第12話 冬至祭り

 一年で最も昼が短く夜が長い一日――冬至とうじはこの国で特別な意味を持つという。

 ルナティア国教会では月の女神の建国神話に由来する重要な祭祀さいしが執り行われて、聖堂へ礼拝に向かう者が少なくない。国教会が多数派ではない郡都カルディツァでも駐留武官や官僚たちの中には小ぢんまりとした聖堂で祈りを捧げる者がいた。

 しかし冬至を祝う習慣じたいは国教会に限ったものでなく、国教会の信徒ではないテッサリアの大衆の多くにとってもこの時期が一年で最も盛り上がる祝祭というのは同じである。


 ***


 アルデギア地方の漁村は折からの豊漁もあって近年稀にみる好景気に沸いていた。季節が秋から本格的に冬に移り変わる重要な節目であり、水揚げされる魚種も変わることからこのまま豊漁が続いてほしい願いも込められている。


「よし、コイツで満杯だね。蓋を閉めるよ」


 水揚げされた海産物を積み込むため特別に用意された荷車には薄く延ばした鉄製の生け簀が積まれ固定されている。生け簀とはいえ上には蓋がついており、蓋を閉じると中身を閉じ込めることができた。

 漁師が潮水と一緒に生きたままの魚介類を閉じ込めたら、蓋に刻まれた術式に掌を重ねて魔力を込める。こうすることで中身を遠くまで運べると聞いていたからだ。


「術式も発動させたけど、これで本当に腐らせずに郡都まで持っていけるのかい」

「ご領主様からはそう聞いているけど、アタイも半信半疑さ」


 この地方で水揚げされる最も代表的な冬の魚であるニシンをはじめ、海産物は塩漬けか干物にして保存が利く状態にしてから輸送するのが常識である。漁船であれば船内の生け簀に生きたまま積んで運ぶこともなくはないが、陸送でそのような試みは聞いたことがない。

 しかし、郡伯カロルス・アントニウスという新しい領主はそのような博打ばくちにも受け取られかねない試みに惜しみなくカネを出す。魚介類を売ってくれた漁師に領主から預かったカネを手渡して彼女らの仕事が始まった。


「さぁて、大事な積み荷だ。慎重に運ぶよ!」


 軍馬に牽引されて荷車が滑り出す。軍馬が石畳の街道を一歩ずつ踏みしめるたび、鉄の塊で石を叩くような音がする。最初こそ耳慣れない音だと感じたが、馬の歩様に合わせて小気味よく鳴る音にそのうち慣れてしまった。


「馬にも靴を履かせるたぁ、今の領主様は何を考えてるのかホントわかんねぇ。な、アンタもそう思わねぇか」

「まー、かなり奇天烈きてれつな御仁よね、実際」

「おかげでどーにか生かしてもらってるから文句はねぇけど」


 人から預かったものとはいえ、馭者ぎょしゃとして馬に乗る身分になった――ついこの間までの出来事を考えると想像できない結果だった。

 ひと月足らずほど前、郡都カルディツァの酒場で意気投合した相棒と一緒に馬車に乗る女は農地を失った元農民である。大飢饉で前の領主に作物を納められず、せた農地をなけなしのカネに替えて地代を金納してから彼女の人生は下り坂だった。

 前の領主は税を搾り取ることしか考えていなかった。地代を納められなくなったら身体で払えと奴隷同然の暮らしを強いられた。それから間もなく亜麻あまに代わる新しい作物の栽培に駆り出されたが、それが王国で御禁制ごきんせいの大麻草と知ったのはごく最近。捕縛されて取り調べを受けたが、領主の屋敷から見つかった人身抵当証文のおかげで債務奴隷だったことが証明された彼女は無罪放免となった。

 しかし農地は人手に渡り、奴隷として食わせてくれた悪徳領主も獄につながれて、糊口ここうをしのいだ湊町の仮復旧も終わったらどうやって生きていこう――自棄になっていた矢先に相棒に出会い、兵役に就いた。

 とはいえ潮風が止まないアルデギアの気候が身体に合わず過酷な訓練にも心が折れ始めていた彼女はそこからも逃げ出そうかと思っていた。その矢先、輜重隊しちょうたいという荷物運びのお役目が回ってきて今に至る。


「コイツを運ぶだけで訓練も免除、海にも入らなくていい、それでいて飯も食える。ありがたい仕事に就いたもんさ」

「でも積み荷がダメになっちゃいけないんでしょ。これはこれで難しい仕事よ」


 元農民で馬の扱いを知っていたために手綱を預けられたが、運ぶのは乾かした麦などでなく魚やエビ、貝といった生ものを満載した生け簀だった。羊乳を運ぶ特別な瓶があることは知っているがそんなものを運んだ経験はない。

 郡都カルディツァ近隣の有力者を接待するための食材だと領主から聞かされた時は背筋が伸びる思いがしたものだ。湊町を経由する南回りの平坦な街道を選んで、なるべく衝撃を与えないようにゆっくりと慎重に運んだ。


