こんにちは、女神です

植木 浄

第1話 生贄は要りません

 時の流れを感じさせない、静寂だけが漂う空間。周囲は全て『窓』になっていて、外には限りない暗闇が広がっている。光沢のある白い床だけが、その空間の存在を主張していた。


 そこに、薄いピンクのドレスを着た存在がひとつ。ふわふわと空中に漂う帯――羽衣を腕に引っかけ、机に向かっている。


<こんにちは、女神です>

<最近、私の世界の人間たちが、私の創った魂を『生贄』と称して送り返してきます>

<これが噂のクーリングオフ遊びでしょうか。あまり転生させていると、輪廻りんねさんに怒られてしまうので困っています>

<何か良い方法を教えてください>


 女神を名乗る存在は、何か、石畳状に並べられた四角いものを指先で操作していた。


「これでよし、っと。送信!」


 女神はその隣にある、楕円形のものを操作し、作業を完了する。


 3秒後。


「あれ、もう返事が?」


 女神が再び楕円形のものを操作する。


≪回答:ちょっと、何をしているの?≫


「げ、イデア……」


≪別宇宙の存在とは関わらないように言ったはずよ≫

≪とにかく、今から行くわ。首でも洗って待っていなさい≫


 ふわっ。


「説明してもらおうかしら」


 小さな風とともに、イデアと呼ばれた存在が現れる。彼女は、人間の住む世界と、それらを管理する創造主たち、及びこの宇宙を生み出した『大いなる存在』だ。


「え、ええと、説明と言っても、質問掲示板に書いた通りです……」

「そうじゃないわ。どうして別宇宙との接触点が、こんな当たり前のように存在しているのかを聞いているのよ」

「それは……」

「いえ、聞かなくても分かるわ。どうせ彼の仕業でしょう。それよりも、すぐに質問を閉じなさい」


 突然、周囲の空気が変わる。イデアが力を行使しているのだ。


「え」

「私が向こうの宇宙を止めているから、気付かれる前に早く消しなさい」

「きゃああ、削除! 削除! 削除!」


 女神は慌てて先ほどの質問を消した。


「全く。こんなところに書き込む前に、まずは私に相談しなさい。こういったことが他の存在に知られると困るのよ。ついでに言うと、生贄はクーリングオフ遊びではないわ」


 呆れたように溜息をつくイデア。


「はい……でも、どうしたらいいの?」

「人間の前に降臨して、生贄が要らないことを伝えればいいじゃない」

「それが、ちょっと前に降臨したんだけど、誰も私の存在に気付いてくれなくて……」

「それは人間の信仰レベルが足りないからよ」


 世界の情報を表示する板状の装置――モニターに『信仰レベル』の数値が表示される。


「じゃあ、どうなっちゃうの?」

「生贄は延々と送られてきて、輪廻は激怒、世界は崩壊、あなたは存在抹消の刑、といったところかしらね」

「ううっ、私の女神ライフは終わった……」


 女神は羽衣に体重を預けるようにしてうなだれる。


「終わった、じゃないわよ。勝手に終わられても困るわ。まあ、創造主なんていくらでも創りなおせるけど」

「すみません嘘です、創りなおさないでください」


 女神は両腕を小刻みに振りながら言った。


「その言葉ももう500回は聞いたけど……安心しなさい。今から1000年後に、女神招来の儀式を行う予兆が出ているわ」

「えっと、人間の1000年は私たちの1日だから……って、明日じゃん!」

「そうよ。今から行けば間に合うでしょう?」


 イデアは腕を組み、『窓』に背をもたれる。


「え、ちょっと心の準備が」

「はい、転送」

「きゃああ!」


 こうして女神は人間の住む世界に降臨、いや、半ば強制的に落されたのであった。


 ――そして約2000年が経過したころ。我々にとっては2日後のことだ。


「きゃああ、無事に帰れた!」

「良かったわね。それで、神託は上手くいったの?」

「うん! 生贄はいいから、『騎士』っていう身分を作って、毎年一番優秀な騎士様の装備品を捧げるように言ったよ!」


 その言葉に、イデアは眉を上げた。


「あら、あなたにしては良くできたじゃない」

「でしょ? ああ、あと少しで騎士様の楽園が……私、この日のために人間の名前まで用意して、ずっと待ってたんだよ! ねえ、分かる? この感動が!」


 女神の瞳が今までにないほど輝いているのを見て、イデアは一瞬、小さな笑みを浮かべた。


「そういう考え方で世界を創るのはどうかと思うけど……まあ、結果が出るなら良いでしょう。さて、私は帰るわ。女神シルヴィア、その夢を叶えたいのなら、今後おかしな失敗はしないよう努力をすること」

「はーい! イデアさん、お元気で!」

「ではまた、その時まで」


 ふわっ。イデアは小さな風とともに消えた。


「ああっ、騎士様、まだかな、まだかな……」


 シルヴィアは妄想を膨らませ、部屋中を踊りまわっている。


 ふわっ。


「ひとつ言い忘れていたわ」

「はい! 何でしょうか、イデアさん!」

「さすがに間違えてはいないと思うけど、世界を襲う大隕石は今から10000年後にセットしておくこと」

「え」

「一度セットしてしまうと『時の歯車』の関係上変更はできないから、絶対に間違えないように。いいわね」


 ふわっ。


「うっ……」


 一瞬、シルヴィアの呼吸が止まった。なぜなら、モニターにはこう表示してあったからだ。


≪大隕石衝突:100年後≫


「きゃああ! 2つ足りない! ゼロが! ゼロが!」


 標準よりも早すぎる隕石の衝突により、文明および人類は滅亡、シルヴィアの世界は終わった。


 その後、彼女がどうなったのか――それは知らない方が良いだろう。

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