矢じりのフグ

デコボコ親子 第一

 狭い山小屋のような家の上がり框に座っていた中年の男が腰を上げた。

「朝から悪かったね。それじゃあ、よろしく頼むよ。竹を三尺ね」

「はい。ご依頼を承りました。後日お店の方に届けますんで」

「あぁ、悪いね」

 男は人の良さそうな柔らかい笑顔で、店にもなっているケロウジの家から帰って行った。


 ケロウジは一応、と外まで出て見送りをする。すると、入れ違いに山道を下から上がって来る男が一人。魔獣師のハナガサだ。

 歳は三十八歳。魔獣師なんてやっているだけあって筋肉の鎧を着こんでいる厳つい男だ。

 しかし獣が大好きで、殺さずの魔獣師などという呼ばれ方をする事もある。どのくらい好きかというと、獣を見ると自分の方が尻尾を振ってしまうくらいだ。

 そして趣味が異国の珍しい物を集める事であったりと、少し変わった所がある。

 そのハナガサが山道を上がって来るので、ケロウジは手だけ振って慌てて家に入る。


 座布団の上では案の定、客が帰った事に安堵して姿を消す魔術を解いたササが毛づくろいをしている。

「ササ。すぐに姿を消して! それか外に出ていた方がいいかもしれない。見つかったら全力で狸の振りをして。間の子だなんて知られないようにしなきゃ。もし見つかってしまっても絶対に喋らないで」

「おい、おい。何だよ? そんなにやばい奴が来るのか?」

「もうそこまで来てるよ。早く」


 ケロウジの声に重なって、外からハナガサの声が響く。

「おぉい、ケロ! ケロ! カエル屋!」


「ほら来た。いい? 見つかったらぐしゃぐしゃに愛でられて解放してもらえないからね」

 ケロウジがそう言うと、ササは目をぱちくりさせながら姿を消す。

 すると、見計らったかのようにハナガサが入って来た。


「おい、ケロ! 久しぶりだな!」

「久しぶりですね。お茶を飲みますか?」

「いや、水でいい。さっきのは客か?」

 ハナガサは聞きながら、土間に並べてある遺物を楽しそうに眺める。こうして値付けに無頓着なケロウジの代わりに値段を付けているのだが、気に入った物があると買って行く事もある。


「河原町の木彫り屋ですよ。竹の注文に来たんです」

「なに? 竹を?」

 ハナガサの目がギラリと鋭くケロウジに向けられる。ケロウジは慣れたもので、その視線を受け流しつつ水を差し出した。


「そうですよ。木彫り屋なんだから竹が欲しい事もあるでしょう」

「いや、お前に頼みに来たという事は大量の竹がいるのだろう? やはり可笑しい。そいつの名前は?」

「ムジナです。竹は三尺に切った物を五十」

「なんだか矢のような注文だな。おい、ケロ。届けるのは私がいいと言ってからにしろ」

「分かりました」


 今の時代、武士と魔獣師以外の人間が武器を持つことは禁止されている。だからどうしても欲しい人は勝手に作ってしまったりするのだが、作るには弓矢が圧倒的に安価なのだ。

 それに、見つかりそうになったら薪にでもしてしまえばいい。


「それにしても、武器の事まで気にしなきゃいけないなんて大変ですね」

 ケロウジはそう言った。

「まぁな。魔獣師は武士の使い走りみたいなもんだから仕方ないだろう。しかし……」

 ハナガサはそこで言葉を止めた。そして家の中をキョロキョロと見回す。

 ケロウジは不味いなと思ったけれど、平静を装って聞く。


「どうしたんですか?」

「お前、獣を拾ったな?」

 ハナガサが鼻をひくひくとさせてニオイを嗅ぎながら言った。

「え? いいや、いくら腹が減っても獣を食べたりしませんよ。禁忌の食じゃないですか」

「この野郎、はぐらかすな」


 囲炉裏の前で茶碗がカタリとひとりでに転がった。

「昨日の夜、猫に一晩の宿を貸しましたが、もう出て行きましたよ」

 言い逃れは出来ないと諦めて、ケロウジはそんな風に嘘を吐いた。するとハナガサは溜め息を吐いてあからさまに落胆する。

「なんで私が来るまで待たせておかないんだ……」

「猫なんて山に入ればいるじゃないですか」


 ケロウジは励まそうと試みるが、元もとそういう事に向かない人間なので上手くはいかない。喋るほどに事態が悪化するのを、ケロウジは幾度となく経験した。

「人間の家に上がり込んで寛いでくれる猫なんて滅多にいないんだぞ! それを……一晩も一緒に寝ただと? 羨ましい!」

 そんなハナガサの様子を見ながら、ケロウジは姿を消してこれを見ているはずのササを想った。怯えているだろうか? もしかすると面白がっているかもしれないなとも思う。


「ところで、今日は僕に何か用があったんですか?」

「あぁ、そうだった、そうだった」

 するとハナガサは、先日の馬借の馬を全て返したと話す。あそこを定期的に見ている魔獣師というのはこのハナガサの事で、例の愛馬のミミズクを馬借に売ったのもハナガサだ。


「随分と活躍したそうじゃないか。お前の慌てた姿なんて初めて見たと騒いどったぞ」

「冷やかしに来たんですか?」

 ケロウジは不機嫌そうな顔を作って見せた。けれどハナガサはナッハッハと笑う。

「いやいや、そうじゃないんだ。お前と団子でも食べに行こうと思ってな」

「それだけですか?」

「あぁ、それだけだ。たまにはいいだろう? お前は息子のようなものなのだから」

 ハナガサが言う。


 親のいないケロウジにとって、ハナガサは保護者なのだ。ケロウジがハナガサの屋敷を出てこの場所で一人暮らしを始めたのは三年前。ケロウジが十六歳くらいの時だ。


「まぁ、美味い物は好きですよ」

「そうだろう? 河原町の団子屋なんだが、醤油はもちろん餡子やきな粉の団子もあって美味いんだ。そこの店主が未亡人でな、金を使ってやりたくて」

 ハナガサは照れ臭そうに、控えめに笑った。


「何か理由があるとは思いましたよ。それじゃあ早めに出かけますか」

 峠を越えて河原町に行くのなら時間がかかるから、とケロウジは言った。けれどハナガサはもう少し土間に並んだ遺物が見たいと答える。

「大丈夫だ。馬借に馬を二頭、来る時に頼んでおいたからな」

 ハナガサは得意気にケロウジを見た。


 ケロウジはハナガサに生活のためのほとんどを教わった。馬に乗れるようにしてくれたのも、読み書きも、礼儀を教えてくれたのも全てハナガサだ。

 二人の暮らしは八年続いた。その後もこうして会ってはたいした事のない話をする。


 ハナガサの気が済むまで待とうと、ケロウジは上がり框に腰かける。すると、クイッと服の端を引っぱられた。けれどそこには何もいない。

 ササが何かを訴えているのだと思ったけれど、ハナガサの前で聞くわけにもいかないので、ケロウジは見えないササの頭を撫でる。

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