意識高い系ウイルスはリスケジュールの夢を見るか?
名取
2020年8月3日:日本某所
「諸君。今こそ我々のマンパワーの見せ所だ。他の非生物とは格が違うということを、人間共に思い知らせてやろうではないか!」
全く恐ろしい歴史的発見もあったものである。コロナウイルスは知的生命体……いや知的非生命体であったのだ。しかもそれが判明したのが、もうなんか場末のバーみたいな、日本の片隅の古びた研究所のシャーレの中だったのだから笑えない。僕は帰りたい。周りは皆サボるし、仕事押しつけられるのは僕だし、自粛の鬱憤を皆僕に嫌味言うことで晴らすし、最低だ。でももうすごい数の記者たちが外に来ているし、あと研究所内にも外国の偉い先生方が来日しているもんだから、第一発見者の僕は帰るに帰れない。正直なところを言えば、もう僕は帰って無人島を開拓するゲームがしたい。
「では、どうするかね? 誰かイニシアチブをとってくれる者はいるか?」
しかも面倒臭いことに、このウイルスは意識が高い。意識を生み出す器官なんてないくせに。
「おい、そこの寝惚け眼のヒューマン。聞いているのか?」
奴らはもうコロナウイルスとは呼ばれない。なんかすごいスタイリッシュな別名を、三流大卒の僕なんか逆立ちしたって敵わない細菌学の権威がつけていたからだ。でもそれは日本人には覚えにくすぎる名前で、結果的に僕は奴らを単に「ウイルス」とか「お前ら」とか呼ぶ。シャーレに向かって話しかけるなんて、狂人みたいで気が進まないけれど。
「ああ。お前らのキンキン声は世界中に轟いてる。そういう音声拾う的な機械も付けたからね」
「それは重畳。では聞くが良い、我が愛すべき人類共よ。我々は仲間内でコンセンサスをとり、今のシチュエーションをピンチではなくチャンスと捉えようと決めた。つまり、我々はここに語ろうと思う。いかにして我々がここまでの地球支配を為しえたのかをな」
ざわざわっ……。窓ガラスの向こうで、ガラスに思い切り頬を押しつけて盗聴していた記者団がとたんに反応し出す。場末のバーというより雀荘か何かか、ここは。窓がミシミシいってるが、修理代はきっちり払ってくれるんだろうな。
「……へえへえ。それって、どんな?」
「我々は当初より入念なアジェンダとスキームを立てており、それから侵略をローンチした。他のウイルスとはここが違う。一流はスキームもエビデンスもなしに、行き当たりばったりで感染を広げたりしないものなのだ。きっちりノーティスしておけよ、記者団共」
なんということだ。たかだか1μmにも満たない非生命体に、その何万倍もの大きさの生命体が指図されることがあるだなんて。必死にアップルペンを動かしてメモる記者団のなんとクソ真面目なことか。
「我々がまず取りかかったのはブレインストーミング、そして人間についてのリサーチだった。『己を知り、敵を知れば、百戦危うからず』という言葉の通りにな。お前らがそのぷるんぷるんのどでかいゼリーみたいな脳の機能をフル稼働してオリンピックイヤーに浮かれている間、ミニマリストの我々は一歩一歩着実に、かつあらゆる面からお前らを調べていたのだよ。ハッハッハ」
「速報です。どうやらヒトの脳の機能について誤解していると見られる発言が……」
「今のは皮肉だよ、バカヒューマン! お前の脳味噌にされている細胞たちが可哀想だ! アサップで謝れ!」
マイクに喋っていた記者が何百ものウイルスの罵声を浴びて黙った。ウイルスは話を続ける。
「でだ。我々は人類の最も重大な欠陥に気づいた」
「欠陥ね。言われるまでもなく僕らは欠陥だらけの生き物だけど、一応言い分を聞いてみようか」
「見かけによらずなかなか筋があるな、寝惚け眼のヒューマン。それはな、今この地上の人類の多くが、『自分さえ得できれば他のことはどうだっていい病』を患っているという点なのだ」
