第21話 スランプ

 5月3日




 正午近く。俺はおかんが作ってくれた昼食を食べ部屋に戻った。そして、気づいた、同じ部屋の住人である兄貴の顔色が優れないことに。


「どうした?兄貴、風邪か?」

 兄貴は土色の表情をして言う。


「そうかもしれん。ゴホッ!あの話聞いてから突貫(とっかん)で書いていたから、あまり具合が良くない」


「マジかよ!一日中書いていたのか!?」


「すぐ終わると思っていたんだ。だが、二人の予期せぬ再会から散歩をする、その散歩のシーンが思いの外長くかかった。やはり、ゴホッ!小説を舐めてはいけんな」


「ま、今日は休みなよ」

「4日ぐらい休むことにするよ。コロナかもしれないから」

 それに俺はうなずいた。


「それがいい」

 兄貴は風邪で休み、か。

 俺も心の風邪で休み、かな?


 あれから、まいちゃんのことが気になって仕方ない。一応、クロスで、おはよう、と今朝打ってみたが返答はなかった。


 それから、今日の午前だけでも描こうと思っていても、手がつかなかった。あまりに気になって描けない。


 そして、ふと自嘲(じちょう)する。

 俺も、森崎と同じだ。スランプに陥ったら努力できなくなる。一応期間限定とは言え、期間限定だからこそ、本気で絵の勉強をしなくちゃならないのに、それができない。


 声優を取ると言う道は正直言って捨てた。あれから調べたら声優の養成所はバカ高い。正直言って、イラストを掛け持ちするのはきつい。イラストの専門学校もあるし、何より、イラストを描いてみて、俺自身結構描くことが好きになっていた。


 だが・・・・・・・・

 今は描けない。どうしても頭の中にまいちゃんのことが思い浮かぶのだ。


 まいちゃんは今何をしているのか?ボアと遊んでいるのか?彼のことを気にしているのか?早く元気になってほしい。そして、俺と・・・・・・・・・


「いやいや!ダメだ!ダメだ!」

 頭をブンブン振って一階に降りていった。


 降りていってもどうにかなるわけではないが、このままでは落ち着かない。と言っても降りてもどうするわけでもないのだが・・・・・・・。

 そう期待せずに降りたら、テーブルにおとんがいた。小説を読んでいる。


「おとん」

 おとんは顔をあげた。白髪な痩せた中年男性で眼鏡をかけっていてどこか紳士的だったが、ちょっと所帯臭さを感じられるのがおとんだった。


「貴敏、どうした?」

「いや、オトンが本を読んでいるのが珍しくて」

 それにおとんが不思議な表情をする。


「僕はいつも休日には読書をしているが?」

「あ!ははは、そうだったね。そう言えば」

 クスリとおとんが笑う。


「おかしなやつだ」

 そうなのだ。オトンは根からの読書好きで、仕事終わりに哲学や政治の本、休日には小説を読んで過ごす、プチインテリなのだ。

 俺はおとんのそばに椅子に座った。


「なあ、おとん」

「なんだ?」


「実は悩みがあるんだけど・・・・・・」

「まいちゃんのことか?」

 そのおとんの言葉にギョッとした。


「なんで知ってんの!?」

 おとんは至って冷静な口調で答える。


「お前とまいちゃんが最近中良さそうだったから、悩み事といえばそれ関連だと思っただけだ」

「ああ、まあね」

 近所だし、バレてないと考える方がおかしいか。


「ちょっと詳しく話せないんだどさ、まいちゃん悩んでいて、俺彼女の悩みにはそっとしとくしかないんだ。彼女自身がそう望んでいるから。それで、俺、夢もってさ。プロのイラストレーターになることなんだけど、本気でそれを食っていく、と言うよりかは、期間を設けてできるだけやれるところまでやって、それでダメだったらスパッとやめようと思うんだけど、その肝心の絵が描けないんだよ。3年のリミット決めているからちんたらやっている場合じゃないんだけど。だからさ、夢に手がつかなくてどうしたらいいのか。なあ、おとん、おとんは仕事でスランプに陥ったことはある?」


「あるよ」

「その時、どうしている?」

 おとんは遠い目をした。


「そうだな。好きな人のために頑張ることにしてた。僕には妹がいるんだけどね。何かめげそうになったら、彼女に顔向けできないな、と思って頑張ってきた。それから、彼女に代わり、妻になって、子供たちのために頑張ろうと思った。お前の参考になるかはわからんが・・・・」


「誰かのため・・・・・」

 俺は独りごちた。

 おとんは頷く(うなずく)。


「そう、誰かのために、だ。誰かのために頑張れるものは強くなる。そう、僕は思っているけどね」

「・・・・・・・・強くなる」

 俺は頭を下げておとんの言葉を反芻した。そして立ち上がった。


「おとん、ありがとう。今ので少し道が見えてきたがするよ」

「そうか、頑張れよ」

「読書、邪魔して悪かったね」

 おとんは快活(かいかつ)に笑った。


「なんのこれしき。気にするな」

「ああ」

 俺はすぐに2階に上がり、机に置いてあった紙と鉛筆を持った。


「誰かのため・・・・・・・・」

 俺にはその誰かがいなかった。その点を除けば、おとんの話は俺には当てはまらない。


 下敷きを机に置いて、印刷用紙を上に置く。そして、プロの絵を印刷したイラストを横に置いて、そして鉛筆を持つ。


「俺には誰か守る人がいない」

 プロのイラストを丹念(たんねん)に見つめ、まず当たりをつける。


「でも、俺の絵を見てくれる人がいる」

 今は一人だ。だが、その一人がもっと喜んでくれるように、そしてそれ以上の人が見て喜んでくれるように。


「俺は諦めない。たとえ、コロナで経済が鈍化しても、イラストがそんなに社会的に必需品ではないこともわかっているけれど、夢は諦めない。少なくともこの3年間だけは死ぬ気でやるぞ!」

 そう思い、俺は絵を描き続けた。


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