閑話 遅すぎる事は無いというけれど

変わってしまうその前に

変わってしまうその前に

 二階から足をばたつかせる音が聞こえる。きっと枕に向かって声にならない叫びをぶつけているんだろう。今日はいったい何をやらかしたんだろうか。まあ、告白した後も似たような感じだったし、悪いことではないと思うけど。


 そんな事を考えると同時に少し心に影が出来ていくのが分かる。自覚してしまったのは、お兄ちゃんと芽衣さんが帰った後に、いい加減お兄ちゃん離れしなさいよ、なんて進路の話に交ぜてお母さんが言ったからだ。


 お兄ちゃんが並べた志望校はどこも名門だが、芽衣さんの勉強を見ながらでも多分受かるだろう。そうしたら私はここにいられるんだろうか。お兄ちゃんの教えを受けた芽衣さんがどこに行くのかは知らないけれど、近所ならここに一緒に住んだりしそうだ。そうでなくても、お兄ちゃんが出ていってしまうんじゃないか。


 ブンブンと首を振って、気を取り直す。お兄ちゃんを助けてくれた芽衣さんに感謝が無いのかと言われれば、そんなことはないし、すっごく優しいから仲良くしていきたいんだよ。


 気分を紛らわすために勉強道具を机に広げる。余計なことを考えたくないので、数学の難問集に手を伸ばした。



「そこはこっちの式の代入だな」

「え?」

「解けなくて困ってたんじゃねぇの? どうせ母さんにもなんか言われたんだろ」


 もともと得意ではない数学は雑念交じりの状態で解けるはずもなく、ペンを持ったまま固まっていれば、何も知らない呑気な声を後ろからかけられる。


「そうだけど」

「もうすぐだもんな。見てやるから解いてみなって」

「うん」


 隣に座って文庫本を読みだす姿は、いつも通りのお兄ちゃんだ。わずかに赤い耳を除けばだけど。きっと、恥ずかしさに耐えられなくなって気を紛らわせに来ただけなんだろう。

 気を紛らわせるために私を使ったお返しとして意地悪でも言ってやろうか。


「お兄ちゃん、帰りに芽衣さんとなにかあった?」

「えっ何、どうしたの急に? もしかしてエスパーかなんかなの?」

「何があったのさ? 教えてよ」


 いや、まあ、そのなぁ、と口ごもるお兄ちゃん。お兄ちゃんの進路がどうなれ、あと1年は私のそばにいるんだし、もう少しこのままでもいいよね。


「あんたらほんとに仲良いわね。悪いよりかはマシだけど」

「仲悪かったらこの生活破綻してるんだよなぁ」


 こうして我が家の夜は更けていく。




 ――――――


「お姉ちゃん気持ち悪いよ」


 帰ってきたお姉ちゃんは顔を赤くして布団にダイブ、体をよじらせたり、バタ足をしたかと思えば急に大人しくなって携帯で調べ物を始め教科書を読み出す。少しすれば教科書を放り投げてまた布団へ。表情をくるくると変えていく姿はなかなかに面白いが、動きが毎度のことながら気持ち悪い。集中力を持っていかれた腹いせに、そう口に出してしまった私は悪くないはずだ。


「気持ち悪いって何よ。私はこんなに困ってるのに」

「いや、動きがアレなの。こんな物見せられたら集中できないって」


 先程撮った動画を見せつける。そこには顔を赤らめてバタ足はじめ、次の瞬間には耳まで真っ赤にして体をよじらせるお姉ちゃんの姿がしっかりと収められている。


「お兄さんと何かあったの? それとも親公認の仲になったとか?」


 動画を見て恥ずかしくなったのか、何かを思い出したのかは知らないが、顔を赤らめてコクコクとうなずく姿は我が姉ながら可愛らしい。この動画も撮っておいて、お兄さんに渡してあげようか。

 そんな事を考えながら、何があったのさ、なんて聞いてみればポツポツと語られる今日の出来事。端的にまとめ上げるのなら、お兄さんの家公認の仲となり、卒業後は同棲しちゃえばなんて言われ、帰り際プロポーズの予約を取り付けられたとのこと。


 なんというか、想像の遥か上を行く感じだ。仲が良いのは知っていたし、お義母さんに気に入られているのも知っていたが、まさかここまでとは。

 どんな時も私の味方で、姉弟を引っ張ってきたお姉ちゃんがあっという間に遠くに、手も届かないところに行ってしまうんじゃないか、そんな感覚がしてくる。別にそれが嫌だとか、そういうのはないのだ。私達姉弟が気を使わないで良いように無理して平静を装ったりしていたお姉ちゃんが自然体で幸せになれるなんて、自分のことのように嬉しいくらいなのだし。でも、もう少しだけ近くにいてほしくて、私はこんなセリフを吐くのでした。


「ねえ、お姉ちゃん。私、流石に高校生で叔母さんになるのは嫌だからね」

「えっ、いや、ちょっと唯織」


 私がお姉ちゃんに変わって姉弟を引っ張っていく覚悟をするまでの時間が欲しくて。

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