第26話

 篠崎の相手もほどほどにして帰ってきた我が家では、一日遊び尽くしてくると言っていたはずの祐奈がリビングに大きく陣取るソファで伸びていた。


「あれ、帰ってきてたのか」

「うん。みんな親とご飯に行くんだって」

「あー、そうか……」


 祐奈の声にはいくらか元気がなく、俺が悪いというわけでもないのだが、申し訳なくなって力のない返事をしてしまう。母さんのところにでも遊びに連れていこうか、そんなことを思ってみれば、呟くような声が聞こえてきた。


「私もウナギの絶滅に貢献したかったなぁ」


 俺の気持ちを返してくれ、と叫びたくなるような呟きに思わず強めに、おいと突っこんでしまう。親に会えないからなんて話ではなく、ただの食い意地の話だった。わが妹ながらなかなかに酷い話だ。


「まだ絶滅までは時間がかかるだろうから、近いうちに集りに行けば。祐奈の頼みなら親父だっていいの食わせてくれるだろ」

「いや、お父さんと一緒に行くのはちょっと」

「ひでぇな。まあ、それはそれとして、ウナギ以外でなんか食べたいものあるか?」

「どうしよっかなー」


 そう言いながら体を起こした祐奈は、そのままフラフラとこちらにやってくる。


「お兄ちゃんの得意料理で。私も一緒に作る」

「別に休んでていいんだぞ」

「結果はどうあれ受験は終わったんだし、料理できるようになっておかないとお兄ちゃん困るでしょ」

「え?」

「受験生なんだから家事なんて気にするなって言ったの覚えてないの? 四月からはお兄ちゃんが受験生でしょ」

「あー、そういえばそんなこと言ったっけか」

「だから練習しておこうかと思って」


 もうすっかり生活習慣の一部になってるし、大した手間でもないからこのまま続けるつもりだったのだが、張り切り様からしてそんな言葉を素直に受け入れてくれるとは思えない。いや、まあ、手伝いを買って出てくれるのは楽になるし嬉しいんだけども。


「……分かったよ。じゃあ、肉じゃがだな。まだ早い時間だし、寝かす時間も取れるから。とりあえず野菜出すから洗って、適当な大きさに切ってくれ」

「あいあいさー」


 どこからか取り出した袋の中からエプロンを引っ張り出して身にまとう祐奈。見覚えのないそれは、家事を代わるという覚悟の表れなのか、買ったばかりの新品らしい。


「似合ってるな」

「そうでしょー。一目ぼれして買ってきたんだ」

「そうなのか」


 そうなのだーと言いながらリズミカルに包丁を動かす祐奈。

 これまであまりキッチンに立っていなかったというのに、その動作はいつぞやのあーしさんのように付きっきりで見ていなければ危ないというようなものではない。

 こうしてキッチンで並んで作業をするのは、いつ以来だろうか。

 当時はやたらと広く感じられた気もするのだが、こうして並ぶと少し狭さを感じてしまう。まだ教えることは多そうだが、音声入力とやらを駆使しながら携帯にメモを取っているのだ。祐奈はあっという間にそれらを吸収して、一人でここに立つようになるのだろう。

 他所ならとっくに来ているであろう兄離れが目に見えて近づいているようで、少し目頭が熱くなる。


「お兄ちゃんどうしたの?」

「いや、玉ねぎのせいでちょっとな」


 誤魔化すように口にすれば、うんうんと頷きだす祐奈。


「染みるもんね。今日は特に当たりって感じ?」

「まあ、そんなところだ。嬉しくはねぇ当たりだけど。っと、そろそろ出汁とか入れていい感じだな」

「さっき量っておいたやつだね」

「そうそう。まあ、慣れてきたら味見しながら適当に入れることもあるだろうけど」

「なるほどねー」


 小さな器に入れておいた調味料を順番に入れていく祐奈を少し後ろから眺める。俺に教えてくれた母さんもこんな心境だったのだろうか、といった考えがよぎったが、これ以上深く考えては料理どころじゃなくなる気がしてすぐに他の事に思考をシフトする。


「そういえば、話変わるんだけどホワイトデーのお返しって何にどんな意味があるんだ?」

「え?」


 振り返って、間の抜けたような声で聞き返してくる祐奈に、言い直そうとすれば、開きかけた口を閉ざすように言葉が耳に届く。


「聞こえてたよ。ただ、急に話が変わったから、ちょっとびっくりしただけ」


 言いながら、祐奈は頬に人さし指を当てて考え出した。


「えっとね、マシュマロは嫌いで、キャンディーが好き、クッキーは友だちで、マカロンが特別な人だったはず。他にも意味があるやつはあるけど有名どころだとこんな感じ」

「なるほど、難しいな」

「難しくはないでしょ」


 祐奈は主席になったんだしと、話したかも定かではないこの間の試験の話をしてくるが、そういうことではない。


「篠崎の提案で俺らも手作りで返すってことにしようかと思ってたんだよ」

「なるほど。まあ、味見は任せてよ」


 目を輝かせて、任せなさいと胸を張る祐奈。甘いものに目がない祐奈らしいが、篠崎のどうなるかもわからない試作品を食べさせるのは気が引ける。


「まあ、食べられるものが出来たらな。とりあえずは何が作れそうか調べるところからだし」

「そっか」

「さて、話は料理の方に戻すか。そろそろ火を止めて寝かすぞ。冷めてくときに味が染みるから飯時まで放置だな。ちょっと休憩して、付け合わせとか作ってこう」

「了解であります」


 火が消され、ゆっくりと冷めていく鍋を楽しそうに眺める祐奈を見ながら、時計に目を向ける。喋りながらやっていたが、そこまで時間は経っていなかった。

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