 馬の休憩と交代も挟みつつ四五マイル七二キロメートルを一昼夜をかけて走破して、翌日早朝に郡都カルディツァに到着した荷馬車は積み荷を引き渡すために領主の館へ向かった。

 行燈ランタンを手にした家政婦長と料理長が積み荷をあらため問題ないと確認した。


「ご苦労様でした。魚は生きていて大きな外傷はないし、鮮度も問題ないようです。屋敷の生け簀に中身を移したら引き揚げていただいて結構です」

「承知しました。よろしくお願いいたします!」


 訓練で身につけた軍隊式の敬礼をした二人に銀髪の家政婦長がこう告げた。


「お待ちいただく間仮眠できるようにお部屋を用意してあります。案内させますのでそこでお休みになってください」

「お気遣いいただき、ありがとうございます!」


 積み荷を運んできた彼女たちは数時間仮眠をとってから郡都を囲う市壁のすぐ外にある官舎へ引き揚げていった。

 壁の外の広い土地に大小の瓦礫を蛇籠に詰めただけの即席の石壁が築かれている。その内側に彼女たち兵隊の官舎のほか軍馬を繋養けいようする厩舎きゅうしゃがあった。

 鍛冶場を備えた真新しい工廠も建設されつつあったが、指示された通り物資を運ぶ彼女たちは「作りかけの建物がある」程度しか気に留めていなかった。


 ***


 そんな輜重隊の彼女たちが馬の付け替えを行った拠点の一つ――カルディツァ郡で最大の湊町パラマスも活気に沸いていた。

 本格的な冬の到来を告げる冬至を仮復旧とはいえ屋根のある家で迎えられた湊町の住民たちは例年以上に「ハレの日」を楽しんでいた――否、楽しもうとしていた。

 伝統ある街並みの中に唐突に現れる不自然な広場にいくつもの露店が構えている。ドラゴンの襲来が残した甚大な爪痕の上で懸命に生きている民草たちに混ざり、領主カロルス・アントニウスの姿があった。自らの目で湊町の現状を視察しようと多忙な時間を割いてはるばる郡都カルディツァから愛馬を飛ばしてきたのだ。


「にぎやかですね。思いのほか」


 その傍らには王国正規軍と同じ意匠、しかし色遣いが異なる軍服をまとい、両端が逆向きに反り返った短弓を小脇に抱えた少女がいた。アルス・マグナ所属を示す紫色の裏地があしらわれた軍服を着用するのは機動甲冑『サイフィリオン』搭乗者であるオクタウィア・クラウディア。乗馬の名手であった彼女もまた郡都から彼に同行してここに居る。


「そうだなぁ……故郷のお祭りを思い出すよ」

「師範のお国でも冬至祭とうじまつりのようなものがあったんですか」

「われらの救い主の御聖誕を祝う――まぁ、そんなもんさ」

「……?」


 首を傾げるオクタウィアに構わず、ひときわ賑わう露店に足を運ぶと香ばしい匂いが漂ってくる。羊乳で作ったチーズと羊肉を鉄板で焼いている屋台があって、それを小麦のパンを真っ二つに切り裂いた間に挟んだ食べ物を売り捌いていた。


「誰かと思ったらご領主様じゃないですか!?」

「おう、繁盛してそうだな」


 彼がそういうと露店の主である婦人は咄嗟に青い顔をする。


「みかじめ料の取り立てに来たと思ったか。そんなみみっちいこたぁしねぇよ!」

「そ、そりゃ……すんげぇ助かります」

「ほら、顔上げろよ。俺にも旨そうなソイツを焼いてくれ」


 後をついてきたオクタウィアが彼の背中越しに鉄板の上を凝視する。羊の肉が肉汁を滴らせながら癖のある香ばしい匂いを放っているからだ。


「おや、そちらのお嬢さんも欲しいのかい?」

「あ、あのっ! その、私も……食べてみてよいでしょうか」

「いや、コイツは貴族のお嬢が口にするモンじゃねぇんだが」

「お言葉ですが、アントニウス卿も貴族でいらっしゃいます」


 にっこり笑って口にしたオクタウィアにボリボリと頭をかく彼。


「……これは一本取られたな。ということだ、二人前頼む!」

「あいよー!」


 彼が小銭を置くと、婦人の娘ぐらいの年頃の女がパンを二つ手早く切って焼き目をつけた羊肉と炙ったチーズを挟み、香草とオリーブ油を混ぜたソースを垂らした。


「さっきから気になっていたんですけど、この白いものは何ですか?」

「そいつがチーズだ。羊乳から水を抜いて固めて塩漬けにした保存食さ。俺の故郷にあった庶民の食いモンをメネライダ村の連中に作らせてみた」

「メネライダ村……あんなところからここまで運んできたんですか?」

「そうさ。アルデギアで作った塩、レンディナ村で調達したリンゴ、それらを郡都に集めてからリンゴはリンゴ酒シードルリンゴ酢ヴィネーグルに加工する。できた酢と塩をメネライダ村に運んで、これに羊乳を合わせて原料とするんだ」

