第25話 荒城の残火(4)

 早馬がはしる。

 王都への急使を背に乗せて。

 石畳の街道を駆け抜けること、五六マイル九〇キロメートル

 馬を三度乗り継いで、王都に着いた頃、東の空がわずかに色づいていた。


 大河の向こう、王都の城門。

 夜明け前にくぐり抜け、駆けこむ軍務府庁舎。

 急報を最初に受け取ったのは、数人の当直の士官だった。

 手分けして、第一軍務卿メガイラ、そして、王太子ベアトリクス第一王女のもとへ、伝令として走っていく。


 ***


 ベアトリクスはすでに起床していた。

 その顔色は明らかに悪い。貴族病の発作が彼女を苦しめている。

 本来、安静にしているべき身の上。それを許さない不祥事が起きていた。


 今、アルス・マグナが混乱の渦中にある。

 機動甲冑『エールセルジー』が失踪、そんな前代未聞の事態の真っ只中。

 事情を知った総裁が、息も白むほどの寒い早朝に、自ら足を運んできた。

 専属調律者カリス・ラグランシアは膝を屈して、小さな頭を床につけた。


「誠に申し訳ございません、総裁殿下」


 修復した装甲板を取り付けたのが一昨日のこと。

 先日アルス・マグナ収蔵の骨董品に埋もれていた騎槍を見つけ、分解していた手足と一緒に装備させてみたのが昨日のこと。

 ここまで修復したエールセルジーを、本来の所有者である王立博物館側に供覧する予定が入っていたのが今日。

 その機体が夜中に突如起動して、どこかへ走り去ってしまった。


「大変な不始末を招きましたこと、謹んでお詫び申し上げます」

「……なぜ動いたのでしょうか。鍵剣を差していない機動甲冑が。わかりますか」


 エールセルジーの鍵剣。

 カルディツァ領主、カロルス・アントニウスが所持している唯一の剣。

 他の誰かが機体を鹵獲するなど不可能だ。そう思われていた。

 たった一つ、可能性があるとしたら――。


「わかりません。ただ、操縦席が本来、エールセルジーのモノではなく。それ故に、外部からの干渉を受ける可能性があった点を留意すべきでした」


 忸怩じくじたる思いであった。

 両手、両膝、そして額まで。

 冷たい床に平伏した少女の声は震えていた。


おもてを上げなさい。カリス・ラグランシア」


 十五歳にして賢者と謳われる少女。

 実の親と生き別れた天涯孤独の身。

 みすぼらしい身体に秘められた才能を見出し、愛し、信頼し――果ては機動甲冑の研究まで託してくれた、尊敬する親代わりの王太子。

 どんな叱責であろうとも、彼女の言葉ならば受け入れる覚悟を固めていた。


「以前、エールセルジーが博物館で動いた時のこと。覚えていますか?」

「はい、覚えています。実は今回も、あの時に似たことが起こりました」

「……エールセルジーが走り去る前後、機体を収容した格納庫の隔壁が割れ、大きな穴が開いた。そこから、エールセルジーが飛び出していったのですね」


 頷くカリス。ベアトリクスがさらに問う。


「でも、今はそのような穴がありませんね?」

「はい。独りでに穴が開き、エールセルジーが去った後に、塞がったのです」

「つまり、以前の博物館と同じように、設備が壊れたように見えた、と……」


 はっと目を見開く。

 そんな少女を、王太子の眼差しはじっと見つめていた。


「……もしかしたら」

「資格者の許へ向かったのでしょうか。エールセルジーは」

「今のアントニウス卿には、魔術を行使するすべがありません。遠くカルディツァからエールセルジーを呼ぶなんて、無理だ……そう、決めつけていました」

「普通に考えれば、そうでしょうね。でも、あなたが研究してきたモノは、私たちの理解を超えたモノなのでしょうから」


 他人ひとは、時に自分を指して賢者と呼ぶ。

 でも、自分を拾ってくれた王太子殿下は、時に曇ることのある自分の目を開かせ、導いてくださるお方だった。

 思い知る。自分は、まだまだ子供だと。


「エールセルジーが失踪した。それはきっと、ゆえあることなのでしょう」

「……そうかも、しれません」

「それはそれとして。王都に機動甲冑が存在しない。これは由々しき事態です」


 ベアトリクスの目つきが変わる。

 背筋を伸ばし、傾聴するカリス。


「口先の謝罪など望んではおりません。修復していた機動甲冑を稼働できるように。至急取り計らいなさい。わかりましたね」


 自分が思い描いていたどんな叱責よりも。

 期待をかけてくださっている故の言葉は、自分の胸奥に突き刺さった。


「承知いたしました。配備を急ぎます。王太子ベアトリクス第一王女殿下」


 瞼の裏側に熱いモノを伏せて。

 専属調律者カリス・ラグランシアは深く頭を下げた。


「王太子殿下ッ!」


 そこへ伝令がやってきた。

 衝撃的な知らせを手にして――。


「なん……ですって……ッ!?」


 イメルダ・マルキウスの旗本が、カルディツァ郡南部に攻め入った。

 その知らせが、病を押して立っていたベアトリクスを打ちのめした。


「殿下ッ! お気を確かにッ」

「殿下がお倒れに、早く主治医をッ」


 決して丈夫でない身体。

 そこに圧し掛かった、国家の重責。

 第一王女ベアトリクスの病が、王国の将来に波瀾を巻き起こしていく。

 青ざめた顔を隠しきった小さな大賢者でさえ、それは予見しきれない。


 ***


(ベアトリクスが倒れたか。このような時に、なんと嘆かわしい)


