第26話 荒城の残火(5)

 テッサリアとの戦争。

 そこに半独立の商業都市、サロニカが介入するかもしれない。

 これは王国存亡の危機だ。

 そう断じた第一軍務卿メガイラは、いち早く行動を開始した。

 戦時体制を整えるため、様々な軍事物資を、王国正規軍の統制下に集める。

 その為に、彼女の名前で「徴発令状」を発した。


 それから、軍務卿はアルス・マグナへと踏み込んだ。

 強大な戦力となる、機動甲冑の接収。それを遂行する為、信頼を置いた側近たちと精鋭部隊、およそ一二〇名を引き連れていた。

 入り口で止めようとしたアルス・マグナの職員を拘束、一方的に構内に立ち入った様子は、何らかの不正を疑い、抜き打ちで調べに来た雰囲気さえあった。

 廊下を早足で歩く軍務卿、そこに食い下がったアルス・マグナの理事。


「メガイラ殿下、一体何をお考えなのです!? 殿下ッ」

「私自ら機動甲冑を接収しに来た。邪魔をするでない」


 総裁である、ベアトリクス第一王女が病に倒れた今。

 矢面に立っている彼女でも、軍務卿の足止めにはならなかった。

 身柄を拘束した理事には目もくれず、機動甲冑の整備場を目指す。


「お待ちください、殿下ァ――ッ!」


 異様な雰囲気。

 慌てふためく研究員たち。

 ひときわ厳しい目つきをした少女が一人、軍務卿の前に進み出た。


「ご見学の申し入れがあったとは聞き及んでいませんが、何のご用件でしょうか? メガイラ軍務卿」

「貴様、無礼であろう!」


 取り巻きの兵士が剣を握ろうとする。

 それを止めた軍務卿が、言い放った。


「まず、令状を読み上げよ。それで抵抗する者は、斬ればよかろう」


 代わりに別の兵士が羊皮紙を開いて、こう通達した。


「徴発令状。これより、第一軍務卿メガイラ・ディーン・アルトリアの名において、アルス・マグナの所有する機動甲冑、ならびにその付属品を徴発する」


 透き通った空色の目を見開いた少女、カリス。

 兵士たちが一斉に散らばって、捜索を始める。

 研究者たちが日ごろ、丁寧に取り扱っている物品の数々。

 それが兵士に粗雑に扱われる様に、少女は髪を逆立てた。


「何をなさるおつもりですか!? 離して下さいッ」

「……ほう。あるではないですか、鍵剣とやらが」


 爛々らんらんと目を輝かせるメガイラ。

 二人の兵士に拘束された、少女の険しい顔とは対照的だ。

 王国随一の軍務を司る彼女は、部下から差し出された短剣を手にし、興味深そうに眺めていた。


「メガイラ殿、これは完全な越権行為ですよ」

「緊急事態における民間から戦力の調達だ。言葉を慎め、学者。もちろん貴様らにもじきに徴兵令状を発行するだろうがな」


 女王ディアナの従妹にあたる人物。

 その眼光の鋭さは、十二分に王を名乗るに相応しい。

 かつて、アルス・マグナの研究者たちが拝謁を許された女王ディアナには、学識を愛し、学究の徒への後援を惜しまない姿勢があった。

 翻って、脅迫と恫喝を微塵も隠さない、この人物はどうだろうか。そうした威厳や威光は、この場において欠片も存在しない。そう思われてならなかった。


「これは……天然の黒曜石オブシダンか。カビ臭い魔術師共の寝蔵にしてはカネを食う。以前よりそう思っていたが、こんな物まで使うとは随分と手の込んだガラクタだな」

「その言葉……聞き捨てなりませんね」


 烈火の如き怒りを瞳に灯す。

 そんなカリスが悦に入った王族に噛み付いた。


「ベアトリクスの子飼いのガチョウが随分と鳴くものだ。何か言いたいことがあるのだろう、申せ」


 その言葉を合図に、解かれる拘束。

 国家の非常事態とは承知している。

 それでも、腹に据えかねる横暴に対する憤り。

 女王に抱いた敬慕の念から、はるかにかけ離れた何か。

 それに加えて、学術者としての誇りと自負が、言葉となって迸る。


「機動甲冑は千年前の古代帝国の叡智。我らルナティアの魔術師を八百年結集してもなお紐解けない夢、秘奥と執念の集大成です」

「それがどうした」

「それ故に、選ばれた者のみが手綱を握ることを許された、この大地に生きる全ての人間共通の遺産なのですよ! それを貴女は、たかだか人間同士のつまらない小競り合いの道具に使おうとしている!」

