第25話

 駅前のコーヒーショップで、コーヒーを片手に外を眺める。

 暦の上では春が来て二週間が経とうとしているのだが、未だに暖かくなるようすはなく、道行く人はマフラーにコートとなかなかの重装備だ。

 ガラス越しに駅前広場の行来を眺めていると、駅からまばらに吐き出される人の中に篠崎の姿が映る。携帯を開いてメールでもしようと思えば、こちらに気づいたようで人々と同じように寒さを感じさせるような格好に身を包んで眠そうな視線がこちらを捉えた。


「悪い、待たせた」

「いや、別に構わんけど」

「そうか。じゃあ、飲み物買ってくるわ」


 篠崎がレジに向かったところで、すぐ近くのテーブル席が空いた。

 このままカウンターで話してもいいが、わざわざ呼び出してきたんだし、ガラス越しとはいえ見られながら話すようなことではないだろう。


「ほれ、相談料だ」


 空いたテーブルに移動して篠崎を待っていると、目の前の机に菓子パンとコーヒーを二つずつ載せたトレーが、調子のいい声と共に置かれる。

 まだコーヒーは残っているのだが、コーヒーと菓子パンのセットの一つは俺のものらしい。


「悪いな」

「いや、相談があるって言ったのは俺なんだし」


 篠崎に、じゃあ、遠慮なくとだけ言って菓子パンを口に運ぶ。程よい甘さが口の中を満たし、欲するがままに中途半端に残ったコーヒーを口に運ぶ。その動作を何度か繰り返して菓子パンの数を一つ減らしたところで口を開いた。


「で、相談ってなんだ?」

「その前に、一つだけいいか?」

「まあ、いいけどなんだ?」

「……バレンタイン貰ったか?」


 いつになく真剣な顔をして、何を聞くのかと思ってみれば、数秒の間ののちに聞こえてきたのは、男子高校生らしい質問。とはいえ、芽衣から色々と貰ってしまった俺からすれば、深掘りされたくはないけれども、大したことのない質問だ。去年であれば余計なお世話だと言って、トレーに残る菓子パンに噛り付いていたかもしれないが。


「もらったよ」

「ならいいんだ。じゃあ、本題なんだが、お菓子の作り方を教えてくれ」

「……お菓子の作り方?」


 先ほどの質問とは関係なさそうな、それでいて予想外の相談内容に、いくらか間の抜けた声でオウムのように聞き返してしまった。


「ああ。頼めるか?」

「まあ、普段作らないとはいえ、無理ではないと思うけど、なんでだ?」

「……いや、その、ホワイトデーのお返しを手作りのお菓子にしようと思ってな」

「その心は?」

「いや、せっかく手作りを貰ったんだし、俺も何か作って返せたらと思って。いや、もちろん他にも用意するんだけどな」


 少し頬を掻きながら、いくらか恥ずかしそうにそう告げた篠崎。

 その動作自体はどうでも良いのだが、その言葉はなかなか興味深いものだった。

 目を閉じれば、いくらか緊張した面持ちで丁寧にラッピングされた箱を差し出してきたことだとか、ふとすれば聞き逃してしまいそうな弱気な声で味の心配をしていたこと、美味しいよと答えたときの安心しきった顔がすぐに瞼の裏に映る。

 目には目を歯には歯をって訳じゃないが、誠意には誠意で返したいというのは分からなくはない。そのためにかけてくれた時間だとか、込められた気持ちをこちらも同じようにして返したいというのは俺もだ。


「なるほど、まあ、事情は分かった。時間はそれなりにある訳だし、篠崎でもできそうなやつを考えとく」

「サンキュー、助かる」


 篠崎は安心したぜと言いたげな顔で、トレーに残る菓子パンに手を伸ばす。そうして、一口、二口と齧ってから、何かを思い出したように口を開いた。


「しかし、アレだよな。三倍返しとかいう風習は滅びるべきだよな」

「どうした突然」

「いや、ホワイトデーって店のコーナーはバレンタインと比べると味気ないし、返すものに意味があったりで、選ぶだけでも一苦労だってのに、さらに三倍返しとか、難易度が高すぎるだろ」

「まあ、実際に期待してる人は少ないんじゃないか」

「とはいえだよ。チョコとかならともかく、そうじゃないもの貰った時の三倍返しとか、思いつかんぞ」


 文句をたれつつも、律儀に三倍返しするつもりらしい。こいつはいったい何を若宮さんから貰ってしまったんだろうか。というか、そういうことで悩まれると、俺まで悩まなきゃいけなくなるんだけど。


「雨音は貰ったのチョコだけか?」

「いや、ちげぇけど。……やめようぜ、その話は」

「雨音は廣瀬さんに何されたんだよ。若干の沈黙が怖いわ」

「気にすんな。というか、気にしないでくれ。別に悪いことはされてねぇから」

「あー、なんというかお疲れさん」


 すべてを察したかのようにそれだけ言って、残っていた菓子パンをコーヒーで流し込む篠崎。

 ちまちまとコーヒーを飲んでいると、あっという間にカップを空にした篠崎が遊びに行こうぜ、と声をかけてくる。先ほどの話題は一緒に胃の中に流し込んでしまったのか、完全にいつもの調子だ。

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