 第一軍務卿メガイラ。

 正式な名前は、メガイラ・ディーン・アルトリアという。

 現女王ディアナ十四世の従妹にあたり、傍系王族の一人。

 王位継承順序はベアトリクス第一王女、ソフィア第二王女に次ぐ第三位。

 二人の王女が健在である限り、メガイラが王権を握ることはあり得ない。

 しかし、軍権の取り扱いとなれば、話は別である。

 軍権を委譲されているベアトリクスが不測の事態に見舞われた場合。その代行者となることがメガイラには認められていたからだ。


(女王陛下に軍権代行を申し出よう。国家の有事、座視するわけにはいかぬ)


 陽が昇ってから、メガイラは女王ディアナ十四世に拝謁。

 第一軍務卿に認められた、軍権の暫定的委譲を申し出た。


 時同じくして届いた、イメルダ・マルキウスからの書状。

 それは領主カロルス・アントニウスに対する「解任状」の謄本とうほんだった。

 様々な不正、嫌疑を書き連ね、領主として資質を欠くと結論付けている。

 領地を速やかに差し押さえるため、ラリサ太守として部隊を派遣する。

 王国正規軍は兵を退き、カルディツァ郡全域を明け渡すよう希望する。

 仮令たとい王国軍であっても、これを妨害する者には実力行使を辞さず――と。


罷免ひめんするというのですね。余が勅命ちょくめいで封じた領主を」

「それだけではございません。この署名をご覧ください」


 重大事態と見た女王は、閣僚を招集しょうしゅうしていた。

 招集を受け、登城した法務卿が掲げたもの。

 イメルダが送りつけてきた、「解任状」である。


「テッサリア辺境伯 イメルダ・マルキウス、とございます。これまでも『辺境伯』を自称する事例はあったようですが、王都に送る書状で自ら名乗ることはありませんでした」

「田舎豪族風情が『辺境伯』を名乗るなど、傲岸不遜ごうがんふそんはなはだしい」


 不愉快そうに口にした大蔵卿、ユリアヌス候コンスタンティア。

 辺境伯は侯爵に肩を並べる爵位である。

 自分と同格とは、決して認めたくない。

 そんな気持ちが、口をついて出たとも言える。


「これは余に対する最後通牒でしょうか。どう思いますか。メガイラ」

「いいえ。これは宣戦布告と呼ぶに値します。陛下」


 監察御史かんさつぎょしが王都に送った工廠の土。

 そこからは微量ながら、特殊な液体金属が見つかった。

 ゲル・オリハルコ。

 外見こそ水銀に似ているが、似て非なる、特殊な魔術的性質をもつ。

 機動甲冑の脚部に埋め込まれた、車輪に使われている希少な物質だ。

 この土が回収された場所。そこに機動甲冑の脚部があった物的証拠である。


「イメルダが余の勅命のみならず、王国の律法をもないがしろにし、あまつさえ事を構えると申すならば、もはや余も決断をいとうつもりはありません」


 この日、女王は勅書を発行した。

 第一軍務卿メガイラ・ディーン・アルトリアに軍権を委譲するものだ。

 以降、王太子ベアトリクス第一王女に代わって、メガイラが軍権を掌握する。


 事態はより一層、切迫していた。

 テッサリアで買い付けた穀物、それが届かない。

 テッサリア各地からパラマス湊に集まった川船。そこから、荷を積み替えて王都に運ぶ外洋船が出航できないという。

 軍艦が昨晩から入り江の出口を封鎖、すべての商船の往来を止めているためだ。

 軍艦にはテッサリアではなく、王国最南東にある自由都市サロニカの海軍旗が掲揚されている。

 パラマスから浜街道を上ってきた知らせに、動揺を隠せない王国の官僚たち。

 穀物の確保に腐心してきた、大蔵卿コンスタンティアにも平時の余裕がない。


「パラマスに集積した穀物、あれを直轄領に運べなければ、もって三ヶ月。それまでにケリを付けられるのですか!? メガイラ殿下!」

「言われなくても、全力を尽くしますとも。大蔵卿」


 そう答えたメガイラは内心、焦りを覚えていた。


(テッサリアはともかく、サロニカがどうして動いた? 食糧確保の動きを察知していたのか)


 商魂たくましいサロニカ商人。

 彼女たちは世の中の風を読むのが巧い。

 王都が小麦を買い付けた動きを読んでいたのだろうか。


(なぜ海軍まで動員した。まさか、テッサリアと手を組んでいるのかッ!?)


 テッサリアがカンボスに攻め入った同日、サロニカが海上封鎖に踏み切った。

 偶然にしてはあまりにも出来過ぎた事実が、悲観的な情勢分析を後押しする。


「こんな肝心な時に、博物館の機動甲冑を紛失するとは、まったくアルス・マグナの穀潰ごくつぶしどもは何をやっているのか」


 毒づく大蔵卿を尻目に、第一軍務卿メガイラは深く決心した。

 テッサリアとの戦争に備え、いち早く戦時体制を整える決意。

 それがいったいどんな悲劇を招くか、この時、誰も予想できなかった。






 ◇◆◇◆◇ お礼・お願い ◇◆◇◆◇


 新着、自主企画等から初見の皆様方。

 また、更新通知からお越しの皆様方。

 お読みいただき、ありがとうございました!


 ベアトリクス殿下が病に倒れ、これからどうなってしまうのか?

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