」


「(そ、それはスルーしてください!)」


 またも小声で言い合う俺たち。


 それはそうと、「直哉さん」と初めて呼ばれて少しだけドキッとした。


「結愛ちゃんかぁ〜。可愛い名前ねぇ〜」


 やっぱり俺たちの小声での会話なんて意に介さず、ただただご満悦そうな母。


 そんなに嬉しいものなのかなぁ……。息子としてはよくわからない。


 そんなことを思ったのも束の間。

 そこからはもう母の独壇場である。


 母から寄せられる無数の質問が美咲を襲った。


 何歳であるか。誕生日はいつか。家族構成は。好きな食べ物は。将来の夢は。息子とはどこで出会ったのか。息子のどこが好きなのか。どっちから告白したのか。キスはもうしたのか。などなど。


 下世話なものまで色とりどりだ。


 俺が口を挟もうとすると「ワタシは結愛ちゃんと話してるの!」みたいなことを言われるため、俺はしどろもどろになる美咲をたまにサポートすることくらいしかできない。


 しかし母は俺と違ってコミュニケーション能力には優れている方だ。


 しばらくする頃には、美咲の緊張もほぐれていった。


 普段通りの彼女を見せることができて、俺も少しだけ安心した。


 それから母も満足しただろうと思う頃、俺は助け舟を出すことにした。



「美咲、そろそろ帰らないとなんじゃないか?」


「え? あ、はい。そうかもしれません」


「ええ〜。遠慮しないでお夕飯まで食べていっていいのよ? 結愛ちゃん」


「ごめんなさい。お誘いは嬉しいのですが、家でご飯を作ってくれてると思いますので」


「そう? それなら仕方ないわねぇ〜。でも、またいつでも来てちょうだいね。おばさん、結愛ちゃんともっと話したいわ」


「は、はいっ。ぜひ!」


「うん。あと、それとね、結愛ちゃん」


 優しく笑いながら母は一度言葉をきると、居住まいを正す。


 そして深く頭を下げた。


「息子を選んでくれてありがとう。不出来な息子ですが、よろしくお願いします」


「おい、やめろって。そういうの」


 俺は堪らず口を挟むが、母は全く微動だにしない。


 美咲は一瞬、何やら驚いたかのように瞳を揺らした。


 しかし美咲はすぐに表情を和らげ、いつも俺に見せてくれる花が咲くような笑みを浮かべて言った。



「お任せください。お母さま」




✳︎ ✳︎ ✳︎




 彼女は送り届けるのが当然だと豪語する母に従って、俺たちは夕暮れ時の歩道を歩いていた。


 美咲の言うことにも従って、送るのはあの日と同じ別れ道までだ。


「今日はありがとな、母さんの相手してくれて」


「いえいえ。びっくりしましたけど、私も楽しかったです」


「そうか?」


「はい。せんぱいのお母さまとも仲良くなれました」


「それならいいんだけどさ」


「私、また来てもいいんですよね……?」


「もちろん。まあ、母さんはいるか分からないけどな」


「よかったです。あ、今度はせんぱいがウチに来ますか? 歓迎しますよ?」


「え、い、いやそれはまだ心の準備が……」


「え〜、私だってまったく準備なんて出来てなかったんですよ?」


「うっ……それはまあ、うん。後々な。考えておくよ」


「はい。よろしくお願いしますね♪」


 嬉しそうに笑う美咲に、やっぱり俺は苦笑いだ。もし美咲の両親に会おうものなら、プレッシャーに押し潰される自信がある。


 いや、だってね?


 俺がもし美咲の父親だったらさ。こんな可愛い娘がいたらさ。


 その娘が何処の馬の骨かも分からん彼氏を連れてきたらさ。


 とりあえずその彼氏を殴るもん。


 つまりは俺が美咲宅へお邪魔するということは殴られる覚悟をするということ。


 いやあ……怖いなぁ。


 美咲の両親が不在であることを祈るばかりだ。


 そんな情けないことを考えつつ、でもいつかは、美咲の暮らす家にお邪魔してみたいと思ったのだった。

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