第24話幼なじみとの再会
「はい。ではデュニラス王国歴三百二十五年に起こった戦について―」
教師の質問にティアナはすらすらと答えていく。当時の国王と、彼のとった戦術と戦後の政策を自分の言葉でまとめて教師の前で発表すると、彼は何度か頷いた。
「では、今日の授業はここまでとします。次の授業までにデュニラス王国史三巻の百一ページまで読んでおくこと」
教師が部屋から出て行きティアナは「終わったぁぁ」と両手を上に伸ばした。
「お姉ちゃんお疲れ様」
授業が終わるのを見計らったかのようにオルタが部屋へと入ってきた。ティアナは首を回しながら「ふわぁ、今日の内容も濃かった」と感想を漏らす。侍女がお茶を淹れてくれて、スパイス入りのクッキーと一緒に流し込み、ティアナとオルタは外套を羽織った。授業が終われば自由時間だからだ。お屋敷の庭を散歩よりもエニスの街を歩いたほうが断然に楽しい。
「お嬢様、帽子。帽子をかぶってくださいまし」
「はいはい」
姉妹二人きりで散歩をするのが最近の日課である。屋敷の中に閉じこもっていることにも飽きてきたティアナは開き直って外歩きをするようになったのだ。デイジーが慌てて追いかけてきてティアナに帽子を手渡した。淑女の外出にかぶりものは必須だという。淑女というのもなかなかに面倒な生き物だと勉強すればするほどティアナは考えてしまう。そもそも淑女は付添も無しに出歩くなど、と言われてしまっては敵わないのでティアナとオルタは帽子をかぶってそそくさと屋敷をあとにした。
この生活にもだいぶ慣れてきた。勉強は大変だけれど、色々な知識を得るのは楽しくもある。それにここできちんと勉強をしておけばクリスとの契約終了後に家庭教師になれるかもしれない。そのことに気が付いたティアナは前よりも真面目に勉強に励むことにした。
「うう~寒い」
昼であっても頬を撫でる風はずいぶんと冷たくなった。
「焼き栗の屋台出てるかな~」
最近姉妹揃って焼き栗がお気に入りだ。せっかくだからロイを迎えに行こうか、と話し合い彼の通う魔法塾へ向かうことにする。お屋敷街を抜けた先にあるからそこまで遠くはない。
「でも、今年は寒さと飢えの心配をしなくていいからありがたいね」
「そうね。薪代の心配もしなくていいしね」
ティアナは妹の言葉にしみじみと頷いた。確かにありがたいことである。クロフトにいたときのティアナとオルタの稼ぎなどたかだか知れていて、毎年冬を越せるかが一番の懸念事項だった。特に不作の年は事態がより深刻になった。今年は薪代の心配もしなくていいし、上等な衣服に、ふわふわの絨毯、それから暖かい寝台のある部屋で過ごすことができる。
「今の生活、たまに夢じゃないかと思うのよ」
「うん」
「だから立派にクリスの妻をしないとね!」
「お姉ちゃんはすでに立派に勤めているから、これ以上頑張らないで」
「そんなぁ。わたしなんてまだまだよ。あ、そういえばクリスったら膝枕に夢があるみたいだから今度ちゃんとしてあげないと」
「ちょっと待って! ナニソレ聞いてないんだけど。膝枕って何のこと?」
「え、この間クリスったら膝枕してほしいなんて言うから。どうぞ、って言ったらなぜだか怒られた。意味わからないわ」
あっけらかんと報告をするとオルタがぎゅっとこぶしを握る。
「お姉ちゃん。そういうのは契約違反って怒るところだよ」
「もう。膝枕くらいいいじゃない。シェリーおばさんも言っていたし。ほら、もう。怖い顔しないの」
ティアナは頬を膨らませているオルタのほっぺを突いた。すると妹は「誰のせいだよ~」とぶつぶつ文句を言いながらも握ったこぶしをほどいた。
そんな風に話をして歩いているとあっという間にロイの通う私塾の近くへ到着した。このあたりは通り沿いに店が軒を連ねており、繁華街よりも落ち着いた雰囲気なので少しだけ気後れするが、品のよい品物を扱っているので外からのぞくだけでも楽しい。ティアナもオルタも贅沢は敵なので、あくまで外から冷やかすだけだ。今着ている外出着が上等だという意見もあるかと思うが、これはスウィングラー家の嫁稼業の支給品だ。妻となったからにはスウィングラー家に見合った装いを、と言われているので仕方がない。ティアナもオルタも新しい衣服にそでを通すこと自体が生まれて初めてで、最初はとっても肩が凝った。
「お邪魔虫がいないと安心してお散歩できるから嬉しいよね」
「それってカーティスのこと? あんまり意地悪するんじゃないわよ」
この間オルタが一人で出歩いてカーティスに絡まれたときのことをティアナは口にする。オルタは近くを巡回中だった警備隊を巻き込んでカーティスに意趣返しをしたのだ。見るからによいところのお嬢さんの男の人に絡まれています、という訴えは破壊力抜群だった。連絡を受けて詰め所に迎えに行ったトレイシーから事の詳細を聞いたティアナは呆れると同時にオルタの肝の据わり具合がちょっとだけ心配になった。
「だって。腹立つんだもん」
「でもねえ」
「そのおかげであの人、最近屋敷のまわりをうろつかなくなったじゃん」
