二 家族

「にーに。朝だよ。朝御飯できてるよ」 

 不意に耳に入って来た声を聞いて、啓介は寝ぼけながら、うるさいな。さっき寝たばかりなのになんだよ。と思うと、頭を掛布団の中に引っ込める。

「にーに。また朝までゲームやってたんでしょ。お母さんに言っちゃうからね」

「母さん? 母さんは、ええと、今日は日曜だから朝から仕事だろ」

 啓介はまた耳に入って来た声に言葉を返す。ああ。そっか。父さんが死んでから美羽は、一人で御飯を食べるのを嫌がるようになったんだった。父さんが死んでから、まだ三年だもんな。しょうがない。起きるか。啓介はそんなふう思っていながらも、再び眠りの中に落ちて行く。

「啓介。俺がいなくなったら、美羽と母さんを頼むな。こんな事頼んで、ごめんな」 

 病院のベッドに寝ている父親が、ベッドの横に座っている啓介に向かって言う。

「父さん。嫌だ。父さん。死なないでよ」

 啓介は涙を流しながら言い、父親の手に縋り付く。

「俺だってお前達を残して死にたくない。だが、こればかりはしょうがない。運がなかった。まさか、PSが、この都市の中に入って来るなんて」

 そう言った父親が咳き込む。

「父さん大丈夫?」

「ああ。大丈夫だ。啓介。済まないが、母さんを呼んでくれ」 

 啓介の言葉を聞いた父親が、苦しそうな表情をしながら言った。

「分かった。じゃあ、母さんと美羽を見るの変わるけど、俺が戻って来るまで死なないで。絶対に死なないでよ」

 啓介が言うと、父親が弱々しい笑みを顔に浮かべる。

「分かった。俺は石にかじりついても、生きる事を諦めない。お前が戻って来るまでは絶対に死なない」

 父親の言葉を聞いた啓介は、うん。と言って頷くと、病室を出る。廊下を少し歩き、自動販売機などのある小さな喫茶スペースに行った啓介は、そこにあるソファに座っている母親と、母親の膝に縋り付いて泣きじゃくっている美羽に向かって声をかけた。

「もう。にーに。早く起きて」

 一際大きくなった美羽の声と、どすんという音ともに、腹部に強烈な衝撃と痛みとを感じた啓介は、一瞬にして眠りから覚めると、掛布団から頭を出す。

「おはよう。にーに。にーにの所為で、美羽、物凄くお腹が空いちゃった」

 啓介のお腹の上に乗ったままの美羽が、生まれた時からずっと伸ばしている自慢の黒髪で結っている、ツインテールを揺らしつつ啓介の顔を覗き込むと、円らな黒色の瞳をかわいく細めて、にへっと笑ってから声を上げた。

「あのな。このお腹に飛び乗る起こし方はやめろって何度も言ってるだろ。お前ももう九才なんだぞ。かなり重いから。内臓とか破裂してにーに死ぬから」

 啓介が言うと美羽が、起きないにーにが悪いんだ。と言いながら啓介のお腹から降りる。

「にーには、美羽が妹だからって馬鹿にしてる。美羽だって女の子なんだよ。重いとか言っちゃいけないんだよ。だからにーにには彼女ができないんだよ。ふんっだ」

 美羽が更にそんな事を言い、ぷいっと顔を横に向けた。またませた事を言って。何が彼女ができないんだよ、だ。大きなお世話だ。と思いながら啓介はベッドから出る。箪笥の傍に行き、寝間着から着替えようと寝間着を脱ごうとしたが、美羽がまだ部屋の中にいると思い、啓介は手を止めた。

「美羽。先に下に行ってろ。着替えたらすぐ行くから」 

 啓介の言葉を聞いた美羽が啓介の方を向いた。

「えー。にーにの裸見たいのにー」

 啓介は美羽の思わぬ言葉に目を大きく見開く。

「ええ!? 何言ってんだ? お前、どうした?」

 啓介は美羽の顔を見つめると、急にこんな事を言うなんて、美羽はどうしたんだろう。と心の底から心配しながら聞いた。

「この前公園に変な本が落ちてたの。裸の男の人と裸の女の人の絵とか写真とかがたくさん載ってるの。美奈ちゃんがそれを見ながら、今度にーににこうやって言ってみなって言ったの」

