人の顔の裏 第三
ケロウジはその足で隣町へ向かった。
カラカサの傘屋はその町で一番の大通りにある。
目の前は茶店で、隣は先月に店主が変わったばかりの漬物屋。
ケロウジは茶店で団子を注文しながら、馬借夫婦の話をする為に集まっている人たちの中に入って行く。
「ありゃ、皆さんお揃いで」
ケロウジは素知らぬ振りをして座った。
すると仕事を中断して夫婦で井戸端会議に参加している漬物屋の夫婦や、茶店のおばさん、豆腐屋の奥さんに近所の奥さん方までが話したくて一斉にケロウジを見る。
「そりゃあ、仕事どころじゃないからな。大事件だぞ!」
漬物屋の旦那がそう言うと、その奥さんが続ける。
「そうよ! この辺りに馬借はあそこしか無いってのに! 馬借を頼むのに峠越えするなんて冗談じゃないわよ!」
「でも嫁いできたばかりなのに、奥さん気の毒ねぇ」
心配そうな声を出したのは、ケロウジに団子を運んで来た茶店のおばさんだ。
聞いてみると、茶店に集まっているのは馬借夫婦の言い分を信じている人ばかりだった。
馬がいなくなってホッとしている人たちも居るので、こっそりと集まったのだと言う。
「そうですね。旦那もやつれてましたよ。人のいい夫婦だと思うんですが、カラカサは恨みでもあったんですかね?」
ケロウジがそう聞くと皆は口々に思った事を言うが、そのどれも『あの夫婦は恨まれるような事はしない』という話だ。
「まぁ、カラカサは獣嫌いだからな」
漬物屋の旦那は、カラカサは村に馬借がある事自体が気に食わないのだろうと言った。
「だったら馬借のない村に引っ越せばいいのに」
そうケロウジが独り言を言うと、集まっている皆は声を上げて笑った。
そんな風に話ながら、ケロウジは「これなら犯人はカラカサで間違いないな」と思う。
分かりやすい事件に分かりやすい犯人。しかし難しいのは、これがまだ起こる前の事件だというところだ。
実際にはまだ犯人も被害者もいないのだから、これほど難しい事はない。
けれど今もケロウジの目には表情を歪め、首から下が黒い霊体のヒイロが見えている。
確かに事件は起こるのだ。
「それじゃ、お先に」
ケロウジは茶店を出ると、そのままカラカサの営む傘屋に入る。
「いらっしゃい。なんだケロウジか。随分と汚れてんじゃねえか」
カラカサは腕を組んだまま顎をクイッと上げ、馬鹿にしたように言った。
歳は四十三。小さな町の小さな傘屋の主人だけれど、その割にいつも上等な生地の着物を着ている嫌味な事ばかり言う男。
この男について誰に聞いても、いい話は一割ほど。その一割だって「仕事は真面目」だとか「いい品を売っている」というものだ。
それにしても、とケロウジは思う。今日は随分と機嫌が良さそうだ。
「はぁ、山菜取りの帰りなんでね。ところで、その着物はいい物ですね」
「おぅ! そうだろ? こりゃあお前じゃ身の丈に合わねぇ代物だぞ!」
カラカサはガハハッと下品に笑う。
「いやぁ、僕も客商売なんで一着くらいは上等な着物を持っていないとなんて思うんですが、それは本当に良いものですねぇ。幾らくらいあれば買えますかね?」
「まぁ、米一俵だな」
「へぇ、そんなに。僕じゃあ手が出ないなぁ」
「当たり前だろう! ほら、客じゃないならとっとと帰れ」
そうして店を追い出されたケロウジだけれど、こいつは隠れるのが上手い。店の裏に表にと、陽が暮れるまで隠れ通してカラカサの様子を窺ったのだ。
「この程度の事しか出来ないんだよなぁ」
ケロウジはそう漏らす。辺りは暗くなり始めカラカサにおかしな動きは無い。
馬をどこへやったのかその気配すらないし、客以外で店に来た人間はいない。
客は旅の途中らしい二人連れの男が一組だけ。
店にいつも一人はいる手伝いや傘職人が、今日は一人もいない。
ヒイロの霊体は店に来てからずっとカラカサの首を絞め続けているけれど、霊体なので実際には痛くも痒くもない。
なのでカラカサは首にヒイロの霊体を憑けたまま一つ伸びをする。
「今日は帰るしかないか」
ケロウジがそう思った時、カラカサが店の裏口から出てきた。
何やらキョロキョロと辺りを気にするそぶりを見せており、明らかに不審だ。
見ていると松明を片手に町を出て行くので、ケロウジも気付かれないように後を追う。
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