「つまらない小競り合いに使っているのはテッサリアもであろうが。それを報告してきたのも貴様らアルス・マグナだ」

「理解なさっているのであれば、なおのこと! いたずらに使えば、この大陸そのものが沈むやもしれぬ、そんな代物を濫用しようとする企みを看過することは……ッ」


 一閃。

 カリスの悲痛な叫びは、黒曜石の鈍い光に切り裂かれ、鮮血が散る。


「っ……ぁ……!」


 拘束された魔術師、技師たちの悲鳴が上がる。

 それを一瞥もせず、冷ややかな瞳が少女を睨んでいた。


「話が長いぞ、小娘。戯れがすぎる。これ以上囀るのであれば、命を以って払わせてやろうか」

「……ッ!!」


 右の頬から流れる血にも気を止めず、暴君を睨みつける少女。

 手にした黒曜石の短剣は、少女の血潮で赤黒く輝く。


「しかし、その気概だけは買ってやろう。貴様、名前はなんと言う」

「……カリス、カリス・ラグランシア」

グランシア農村の者か。ふん、どこの木の股から生まれたのかも知れぬ貴様によく似合う名だ」

「……ッ」

「貴様ら自慢のガラクタまで案内する権利を与えてやる。ソフィアの飼い犬に扱えたのだ。私に扱えぬ道理はなかろう?」


 たぎる怒りを拳に込め、下賤の名を持つ少女は立ち上がる。

 内にて鼓動する力の振り下ろす時と場はここではない。それは彼女自身がわかっていた。

 滴り落ちる血流の熱は冷めない。


 ***


「機動甲冑ドラヴァイデン、これが現在稼働状態に入った唯一の機動甲冑です」


 先日整備が終わり、真新しい装甲と塗装で彩られた、青と黒の巨影。

 胸元の高さにある欄干から、その相貌を不敵な笑みで見上げる軍務卿メガイラ。


「先のクラウディウスの小娘、あやつの扱う物と随分違って見える」

「オクタウィア・クラウディア様の扱うサイフィリオンは、風と聖を司る『空』の機動甲冑。対し、このドラヴァイデンは水と魔を司る『海』の機動甲冑です」


 刃を背に突きつけられる、機動甲冑専属調律者。

 決まり事となった言葉を淡々と並べる彼女に、暴君がわらう。


「血も通わぬ鉄屑が、人間と同じく複合属性を持つか」

「……機動甲冑は、その成り立ちから魔術に対する防御手段として、複合属性を持たされているのです」

「貴様ら学者らしい屁理屈の付け方だ。しかし、それだけ豪語するのであれば守りは万全なのであろう? どう扱えばいい」

「正規の機動甲冑操者である。そう認められれば、自ずと背面の扉が開きます。彼ら自身が操者を迎え入れるのです」

「この鉄屑が選ぶ、だと? 面白いことを言う。ルナティア王家に連なる者をこんなガラクタが選り好みすると来たか!」


 あまりにも馬鹿馬鹿しい。

 そうとばかり、メガイラは大いに笑った。

 カリスが向ける疑いの眼差し。

 これが本当に王族の血を引く者なのか、と。

 当代の女王であるディアナ。

 母代わりでもあるベアトリクス。

 そして奇縁で結ばれたソフィア。

 賤民の出身でありながら、今や三人の王族の偽らざる人となりを直接知るに至った彼女は、歯噛みせずにいられなかった。


「良いだろう。ならば、選ばせてやるとも。このメガイラ・ディーン・アルトリアの名を刻むがよい」


 高らかに笑いながら欄干を歩き、機動甲冑の背に向かえば、果たしてその背は見事に操者を迎え入れようと大口を開けていた。


「見ろ! 貴様ら魔術師の叡智とやらは、私を歓迎しているぞ!」


 そんなはずはない。

 カリスの目が見開いていた。

 返す言葉もない。落胆と驚嘆が入り交じる。

 本当に、古代帝国の遺産が受け入れるのか。

 こんな、私欲で力を振るう者すら、受け入れてしまうのか、と。


「この中の椅子に、座ればよいのだな?」

「――はい」


 苦渋に満ちた肯定の言葉。

 彼女の血潮を浴びた短剣。

 それを天に掲げ、メガイラは高々と宣言する。


「扱ってみせるさ。そして、イメルダの率いる雑兵など、あっと言う間に蹴散らして見せよう! 皆の者、今から歴史書に私の名を刻んでおけよ」

「「万歳ッ、王国軍、万歳!」」

「「メガイラ殿下、万歳ッ!」」


 側近たちが諸手を挙げ、歓呼する中。

 軍務卿の笑いは黒鉄の胎内に吸い込まれた。


『インフィックス確認。システム・リスタート』


 メガイラの耳に、聞き慣れない機械の駆動音と、癖のある古代語が突き刺さる。

 帝国時代の発掘兵器である。何らかの細工が、魔術で施されているのであろう。

 そう思案するも束の間、その思考は唐突に打ち切られる。


『警告。――――不明――の搭乗を確認――、エラーコード・ナンバー〇〇三――最優先処理。警告。不明――、直ちに当機より退去せよ。繰り返す――』

「な、なんだ……なにを……」

『警告。当機より退去せよ。再度の警告を最終警告とする』

「一体誰が喋っている! ベアトリクスの部下の連中かッ!」


