(4)
ひとしきり叫んだツウィンカを黙って見ていた相手は、もういいかと尋ねた。
何も良いことはなかった。
だが、もはや取り乱す体力すらツウィンカにはなかった。ただこの恐ろしく、そして不愉快なことしか言わない人外の言葉を、出来るだけ感情を込めずに聞き流して、嵐が収まるのを無意識に待っていた。
「時間がない。正月になり、季節が確定すれば私はもう消えてしまう」
「そう」
では、仮に生きていたとしても、あの残虐な者たちはこいつを捕獲することはもう出来ないのだ。
ツウィンカは抑えていた感情を少しだけ動かし、せせら笑った。
心のどこかで自分は今、とても醜い顔をして笑っているだろうと自覚があった。明日になり、名前も分からぬこいつが消えればあの非人情な人間たちは目的を達せられない。
こいつと対峙出来たことに溢れんばかりの感動をしていた少年のことを思うと、それだけが今のツウィンカにとって救いになった。
「お前にとっては不幸なことである」
「何故? 唯一つの幸福なことじゃない」
「お前は無力な弟を連れて彷徨わなくてはならない。奴らはこの身体を狙うであろうから」
「あんた消えるんでしょ」
「出てこれなくなるだけだ」
「消えることと何が違うの」
「存在が残っている」
「分からない」
「王都へ行け。南へ下るのだ」
「何の話?」
カイの姿をした何かは、指先で方角を指示した。道は見えない。その先には木が生え広がっている。
「このまま真っすぐ歩いていけば馬車と巡り合う。お前は親に捨てられたといってその馬車へ乗り込め」
ツウィンカの言葉など聞こえなかったように、カイに取り憑いた何かは続ける。あまりにも具体的な指示に、聞く耳を持たなかったツウィンカは困惑した。
「連中はお前たちを売り飛ばす気だから、お前は騙されたふりをしなければならない。眠りについて三回目に起きた晩にお前は弟を連れて走る馬車から飛び降りろ。馬車から降りたら立ち上がった方向を前にして左へ進め。その方角は東である。歩き通したら次の街までたどり着くことが出来るだろう」
淀みのない言葉は、あらかじめ決まった何かを読み上げるような朗読めいた流暢さがある。予言なのか、預言なのかも分からないが、それよりも売り飛ばすだの飛び降りるだのツウィンカにしてみれば恐ろしく不穏な単語がところどころに混ざっていることが気になった。
「もう時間がない」
カイの姿をした人外は、最後に短く言った。確かに今までの言葉と比べると、どこか早口である。もう真夜中だ。正月まで残り少ない。説明を求める時間が足りないことに気づいたツウィンカは、慌てて最後に一つ尋ねることにした。
「あんたは一年後の大晦日に出てくるの?」
「さあ。出てくる余地が生まれれば」
「そう。あんた名前はある?」
「ない。この世の誰も私の名前を呼ばない」
ツウィンカは頷いた。ある程度の核心を持って尋ねたので、予想する答えが返ってきたことによって、ツウィンカは初めてこの者に対して主導権を握った。
「じゃあ、私があんたの名前を与えるわ」
「ほう」
「あんたの名前は今からスヴィパルよ」
「スヴィパル?」
「あんたは大晦日の隙間に仮面を頼りにカイに降りてきた。けれど仮面はもうないの。でもこれは仮面よりも、もっと確かなものよ。奪われない様に私がずっと覚えている。そうしたら、またこの世に出てくる道が出来るでしょ。私はあんたには聞きたいことが山ほどあるのよ」
「ああ、成程。お前はリースヒェンの娘だったな」
「どういうこと?」
「リースヒェンは力のある巫女だった」
スヴィパルは目を閉じた。
次に目を開けた時、それはもう見知った弟の表情だった。
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