「保存食ですよね。塩はわかるのですが、酢を使うのはどうしてでしょう」

「羊乳に酢を加えると固形と水分に分離するだろ?」


 首を傾げるオクタウィア。魔術に関する知識など学は相応にあるはずだが、彼とは微妙に知識の領域が異なる様子だった。


「干物もそうだが、食材を長持ちさせるには余分な水っ気を取り除いてしまった方がいい。いろんな方法があるんだが羊乳を鍋で温めた中に酢を加えてやるんだ。すると固形物と黄色っぽい水分に分離するのさ」

「そうなんですね」

「もう少し時間をかけてもっと長持ちするモノを作る製法もあるんだが、祭りに間に合わなくなっちまうからな。少なくともメネライダ村から外に持ち出す分にはこれでもう十分だ。これから水を取り除いて塩を加え、熟成したものがチーズさ。コイツを湊町で売りさばけば、上手くいけば一儲けできるぞと村の連中に教えてやった」


 このチーズという見慣れない食べ物が新し物好きの多い湊町パラマスで受けている様子を見ると、彼の思惑通りなのかもしれない。

 パンをちぎると白いチーズが細く伸びて糸を引く。目を見張る彼女を尻目に領主の彼は美味そうにかじりついていた。彼女もパンにチーズと肉を乗せて口に含む。じっくりとよく噛んでから飲み込むと、オクタウィアはこう漏らした。


「何と言いますか……味がすごく濃くありませんか?」

「濃い羊乳を水切りして固めた上に海で作った塩を加えているから相当濃いはずさ。王都の料理は薄味が多いし、なおのことそう感じるんだろう」

「動物くさい臭いもしますね。王都でこのような料理はあまりないので、好き嫌いがわかれそうです」

「庶民の味だからな。嫌なら無理に食わなくていい」

「いえ、馬の臭いには厩舎で慣れているので、そこまで不快ではないです……それにこれは、ちょっと癖になる味というか……」


 結局、時間をかけつつチーズと肉を挟んだパンを完食したオクタウィア。意外にも味は悪くなかったようだ。

 他にも露店をオクタウィアと一緒に回ってから湊町の広場に向かう。広場に面した市庁舎はドラゴンに踏みつぶされた一部が倒壊する憂き目にあったが、今はそこだけ建物を切り欠いたいびつな形状となっている。

 応急措置で屋根の残った部分だけ石壁を作り、壊れた建物を取り除いて空いた敷地には天幕を張って即席の庁舎とするような有様だ。冬至祭りの今はそこに行政長官が陣取って指揮を執っている様子だった。


「これは御領主様! ようこそパラマスへ!」

「招待状をもらっていたからな。立ち寄らせてもらった」

「ご一緒にいらっしゃるのは……オクタウィア様ではないですか!」

「ご無沙汰しております、部隊長様。その節はお世話になりました」


 市街地の統治を担う行政長官のほか、港湾と湊町の警備を担う正規軍駐留部隊長、そして港湾労働者と施設群を掌握している港湾ギルドのパラマス支部長――といった湊町の有力者が勢ぞろいしていた。

 その中に見慣れない小奇麗な服装をした者が居ることに気づく。お互い目が合うとその女性は起立して一礼し、ラリサ郡から来たと口にした。


「私はイメルダ・マルキウス閣下の名代で参りました。閣下はかねてよりテッサリア有数の良港でもあるパラマスが負った甚大な被害に心を痛めておいでです」


 そのイメルダが使者を通じて湊町の租借を提案してきたことは記憶に新しい。彼は口元に微笑を湛えて右手を差し出した。


「これはこれは、ようこそおいでになりました。お越しになると先に伺っていれば、こんなところで立ち話なんて不調法にならず済みましたのに」

「いえ、私も本日未明にご命令を受けて慌てて駆けつけた次第です。事前にご連絡ができず申し訳ございません」

「それは無茶苦茶な……いや、ご苦労様でございました」


 互いに敵対の意思がないことを確認し合いつつ握手する二人。そこから一歩引いた傍らに立っていたオクタウィアの身に悪寒が奔った。


「……ッ!?」


 思わずその場を離れ、天幕の中を抜け出した。広場の雑踏に混ざって辺りを見渡すオクタウィアのことを気に留める者は誰一人いなかった。


(なに……なにかしら、今の……恐ろしい感覚は……)


 理由はわからないが、首を射抜かれそうな予感がした。身の安全を確保するために思わず逃げ出した自分を追ってくる者がいれば、振り返って土塊から錬成した即席の矢で射抜くつもりだった。

 少し待つも誰か追いかけてくる気配はまるでなかった。息が上がって乱れたままの呼吸を整えていたところに彼がやってきた。


「急にいなくなってどうした、お嬢」

「いいえ、別になんでもありません」

「顔色が悪いようだけど、大丈夫か」

「すみません……少しのあいだ外で休ませていただけたら」


 オクタウィアは無理やり笑みを作って、うわべだけ元気よく振舞った。

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