 真っ暗な機動甲冑の胎内で。

 赤い光が薄暗く、メガイラを照らす。


『最終警告の拒絶を確認。当機の正規搭乗者は――』


 メガイラは目を見開く。

 機動甲冑の告げた名に。

 反目の言葉を叫ぼうと口を開いた瞬間であった。


『不明――を排除開始』


 ルナティア王国、第三王位継承者。

 メガイラ・ディーン・アルトリア。

 その意識は、間もなくして焼き切られてしまった。


 ***


 機動甲冑がおかしい。

 見たことない異常動作をしている。

 外で見ていた全ての人間にとって、説明が無くとも明らかな挙動。

 むしろ、機動甲冑がいかなるものか、王国で最も知っているアルス・マグナの人間であればこそ。

 これまで起動してきたエールセルジー、サイフィリオンのそれと歴然とした違いに戦々恐々としていた。

 ややあって、その不気味な胎動は収まった。

 第一軍務卿メガイラを迎え入れたはずの背面の扉が開く。

 しかし、開かれた扉の中からは先程までの高らかな笑いが聞こえない。

 不審に思った側近たち。

 次々と階段を駆け上がり、扉に近づいて、悲鳴を上げた。


「メガイラ様! お気を確かに!」


 側近たちが青い顔をして、ぐったりとした身体を引きずり出す。


「メガイラ様! メガイラ軍務卿殿下!」


 石造りの格納庫に無限に木霊する声。

 敬愛すべき上官を呼ぶ金切り声はあまりにも悲痛だった。

 見開かれた瞳孔と僅かに痙攣する肉体。

 そこには、わずか一分ほど前まで満ちていた大仰な態度も威厳も無い。

 引き攣り、動くことがない、虚空を覗く空虚な笑み。

 一体何があったのか、誰の想像もつかない。

 理解できるのは王国内第三位の王位継承権を持ち、今や王国の軍権を握った人間が『終わってしまった』という事実のみ。


(……ああ、やはり……)


 呆然と立ち尽くしていたカリスがまぶたを閉じる。

 こうなることは、最初からわかりきっていた。

 機動甲冑は正規の搭乗者が許諾した者しか、受け入れないのだから。


(……そうだ。ドラヴァイデンは、


 故に歩む。

 精鋭を誇る側近たちの、悲しみと混乱の声を尻目に。

 背後で刃を握っていた兵士の静止の声も振り解いて。

 若き賢女は、つい先ほどまで暴君が座していた、機動甲冑の背の内へと収まる。


『――声紋、マナサーキット、スキャニング』

「ドラヴァイデン、あなたは……」

『搭乗を検知――フィッティング・データ・ロード――スペック、FCS、マナサーキットダイレクト、ラーニング・リテイク』


 初めて耳にしたにもかかわらず。

 どこか耳馴染んだこえに思われた。


『体温、心拍数と血圧ともに正常値……バイタルデータ、オール・グリーン――マナサーキット正常、適合率九九パーセント――』


 そうあれかし。

 自らの身体と精神が受け入れる。

 それは、着慣らした肌着を身につけるように。


「ねぇ、教えて下さい。ドラヴァイデン。あなたは……」


 続く言葉を言い淀む。

 問えばきっと、この鋼の巨人は偽り無く答えるだろう。

 それが怖かったから。


『ハーモニクスアダプター、パッケージオープン。ネルフコネクト・スタート』


 自らの手足が鋼鉄の鎧を纏っていく。

 観測者ではなく、当事者として得る生々しい感覚。

 しかし、不思議なことに、重さは微塵も感じない。

 少女の脳裏に浮かんだ感情。それは僅かな驚きと、大いなる安心感。


『ビジョン・コネクト――サウンド・コネクト――ネルフコネクト・コンプリート』


 その視界が。

 その聴覚が。

 その感覚が。

 すべて、彼女自身の物となった時。

 カリスは一つの確信を体得した。


「ドラヴァイデン。あなたは私を

『パイロット・データ、オプティマイゼーション、リコンプリート。当機の正規搭乗者はカリス・ラグランシア。貴女です』

「あなたは、ずっと……私を待っていたのですね」

『お待ちしていました。カリス・ラグランシア』


 滂沱ぼうだと涙がこぼれた。

 母というものを知らぬカリス。

 そんな天涯孤独の身にとって、脳裏に響いた機動甲冑の無機質な言葉は、何よりも親密なモノに感じ取れてならなかった。


 ― 第四章 完 ―






 ◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇


 新着、自主企画等から初見の皆様方。

 また、更新通知からお越しの皆様方。

 お読みいただき、ありがとうございました!


 第四章完結です。第五章はいよいよ戦争です。

 イメルダに領地を切り取られてゆく、シャルルの運命は如何に。

 主人公シャルルやヒロインたちの続きがもっと読みたい方は、

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