「ああいう人って、自尊心だけは高いんだから。あんまりからかうと仕返しされるわよ」
「そうしたらまた警備隊の人に助けてもらうもん」
ティアナは肩をすくめた。妹にまったく響いていないからだ。
と、その時風が吹いた。冷たて強い風がティアナの帽子を飛ばした。
「あ、ちょっと」
ティアナは慌てて帽子を追いかける。帽子は風に吹かれてころころと転がっていく。ああもう、とティアナは舌打ちをしながら走って、ようやく帽子に追いついた。
帽子を掴んで立ち上がる。すると、少し離れた場所から名前を呼ばれた。
「おまえ、ティアナか。ティアナ・リドリー!」
なんとなく聞き覚えのある男の声に、ティアナは辺りを見渡した。すると、男と目が合った。くすんだ金髪に中肉中背の、これといって特徴のない若い男だが、ティアナはその顔を見て「うそ!」と叫んだ。
「あんた、ゲイル? 町長のところの息子のゲイルじゃないっ! どうしてこんなところに」
ティアナと同じ年頃の、いたって普通の男の名はゲイル。エニスの街から遠く離れたクロフトの町の町長の息子で、小さいころからティアナのことを父親無し子といじめてきたガキ大将。成長してからもなにかとティアナに因縁をつけてきた、シェリーおばさん曰く「男って本当に馬鹿であほだから」なゲイルである。
「やっぱりティアナだ。ていうか、その格好はなんだよ」
ゲイルはティアナの驚きを無視して上から下までまじまじと眺めて、息を飲んだ。今更ながらにティアナの装いに気が付いたのだ。彼はティアナを目の前に放心している。
ティアナは彼の眼の間で手をひらひらと振った。
ゲイルはハッとして「まさか娼館にでも売られたのか?」と尋ねてきた。
無理もない。これまでの着古したブラウスにスカートという格好ばかりをしてきたというのに、今のティアナは誰が見ても上等だと分かる上衣に、レースで縁取りがされたスカートを履いているのだ。穴の開いていないピカピカに磨かれた
「まさか。エニスで普通に生活をしているわよ」
ティアナは胸を張る。
「普通で、おまえみたいな父無し子がそんないい服切れるはずないだろ。クロフトの町ではいつもお古につぎはぎをあててたくせに」
相変わらずムカつく言い方をする男だ。こいつも物心ついたころからいつもそうだった。人のことが気に食わないのなら話しかけてこなければいいのに、いちいち人に突っかかってくるのだから面倒なことこの上ない。
「わたし、結婚したの」
「はぁぁぁぁ⁉」
大きな声に通りの反対側を歩いていた紳士がこちらに目を向ける。
ティアナは眉を器用にもちあげた。みっともないから今すぐにその口を閉ざしてほしい。
「けけけけ結婚って。おまえ、なんだよそれ。どういうことだよ。なんでいきなり結婚なんだよ」
ゲイルはなぜだか青い顔をしている。
「あああっ、ゲイルだ。どうしたの、町長の息子がこんな遠いところまで」
ティアナの横に追いついたオルタがゲイルを見上げた。
「うるさい。今はそれどころじゃないだろ。オルタ、おまえ知っているのか。こいつけけ結婚したって」
「……ああ。そのことね」
「妹公認なのか⁉」
「そりゃあまあ、オルタも夫と一緒に住んでいるわけだし」
「ほんとに、夫なんているのか? まさか、金で買われたのか?」
ゲイルは真実に近しいことを口走った。
「お金では買われていないわよ(成功報酬は貰うけど)」
「いや、しかしだな。おまえみたいなどこの誰だかもわからない女をつつ妻にしようだなんて、物好き……が」
「エニスは広いんだから、物好きの一人や二人くらいいるわよ。これまで、人のこと散々おまえなんて父親も誰だか分からないんだから嫁に貰ってくれる相手なんているわけがない、とか言ってくれたけど。いたわよ、わたしを貰ってくれた素敵な旦那様。しかも魔法使いでお金持ち」
「おまえそれ絶対に騙されているだろう」
これまでの人生で馬鹿にされまくってきたことを思い出したティアナはふふんと得意気に笑った。こいつとは昔からどうにも馬が合わないのだ。オルタは呆れて口をはさむこともしない。成り行きを見守っている。
「旦那さまったら、わたしにぞっこんなの。新しいドレスもたくさん買ってくれるし。オルタの面倒も見てくれているのよ。どっかの誰かさんみたいに、オルタのことからかわないし」
ことあるごとにオルタのことを捨て子と揶揄したゲイルへの当てつけである。
「さあ、オルタ。ロイの授業が終わっちゃう。早く迎えに行きましょう」
「って、ロイって誰だよ」
「夫の弟子兼養い子よ」
うふふと笑ってティアナは歩き出した。
ゲイルはなんだかんだ文句を言いつつティアナについて回ったけれど、ロイの学校に到着をすると離れていった。
それにしても、ゲイルはどうしてエニスにいるのだろう。ふと思ったが、まあ関係ないかとティアナはあっさりと考えることを放棄した。
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