 啓介は美羽の言葉を聞いて盛大に溜息をついてから、子供って恐ろしい。その子は何を考えてそんな事を言ったんだ? 美羽がどんな子と遊んでるかチェックしないと駄目かな。母さんは忙しいし、父さんに美羽と母さんの事頼むって言われたんだから、俺がしっかりしないと。と思った。

「あのな。そういう事は美羽にはまだ早いの。それと公園に落ちてる本はこれからは読んじゃ駄目。後は、その美奈って子、今度うちに連れて来な。その子にもちゃんと言わないと駄目だから」

 啓介は少し怒ったような表情を作りつつ言う。

「美奈ちゃんは転校して来たばっかりなんだよ。えっと、えっと、えーっと、第七ドーム都市小学校からだったかな?」

 美羽が一生懸命思い出しながら言った、第七ドーム都市小学校という言葉を聞いた啓介は、第七ドーム都市って確か? と記憶を探り始めた。

「にーに? にーに? どうしたの?」

 何も言葉を返して来ない啓介の事が気になったのか美羽が言う。

「ああ。なんでもない。そっか。転校して来たばっかりなのか。じゃあ、猶更うちに連れて来な。仲良くしてあげないとな」

 そうだ。第七ドーム都市って確かPSとPS結合体の所為で壊滅的なダメージを受けて、最近放棄された都市だったよな。その子はその都市の生き残りって事だよな。ちゃんと言う事は言うにしても、その美奈っていう子には優しくしてあげないといけないな。と思った啓介は、今度は自然に優しい表情なりながら言った。

「急に、にーにが変になった。美羽、先に下に行く」

 美羽が言うが早いか、だだだっと駆けて啓介の部屋から出て行く。

「なんだあれ? 変になったってなんだよ。ドア、開けっ放しだし」

 啓介は独り言ちてから部屋のドアを閉じると、なんか朝からちょっとへこむ話だったな。でも、第七ドーム都市の生き残りって、地下都市に皆避難したんじゃなかったのか。そんなふうに聞いてたけどな。と思いながら寝間着から普段着に着替えた。

「御飯にしよう」

 二階にある自室を出て、一階にある居間に行きドアを開けると、朝食の食欲をそそる良い匂いに包まれながら、啓介は美羽に向かって声をかける。

「啓ちゃん。おはよ」

 啓介の言葉に返事をしたのは美羽ではなく、仕事に行っているはずの母親だった。

「あれ? 母さん、仕事は?」

 啓介は言いながら居間に入ると、居間の真ん中にある食事用のテーブルを囲んでいる四つの椅子の一つに座っていた美羽が、嬉しそうに微笑んだ。

「今日は、お母さんは休みだったのでした。だから今日は皆で一緒に御飯を食べるのー」

 美羽がはしゃいだ声を上げる。

「もう、みーちゃんったらはしゃいじゃって。啓ちゃん。いつもごめんね。母さん仕事の所為で忙しいし日曜もほとんど家にいないから。一緒に御飯を食べられる時はあっても、皆揃ってこんなふうにゆっくり食べられる時ってあんまりないもんね」

 母親が優しい笑みを顔に浮かべながら言い、美羽の傍に行くと美羽の頭をそっと撫でる。

「日曜が休みなんて珍しいね。今日は美羽と一緒にいてあげなよ。買い物とか家事とかは俺がやるから」

 啓介は母親と美羽の傍に行きながら言う。母親が空いている方の手で啓介の頭を撫でた。

「でも啓ちゃん新しいゲームを買ったばかりでしょ? 昨日も徹夜でやってたみたいだし」

 母親が、ちゃんと寝ないと駄目だぞー。と言いたそうな顔をしつつ言ったので、啓介は徹夜してたの気付かれてたんだ。とちょっと戸惑った。

「なんかハマっちゃって。寝る機会を失ったというか」

 啓介は困った顔をしつつ言った。母親が声を上げて笑う。

「気を使わなくって良いわよ。買い物とか家事とかをしながらだって、みーちゃんとは一緒にいられるんだから。啓ちゃんこそ今日はゆっくりして。啓ちゃんにもいつも大変な思いさせてるんだから」

