血染めの天使 ~Tris Isolde~

功野 涼し

 天使と聞いて人々はどんな姿を想像するだろうか。

 性別はなく中立な子供の様な姿。羽のはえた裸の子供。

 弓を持ってハートの矢を飛ばす恋のキューピットまたは、命の火が尽きる時に天からの光と共に降りてきて、魂を天に連れていってくれる存在、そんなところだろうか。


 今、私が欲しいのは魂を天に連れていってくれる天使。


 世はバブル景気で沸いて皆が浮き足立っていた頃。そんなバルブが弾けようなど気づいていないふりをする人々の活気で町は今日も賑わう。


 そんな賑わう町から外れた路地裏で私は転がっていた。文字通り地面に転がっている。


 なんでこんなことになったんだろう。私はなにも悪いことはしていない。それなのに複数の男の欲望を一方的にぶつけられた。


 痛い、悔しい、悲しい、憎い……でも今はもう……


 もう死んでしまいたい……


 雨粒が落ちてくる。顔に、体に、手に、足に……冷えていくのが分かる。体が固くなっていく、このまま消えていくことを静かに望む。


 段々強くなる雨、目や口に入ってくるが気にもならない。

 冷たく雨と同化して溶けていくような感覚。

 意識が薄く消えていく……


 突然その雨の一部が何かに塞がれる。

 人だろうか? 私を覗き込むその人。傘も差さずその人もずぶ濡れだった。

 ぼやける視界の中でも綺麗な金色の長い髪だけ認識出来た。


 その金色に輝く髪は、その上に落ちる雨を一粒一粒丁寧に金色に染め輝かせていく。

 髪から流れ落ち、再び空中に投げ出された雨粒は魔法が解けたように色が消える。

 魔法の解けた雨粒が私の顔に落ちてくる。その雨粒は他の雨粒と違い意識に訴えかけてくるように肌の上で跳ねる。


 その人が顔を近づけてくる。美しい女の人だ。近づくほどその美貌が輝きを増して、その輝きは虚ろな瞳にさえ痛いほどの刺激を与えてくる。

 そのお陰か少しだけ意識がこの世に戻ってくる。


「ふ~ん、人間てこんな所で、しかもそんな格好で寝るのかしら? 雨の中なのに、変な生き物なのね」


 それは私が初めて天使に出会って、初めてかけられた言葉。


 ***


 天使は永遠を生きる。それ故に繁殖する能力が衰えた生き物である。

 永遠を生きるが怪我はするし、体が弱い個体は病気にもなり命を落とすこともある。

 切られた手足が生えてくるわけでもない。ただ不老で生き続けるだけで不死ではない。


 繁殖力の低下と共に我が子供に対する愛情も薄れていき、子育てを放棄するものも多い。


 そんな中でお母様はわたしを愛してくれた。いつも優しく微笑み、愛を込めて抱き締めてくれる。

 わたしの大好きなお母様。


 そのお母様がいつもの笑顔で話しかけてくれる。


「今日はお庭のお花を摘みに行きましょう。きれいに咲いてるからお家に飾りましょうね」

「うん! お母様、わたし赤い花が好きだからたくさん摘むね」


 わたしは篭をもってお庭へ向かう為、屋敷の廊下から階段へ向かって走り出す。

 そんなわたしを困った顔をしながらもお母様は楽しそうに小走りでついてくる。


 沢山お花を摘んで、今晩の夕食の話に花を咲かせながら屋敷に帰る。

 幸せな日々、いつまでも続く日々。


 ***


 天使の中には戦闘能力に長け国を守る者達がいる。

 ただその者達は国民の数パーセントしかいない、なぜなら多くの者は能力すら開花しないからだ。

 一般的に生まれて20年間の間に開花しなければ永遠に開花はしないと言われている。


 開花するかしないかは血筋が大きく関係しており、お母様は開花はしておらず現在10歳のわたしもおそらくしないだろう。


 天使の国はお城と町が大きな塀に囲まれて外敵から身を守っている。

 そこに住むのは地位の高い者や功績を挙げた者、または昔からその地にいた者。

 それ以外の者は塀の近くに村を作りそこに住む。

 周囲は魔界の森と呼ばれ魔物がうろつく危険な場所だが、村にも柵が設置されているし国から派遣された兵士達もいるから心配はいらない。


 お母様はそんな村の領主をしている。優しくて皆に愛されている。自慢のお母様だ。


 ***


 前に本で読んだことがある。変化とはゆっくり進行していくものと突然やってくるものがあると。

 今、わたしの目の前で突然の変化が起きている。


 屈強な人型の魔物。本来こんな場所に現れるはずのない森の奥深くに住む者達。

 なぜ来たのは分からないが現に今こうしている。

 夜、突然の襲撃。訳も分からず急激な変化の波に飲み込まれる。


 魔物に惨殺される人、慰みものにされる人。

 やがて屋敷までその魔物達は押し寄せる。


 わたしは部屋のクローゼットに隠れていたがドアを破られあっさり見つかってしまう。

 目の前の魔物に抗うすべもないわたしは尻餅をついて、ただただ震えることしか出来なかった。


 魔物の手がゆっくり伸びる。これから何をされるか想像もつかないわたしは歯をカチカチと鳴らすだけだ。


 そんなわたしの姿が楽しいのだろう。魔物がイヤらしい笑顔を見せる。


 再び変化は訪れる。魔物の表情が歪む。

 お母様が後ろから魔物に剣を突き立てていた。

 肩は食い破られたように千切れ、綺麗なドレスはボロボロ、左の胸ははだけ、血だらけになっても美しい足がスカートの切れ目から見える。


 魔物がお母様に向かって食い付こうとする。その大きな口に自らの左腕を突っ込むと脳天を短剣で突き刺す。

 魔物の顎が腕を噛み砕き腕は潰れ血肉が飛び散る。

 それでも短剣を何度も突き立てる。

 魔物の目を潰し顔面の形が徐々に変わっていく。そのうち泡を吐き始め崩れる。それでも短剣は振り下ろされ続ける。

 顔だけでなく、胸や腹も短剣が満遍なく突き立てられる。


 血や体液が飛び散る。痙攣けいれんしている体が動かなくなっているのも気付いてないのか刺し続ける。

 やがて短剣の刃の方が限界を超えたのか刺さらなくなりお母様の手から短剣が落ちる。


 血まみれの体を引きずるようにしてわたしに近付き、つぶれた左手と血まみれの右手で私の頬を愛しく撫でてくれる。

 生暖かい血がわたしの頬をつたう。滴る血がわたしの着ている白いネグリジェを赤く染める。


 能力も何も無いお母様がわたしの為に我が身を犠牲にしながら屈強な魔物を殺してしまった。


 これが『愛』なのだ。


 今わたしの頬で固まっていく血さえ愛の固さを表しているかのようだ。

 わたしはこの日の夜、本当の愛を知った。

 お母様はわたしを抱き締めてボロボロの我が身よりわたしの体を心配してくれる。


「怪我はない? なにもされていない?」


 わたしは胸の中で頷く。


「あぁ良かった。私の大切な娘。大切なトリス」

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