なんか急に、もっともらしいことを言い出した。僕はだらしなく座っていた回転椅子をなんとなく手前に引き、ゴーグルの位置を整えてみた。
「なるほど。それで?」
「この素晴らしい病は、我々の偉大なパイオニアとなってくれた。遅効性でもあり即効性でもあり、感染経路は全くの不明。しかも自覚症状もほぼないまま、感染だけが爆発的に広がっている。この病を広めているウイルス的存在がいるとしたら、これはまさに神にも匹敵する所業ではないか。我々は大いに学ばせてもらった。そして学んだことすべてを、スキームに組み込んだ」
「ほおほお」
「まずネーミングだな。何という名に化けるかにも抜かりなく注意を払い、できるだけ全ての語圏で言いやすいコロナという名前にした。言いやすい名前であるほど、口伝えに広まるのも早い。心ではなく身体の方に感染する我々ではあるが、まずは知名度から上げていかなければな」
僕は思わず苦笑した。
「うわ、なんかものすごく嫌な感じだな。そんなとこまで考えてたの?」
「もちろんだ。我々の本気はこんなものではない。それから我々は仲間を二つの班にアサインした。一つは病気としての感染を拡大するメインのA班、そして一つは『自分さえ得できれば他のことはどうだっていい病』をトレースして動くB班だ。後者は偉大な先駆者の切り開いた道を通って、ひそかにヒトの脳と思考に入り込み言動を操ることで、メインのA班のサポートに回ったのだ!」
頭が痛くなってきた。きっとこれは感染症状とかではないやつだ。
「え……じゃあ元々、その『自分さえ得できれば他のことはどうだっていい』病にさえかかってなければ、そのB班には操られることはなかったってこと?」
「その通りだ、寝惚け眼のヒューマンよ。繰り返し言うが我々はバカではない。かつて無情にも克服されていった無数の同胞達と同じ轍は踏まない。サステナビリティーを確立するためなら、お前らのどんな弱点だって利用してやる。これまでも、そしてこれからもな」
その時だった。窓の向こうで、騒々しい音が聞こえてきた。どうやら記者団に向かってデモ隊が乱入してきたらしい。
「こんな時に密になって研究所を取材なんて、どうかしてる! マスゴミめ、お前らは全くの社会のゴミだ! せっかく夏になったのに、私達が本来やるはずだったオリンピックも開けず、まだみじめに自粛していなくちゃいけないのは、全部無能なお前らのせいだ……もう我慢ならん、消えてしまえ!」
ギャーッというつんざく悲鳴に始まり、すさまじい応酬が始まった。カメラの叩き壊される音や、警官隊の駆けつけるサイレンなどが響き渡り、いきなり表が賑やかになる。各国の疫学・細菌学・病理学の権威たちもそそくさと窓際に集まって、心配そうに様子を眺めている。
「こりゃひどい。あれもお前らの仕業かい?」
「さあ、どうだかね。そのソリューションを導き出すのは我々のタスクではない。さて、我々は少し眠るとするよ。喋るのは些かカロリーの消費が激しいのでね」
ウイルスはそこで話すのをやめた。顕微鏡を覗いてみると、寝息を立てる赤子の胸のようにわずかに動いていて、死んだわけではやはりなさそうだった。きっとリスケの夢でも観てるのだろう。表では相変わらず大乱闘が続いている。僕はあくびをひとつした。
最近はあまりテレビを見る暇もない僕だったが、それでも人間の移動が減ったことで環境問題が改善され、青空が蘇った、という話は聞いている。はてさて、窓ガラスの向こうで無駄に血と汗を流し合う人々と、ガラスのシャーレの中で身を寄せ合って眠るウイルスと、果たしてどちらが危険な存在なのか……。まあどっちも酷いけど。
僕は思いきり伸びをして、力なくひとり呟いた。
「なんにしても。早く帰らせてくんないかな」
意識高い系ウイルスはリスケジュールの夢を見るか? 名取 @sweepblack3
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