第23話

 額に少し濡れた冷たいものが乗せられ、目が覚める。ぼんやりした視界には、毎朝見ている壁紙に覆われた天井が。首を少し横に向けると、いつも使っている俺の部屋が視界に収まる。しかし、普段はここにいるはずのない人が一人。


「ごめん壮太。起こしちゃった?」


 ここ最近は親よりも顔を合わせていて、今はこちらを心配そうにのぞき込んでくる芽衣だ。


「ああ、いや、いいんだけど」

「とりあえず、祐奈ちゃん呼んでくるね」


 芽衣はそう言って部屋を後にした。

 なんで芽衣がいるんだ?

 扉越しに、祐奈ちゃん、壮太起きたよ! 分かりました、ちょっと見てきます、といった会話が聞こえてくる。そして間もなく祐奈がやってきた。


「お兄ちゃん大丈夫?」

「ああ、うん」

「ただの夏風邪らしいから、大人しく休んでるといいよ」


 夏風邪? 夏風邪ってあの、莫迦がひくとか言われてるやつ? それで俺ぶっ倒れたの?


「お兄ちゃんが思ってることは、なんとなく分かるよ。まさか、お兄ちゃんが倒れたって電話きて、病院に行ったら、夏風邪ですねって言われたんだよ」

「そうか」


 なんというか申し訳ない。倒れたって聞いて心配して駆けつけたら、夏風邪でしたって言われるんでしょ。なんか重い病気じゃなくてよかったと思う反面、なんでそんなので倒れたんだよって思いそうだ。


「まあ、とりあえずアレだ。祐奈にうつったら困るから、部屋かリビングか戻れ」

「うん」


 じゃあ、大人しくしといてね、と言い祐奈は部屋を出ていったので、大人しく目を閉じる。




 空腹を感じ、再び目を覚ますと、出汁のいい匂いがどこからともなくしてくる。

 何とか体を起こして時間を確認すると、時刻は午後7時を過ぎたところ。窓の外も暗くなり月明かりに照らされている。額に乗っている濡れタオルは、最初に目を覚ましてから6時間経っているというのに、乾くこともなく、まだ頭をひんやりと冷やしてくれている。

 きっと、ずっと付きっきりで取り換えていてくれたのだろう。


「あれ、起きた?」


 芽衣が部屋にやってきた。いつだかの、紺色に花柄があしらわれたエプロンを身に纏っている。


「ああ、今さっき」

「食欲はある?」

「一応は」

「じゃあ、おかゆ持ってくるからちょっと待っててね。あ、でもその前に熱測っといてね。喉乾いてたら、これ飲めばいいから」


 渡された体温計と、スポーツドリンクを芽衣から受け取る。とりあえず水分補給を一口だけして、体温計をわきに挟む。

 そういえば、祐奈はどうしているだろうか。夕飯食べただろうか? というか、何で芽衣はうちにいるんだ?

 色々なことが思いつき、頭を埋めていくが、熱で頭がうまく回らないので考えるのは放棄する。それに合わせて聞こえだしたくぐもった音は、体温を測り終えたことを告げている。体温計には37度9分の文字。ぶっ倒れたときの体温は全然わからないから、何とも言い難いが、確実に下がって入るだろう。


「熱、何度だった?」


 芽衣がお盆に小さな土鍋を載せて部屋に戻ってきた。


「37度9分。まあ、だいぶ楽になったし、下がってるとは思う」

「そっか。それでもまだ高いね」

「まあな。とはいえ寝てれば治るだろ」


 芽衣は俺の手から体温計を回収すると、ローテーブルに置き、代わりにおかゆを茶碗によそう。


「あーん」


 ふー、ふー、とレンゲにおかゆを乗せて、冷ましてから、レンゲを俺の口元に持ってくる。

 おとなしく看病されようと、口を大きく開くと出汁の効いたおかゆが口いっぱいに広がる。


「ああ、美味い」

「そっか、良かった。じゃあ、あーん」


 次が運ばれてきた。またおとなしく口にする。そしてそれを味わってから飲み込むと、また次が来る。



 結局、小さな一人用の土鍋に入っていたおかゆがなくなるまで、あーんは続いた。


「なあ、祐奈はどうしてる?」

「ご飯食べて勉強してるけど」

「ちゃんと飯食べてるならいいんだ」

「美味しい、美味しい、言って食べてくれるから作り甲斐があるね」

「ああ、そうだろ。ところで、もうだいぶ遅いけど帰らないで大丈夫か?」

「今日は泊まるから」


 泊まる。泊まるねぇ……。まだ治りきってないからか、幻聴が聞こえたみたいだ。


「祐奈ちゃんの部屋にいるつもりだから、寝てるときに何かあったら言ってね」


 祐奈ちゃんの部屋があるのはうちだし、幻聴じゃなかったみたいですね。


「あのイケメン君いるのに、うちに泊まっていいのかよ」

「イケメンって森屋君のこと?」

「いや、名前言われても分からんが、多分そう」

「森屋君は家が近所なだけだよ。あと、お姉さんの古着をよく貰うんだ」

「それだけ?」

「うん。森屋君、別の高校に幼馴染の彼女いるし」


 顔が熱くなっていくのが分かる。芽衣がいなければ、熱があるなんてこと気にせず、布団をかぶって叫んでいたのは、間違いないだろう。


「寝るわ」

「そう? しっかり休んでね。あ、寝る前に薬飲んでね」


 なんかあったら、絶対呼んでね、と念を押してから、芽衣はお盆に土鍋、レンゲ、茶碗をのせて部屋を出る。

 一人部屋に残されると、部屋が少しばかり寒くなった気がする。エアコンが効きすぎている、とかそういうわけではないのだ。多分、芽衣の存在が俺の中で想像以上に大きくなっているからだろう。ぶっ倒れたとき、芽衣が森屋君とやらを置いてこっちに来てくれたのに、安心感を覚えたのだって……。あー、駄目だ。とりあえず寝よう。

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