踏み出すための
廣瀬さんが働き始めて早くも2週間。
廣瀬さんはすっかり慣れてきたようで、他の娘と比べても遜色無いくらいだ。廣瀬さんとは望月ちゃんのおかげで、なんとか上手くやれるようになってきた。向こうが昔の話を知らないからというのも大きいとはいえだ。
いつものように制服に身を包んでフロアに出れば、今日もやってくるのはカップルと女子学生ばかり。この場にいる彼氏はさぞ肩身が狭いだろうなぁ、なんて思いながら次々にやってくるお客さんを案内していると、あたりを見回している中学生くらいの子の姿が目に入る。
何か御用でしょうか? と声をかけてみたが、余計なお世話だったよう。ここでお姉さんが働いているらしく、探しているようだった。そこまでは良かった。その後に続いた言葉は私の心を動揺で満たす。
雨音という名前に、ここで働いている廣瀬さん。彼がここに来る理由としては十分で、同じ名前の他人の可能性よりよっぽど高いだろう。
「そうなんですよ、ややこしい事してすみません」
彼女の言葉に答えるようにそう言った彼の声は、雨音ってなんてこぼしながらの私の予想を確信へと変えてしまうものだった。気付いてしまえばそのままでいられるはずもなく、少しやりづらそうな顔をする雨音君に申し訳なさが加速する。
空気がこの場に似合わない程重くなる前に取り繕って言葉を並べて逃げ出せたのは、不幸中の幸いという奴だろう。表面上では責められることなく許してもらえた私が出来るのは取り繕うだけなのだから、それが出来て本当によかった。
「廣瀬さん」
「なんですか?」
「妹さんと雨音君が来てるよ。奥のテーブルにいるから行って来たら?」
「本当に? ちょっと行ってくるね」
女の私でも見惚れてしまいそうな笑みを浮かべ、軽い足取りでフロアに出ていく廣瀬さんを見送って、大きなため息をこぼす。
上手くやれるようになったとはいえ、いくらか距離のある私が見たことあるはずもない笑顔からは、雨音君への想いがあふれていた。
「ねぇ、姫野ちゃん。もしかして廣瀬ちゃんの彼氏と顔見知りだったりするの?」
「えっ?」
いつの間にかこちらにやってきていた望月ちゃんの言葉に思わず声が出る。きっと鳩が豆鉄砲を食ったようななんて言葉がよく似合う顔をしているに違いない。
「なんというかさっきの空気は普通じゃなかったし、さっきから顔色が面白いくらいに変わってるよ」
持ち前の勘の良さのおかげなのか、はたまた私が分かりやすいのか。次々と見破っては核心に迫っていく望月ちゃんの言葉が、私の求めていた糾弾への道な気がして、さらなる自己嫌悪に襲われる。
「何かあったなら、話くらい聞くからね」
「うん、ちょっと考えさせて」
話が終わるのを待っていたかのようにタイミングよく鳴った呼び鈴。私は逃げるようにフロアに出ていったが、頭の中はごちゃごちゃのままだ。
***
頭の中のごちゃごちゃを気にしないように仕事に取り組めば、あっという間にバイトが終わってしまった。それでも頭のごちゃごちゃは消える気配を見せず、私は大きく息を吸う。
「望月ちゃん、一緒に帰らない? さっきの話もあるし」
「いいよ~」
それなりの覚悟をして誘ったというのに、返ってきたのは気の抜けるようないつものほんわかした返事。そのおかげでいくらか緊張感は抜けたのだけど。
着替えて外に出れば、肌を切るように冷たい北風にさらされる。季節の巡る速さに驚かされながら足を進める。となりを歩く望月ちゃんから口を開いてくれることはなさそうで、もう一度覚悟を決める。
「さっきの話なんだけどね、前に話した中学の時の一件に雨音君、廣瀬さんの彼氏が関わってるの」
「ラブレター事件だっけ?」
「まあ、うん。その被害者っていうのが彼」
「……なるほど~。それで廣瀬ちゃんと距離があったんだね」
私が軽く相槌を打つと、それを確認した望月ちゃんはさらに口を開く。
「でも、良かったんじゃない? ちゃんと謝れるじゃん」
「いや、その、この前偶然会って話したんだけど、お互い被害者みたいなもんだから気にするなって、それで」
「表面上だけ取り繕っちゃったから、ちゃんと謝れてないけどってことね」
随分とつたない説明だというのに、心のうちでも読んでるんじゃないかって程的確に言葉を並べられる。私はもうそれに頷くことしかできない。
「姫ちゃんは難しく考えすぎなんだよ。普通ならそれで終わりなのに」
「でも」
それで終わらせられるはずがない。だって私は雨音君の中学校生活の半分を台無しにしてしまったんだから。何を差し出してもそれは返ってこないのだから。
「じゃあ、ちゃんと伝えなおすしかないよ。直接が一番いいんだろうけど、難しいなら手紙でもいいと思うし。いいじゃん、手紙がきっかけなら、手紙で終わらせたって」
「いいのかな?」
「誰が否定しても私が許してあげる」
望月ちゃんの言葉は、私が3年間気にしてきたことなんて知らないと言わんばかりに強烈で、有無を言わせてくれなくて、踏み出すために背中を押してくれるようなものだった。
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