 母親の言葉と声と表情から、本当にいつもありがとう。という気持ちが伝わって来る。

「じゃあ、皆一緒が言い。買い物とか家の事とか皆でやろう」

 美羽が椅子の上で立ち上がると、大きな声を出した。

「もうみーちゃんったらいきなり立ったら危ないわよ」

 母親が美羽の事を椅子から落ちたりしないようにと、軽く抱きながら優しくたしなめる。啓介は母親と美羽とのやり取りを見ながら、今日は二人と一緒に一日過ごすか。と思った。

「母さん。美羽。御飯食べたら商店街まで買い物に行こう」

 まずは買い物に行って、その後は家の中の掃除かな。と思いつつ啓介は言った。美羽が、やったー。と声を上げてはしゃぎ、母親が、啓ちゃんありがとね。と言う。

「戸締り終わり。啓ちゃん。みーちゃん。お待たせ」

 玄関の鍵を閉めた母親が言い、少し後ろに立って待っていた美羽と啓介の横に並ぶ。

「お昼はさっき決めたからラーメンで、晩御飯は何が良い?」

 美羽を真ん中にして歩き出すと母親が言った。

「ハンバーグ」

 美羽が声を上げる。

「啓ちゃんは?」

 母親の言葉に啓介は、俺もハンバーグが良いかな。と応じる。

「じゃあ、ハンバーグにしましょ」

 母親が言うと、美羽がやったーと大きな声を出す。自宅のある住宅街の周りの細い迷路のような路地を抜けた啓介達は、車などが行き来できる程の大きさの車道がある、都市内に数本しか走っていない大通り沿いに出る。

「そういえば、母さん。天気予報見た?」

 啓介は、車道を走る物資輸送用のトラックを見ながら言った。

「雨は夕方からだから大丈夫よ」

 母親の言葉を聞いた啓介は顔を上げ、ドーム都市の天井に目を向ける。人工太陽の発する眩い光から視線を外すと、巨大な排気装置の導管が啓介の目に映る。

「ねえ、お母さんとにーには虹って見た事ある?」

 美羽が言いながら、握っている母親と啓介の手を引いた。

「虹? 学校で習ったの?」 

 母親が言い、美羽がうんと言って頷く。

「俺は見た事がないな」

 啓介は顔の向きを変えると、美羽の顔を見ながら言う。

「ここに来る前は見た事があったけど、ここに住んでからは見た事がないわね」

 母親が言う。

「美羽。虹見てみたい」

 美羽が母親の手に頬擦りをしつつ言った。

「見せてあげたいけど、どうすれば良いのかしらね。お庭に水を撒いている時とかでも出る時があるんだけど、やっぱり、ここに来てからは出た事がないわね」

 母親が美羽の頭を撫でながら言う。

「いつか外に出られる日が来たら見られるかもな」

「外に出られるの? いつ?」

 啓介の言葉を聞いた美羽が言う。

「いつかは出られるとは思うけど、まだまだ先かしらね」

 母親が優しい笑みを顔に浮かべながら言った。

「外に出られる時が来たら、皆で一緒に虹を見に行こう」

 啓介は母親と美羽の顔を順々に見ながら言う。

「うん。皆で一緒に行く」

「じゃあ、その時は、お弁当を持って行ってピクニックしましょ」

 美羽が嬉しそうにしながら言い、母親が笑みを顔に浮かべつつ言う。

「ピクニック絶対行くー」

 美羽が大きな声を出す。商店街が近くなって来るにつれて、同じ方向に向かって歩いている人々の数が増えて来ているのを見て、あれ? 人が随分増えて来た。いつもこんなだったっけ? と啓介は言った。

