霧雨の夜空

@awashima

第1話

 この世とは不思議なモノで文明が次々と発達しスマート且つ便利になり人々の生活、暮らしが豊かになって来ているが心だけは何時の時代も貧しい。

 今まで出来なかった事や考えつかないような事も可能になる。しかしそれらは偏に不贅不満を具現化した結晶に他ならない。一度満たされた欲望に対しては歯止めが効かずとめどなく欲情する愚かな末路なり。醜い風情になった時恨み、辛みなど怨念となり人の魂を喰らい尽くす。

 商売の在り方は人の数ほど...。


 

 あなたの御命頂きます

 



 夏は嫌いだ。ベッドの上で何もしていないにも関わらず頭皮から首筋を通り粘度の高い体液が体中をまとわりつき支配していく。鎖骨のくぼみに汗が溜まるのを感じ不愉快極まりない衝動に駆られた三井庸介❨32❩は堪らず目を覚ました。寝起きは悪い方だがすぐさまキッチンに足を向けコップに勢い良く水を入れ一気に飲み干すと心身共に浄化され気休め程度だが気分も少し落ち着いた。調子の悪いクーラーを睨みつけながら二杯目の水を口に運び眉間にシワを寄せながらタバコに火をつける。外は太陽の日差しで煮えたぎっており時計の針は15時を回っていた。

 

 テーブル上の乱雑に散らばっている書類に目を通しながらクーラーのリモコンを手にし、天井を見上げ短くなったタバコを消し2本目に火を着けた。次第に冷風が部屋の中を包み込んでいくと背中を丸めだし、物思いにふける様に窓の外に目をやった。


 

 二日前。この日は久しぶりの雨でジメジメとしていたが心なしか風は冷たかった。とあるタワーマンションの最上階にある一室でのこと。この部屋に出入りする迄の道のりは驚くほどに神経を使いその上仕事の話ではあるが、呼び寄せるのはよくよくの事で決まって面倒臭い案件に他ならないからだ。

 「察しはついてるとは思うが、中々厄介な仕事だ。君に頼みたい。」

 重く野太い声からは想像もつかないようなシャープな体型で頭髪も長く、ヘアゴムで後ろに束ねている。我々組織のボスであり政界・財界・県警等至るとこに顔が効き、この国の表も裏も知り尽くしている男で謎が多いが金払いは良い。

 「分かった。幾らの仕事だ?」

 名前の真偽は分からないがこの男、黒崎太一の口元が一瞬緩んだ。やはりこいつは金勘定だけしていればどうとでも動く扱いやすい奴だと思っているのだろう。

 「3000万だ。リスクはあるが悪くもない数字だろう?」

 「相手は役人か?要人か?」

 「君はいつも話が早くて助かるよ。要人だ。さっきも言ったようにこれは厄介な仕事だが、何一つ情報が無い訳じゃない。ここ半月間こちらのほうでも身辺を嗅ぎ回りそれなりの情報や材料は揃えておいた。」

 そう言い黒崎は葉巻きに火をつけA4サイズはあるであろう大きめの茶封筒を渡した。三井は少し戸惑いを感じながらタバコに火を着けた。何故なら今回の一件のようにリスクを犯してまで呼びつけられる事もそうだが、書類を貰った事など数える程しかない。なによりこれ程までの封筒の厚さは過去に一度も無い。信用してくれているのは有り難いが失敗は許されない。まさしくそれは死を意味するのだと書類の重さが訴えかけてきた。

 「分かった。改めてこちらから連絡を入れる。」

 「健闘を祈るよ。」

 三井はタバコをもみ消しバックに書類を入れそそくさと部屋を後にした。傍から見れば高級マンションの最上階に住み良い思いをしていると捉えるのだろうが、この空間は血生臭さが充満し三井にとって余り心地良いものでは無かった。


 自宅に戻り嗜好品を楽しみなが早速ハサミを手に取った。

 顔写真からでも十二分に腹黒さが漂ってくる脂ぎった三白眼のこの男こそ、楠本雅夫❨72❩今回の標的だ。書類には楠本のプロフィールは勿論の事、今まで証拠不十分として処理された悪行の数々、身体的特徴、、、若い時に負った右手の火傷から最近新しい革靴に変えたせいで出来た両足踵の靴擦れまで事細かに記してある。どんな調査員を使ったのかは知らないが尊敬の念を抱くと共に所々呆れる程に細やかな箇所が多々あり苛立ちを感じながらその日の夜は更けていった。

 