「そうね。いつもの日曜日よりは混んでるような気がするわ。昨日の夕方、PS警報が鳴った所為かも知れないわね」

 母親が、周囲を歩いている人達に目を向けて言う。

「美羽。迷子になるなよ」

「うん。お母さんとにーにから離れないようにする」

 啓介の言葉を聞き、美羽が大きな声を上げた。

 商店街の入り口にある第二商店街と大きく書かれているアーチを潜ると、両側に所狭しと並ぶ商店と、買い物をする人々の発する様々な音が啓介達を包み込む。

「昨日来た時とは大違いだ」

 啓介は、PS警報が鳴っていた時の光景を、頭の中に思い浮かべながら、小さな声で呟いた。

「啓ちゃん。駄目よ。PS警報が鳴ってる時に外に出ちゃ」

 母親が言ったので、啓介は、どうしてバレたんだ? と思いながら母親の顔を見る。

「啓ちゃんが、今、昨日来た時とは大違いだなんて言うから気付いちゃったの。ゲーム、買いに行った時でしょ。もう、お願いよ。危ないんだから」 

 心配そうな顔をして言う母親に向かって啓介は、聞こえちゃったか。と思いながら、うん、ごめん。気を付ける。と言った。

「美羽、新しい縫いぐるみ欲しい」

 不意に美羽が声を上げ、啓介と母親の手を引きながら、おもちゃ屋の方に向かって走り出す。

「みーちゃん待って」

 母親が微笑みながら言う。

「美羽。危ないからあんまり強く引っ張るな」

 啓介も微笑みながら言い、美羽の後を追いかけた。

「そういえば、前に学校の先生が、外にいた時、なんとかっていう凄い大きいおもちゃ専門店があったって言ってたけど、なんでここにはそういうお店ってないんだろ」

 おもちゃ屋に入り、美羽が夢中になって棚に置かれている、縫いぐるみと格闘を始めたのを見ながら、啓介は言う。

「PSが降りて来た時の、被害の拡大を抑えるのと、都市内で働く人達の為なんですって。大きいお店だと中にPSやPS結合体が入って来たら、被害が大きくなるし、お店が壊されたら、その後大勢の人が働く事ができなくなるでしょ。こういう形だと、お店が一つ一つ分かれてるから、そういう心配が少なくなるらしいわ」

 母親が啓介の方を見て言った。

「そうなんだ。初めて知った。そんな事考えてこうなってたんだ。でも、こういう商店街もたくさん色んなお店があって、色々見られるから楽しいけど、大きい専門店っていうのにも一度行ってみたいな」

 啓介は母親の方に目を向けて言う。

「覚えてないみたいけど、啓ちゃんは、大きなおもちゃの専門店に行った事あるのよ。今の美羽以上にはしゃいじゃって、迷子になって大変だったわ」

 母親が言い、優しい笑みを顔に浮かべた。

 すべての買い物を終え、商店街の中にあるラーメン屋で昼食を済ませた啓介達は、縦長の商店街の中央にある、防火公園と呼ばれている公園の中に入った。その公園は火災発生時の延焼を抑える為に作られている、堅固で高い壁を備えた、遊具のない小さな空き地のような四角形の公園で、園内にはいくつかベンチがあったが、どのベンチにも啓介達のように、休憩をしようという人々が座っていた。啓介達は、二つの向かい合うように配置されている、出入り口のある壁とは別の、出入り口のない壁の壁際に行くと、芝生の生えている地面の上に座った。

「啓ちゃん。荷物重かったでしょ」

「俺は平気。けど、美羽が凄い眠そう」

 母親の言葉を聞いた啓介は、母親と啓介との間に座り、無言で一点を見つめている美羽を見ながら言う。

「ちょっと、長めに休んで行こうか」

 母親が言って両腕を上げて伸びをし、両腕を下ろそうとした時、PS警報が鳴った。

「PS警報」

 啓介は、こんな時になんだよ。と思いながら呟いた。

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