 翌日三井の部屋のテーブルには、ウォッカのボトルと灰の被った書類が乱雑に置かれていた。帰宅し膨大な資料に一通り目を通したものの良いイメージをする事が出来ないまま頭を悩ませていた。流石に政治家ともあればガードが固く隙がない。もし可能性があるとすれば毎週月・水・金曜日の打ち合わせ会議と称した愛人や他の政治家連中と会い飲み食いしている時である。場所は料亭、ホテルといった感じでルーティン化されており身近な存在だけでも秘書の神田、運転士の前田などプライベートとはいえ常に人目にさらされている。

 相手はニュースに名前の出るような大物政治家だ。もし成功したとして仮に第三者に見られるような事があればその人物の口も塞がなければならない。玄人として一番最悪な結末だ。作戦を練れば練る程いかに標的が強大な壁であるという事を思い知らされ煮詰まる一方であった。  


 クーラーから排出される微かな風の音と共に静かに時だけが過ぎて行く。灰皿も満タンになり吸い殻を入れるスペースもなくなってきた。数時間も紙きれの束を眺めているせいか頭は霧がかかったかのように重たい。しかしながら、半ば無理矢理ではあるものの僅かなチャンスに賭ける事にし、徐ろに携帯を取り出た。

 『仕事は明日やる。』

 それだけ打ち込み本日は切り上げる事にした。

 正直、イメージ通りに上手く運んだとしても確率は低く運やタイミングなどに任せる部分が大きい。ギャンブルのような物で不十分だとは感じでいたがこれ以上頭で考えるのも煩わしい。その後ウォッカを数杯ストレートで煽り大した食事もせず倒れ込む様に寝床に就いた。


 拳銃の命中率が低い俺には相手の懐に入り距離を詰めて仕事をするのが一番効率が良い近道だ。ただ距離が近い分リスクやデメリットも多く、それだけに事前の下準備が重要になってくる。唯一何か利点を上げろと言われれば終始一人での行動となる為、下らない仲間意識や目障りな連携を取る必要がない。なによりその場で生存確認が出来、しくじる事もなく成功報酬も分けなくて済む分それなりの額を稼げる。

 

 

 17時も過ぎ日も暮れ始めたのだが、外はまだまだ蒸し暑い。前田一郎❨45❩は、クーラーの効いた車内でペーパーボードを眺めスケジュールの確認をしていた。専属運転手として10年勤め上げてはいるがとにかく神経質な楠本の性格には慣れる事が出来ず手を焼いていた。最近は歳を重ね、忙しさもあるせいか一段と口煩くなりノイローゼになる位神経を使い疲れ果てていた。

 殆ど待機みたいなもので仕事内容的には決して難しい訳では無いが朝から晩までの長時間座っている勤務に持病の腰痛もここ3年間で悪化した。だが、金は良く到底自分が文句を言える立場ではないと弁えてはいた。

 楠本の声が徐々に大きくなるのを聞いて車体の後部座席寄りに直立不動となる。

 頭を下げたまま今日も1日...と祈るような想いでじっと待っていた。


 外は暗くなり料亭まで送り届けた前田にとって外出時の待機時間程しんどいものは、無かった。勤め始めた頃こそ自主的に掃除などして潰していたがここ5年位は、要領も少し勉強し野球のナイター中継を聞くことにハマりそれが日課となっている。聞き始めたときは、漠然とルール程度しか分からなかったが今ではすっかり選手の顔と名前や特徴などを覚えるまでになった。

 

 ラジオを聞きながら、しばし心を休めているとコンコンと運転席の窓を叩く音がして一瞬にして緊張感が走る。

 「あの〜すみません。」

 そこには小汚い服を着た作業員らしき若者がこちらを覗いていた。

 「なんでしょうか?」

 「いやーもうちょっとしたらこのビルの外装メンテナンスをやる事になってまして、もう少し車を前へ出しては貰えないでしょうか?」

 前田はホッとした。またストレスの溜まった楠本が説教臭い嫌味の一言、二言わざわざ言いに来たのかと思い肝を冷やした。

 「あ~そうなんですね。大丈夫ですよ。」

 そう言うとエンジンをかけ十センチほど車を進めた。ありがとうございますと言わんばかりに満面の笑みで深々とお辞儀をされるとみんな仕事で大変なんだと少し頑張ろうと思えた。


 それから1時間程経ちラジオから21時を知らせるアナウンスが入り、心地よい冷たい風も出てきた。

 料亭の若女将が入り口の扉を開けると若い女の腰に手を回した楠本が顔を赤らめ上機嫌で出てきた。

 

 

 車体の後輪の下に位置するマンホールが少し動いている。その中には作業服を着た鋭い殺気を帯びた三井が入っていた。

 

 

 


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