第11話 内政と軍事(3)

 アルデギア地方の北西端――そこは王都周辺からずっと続いている大湿原の南端。湿原と海が出会う砂地の海岸線には葦原よしわらがあり、潮が引くと干潟が広がる。

 そこへ南の漁村から驢馬ロバが引く荷馬車がやってくる。大きな桶とともに二人の老婆が乗り合わせていた。海沿いの砂浜に石組みのかまどをこしらえて囲んでいる娘たちに向かって漁協の元組合長が声を張り上げる。


「うおおおい! 稚貝ちがいを持ってきたぞおおッ!」


 かまどに火をつけた石炭をくべて暖を取り、冬の海で冷え切った身体を温めていた何人もの娘たちがやってきた。

 食べて捨てるだけの牡蠣カキの貝殻にくっつけた稚貝を受け取って、それを干潟に向かって投げていく。だいぶ手際がよくなったと老婆たちは感心しきりである。


 そこから少し離れたところ、砂地の荒地にポツンとそこだけ青々と草が茂る場所があった。その周りにはほとんど草が生えず、一層際立っている。

 そこに一人立つ男は感嘆のため息を漏らした。


「また少し増えたな……白詰草トレーフルは芝生を台無しにすると聞くが、こんな海の近くでも増える生命力は大したもんだ」


 アルデギアでこの草を見つけた、と農務官フリッカ・リンナエウスから聞きつけて一週間が経っていた。再び視察でこの地に立ち寄ってから彼は気づいた。

 この景色に見覚えがある――と。


(ここって……俺が最初に目を覚ました場所、だよな)


 他に誰一人いない荒地で目覚め、負傷した足を引きずって街道を歩いて行ったことを思い出す。今からもう半年前のことだ。


(フリッカは新種と言ってたが……間違いねぇ。コイツは俺が持ち込んだんだ)


 幼馴染のカトリーヌがお気に入りだった庭に植えられていた白詰草トレーフル。その庭で刺客に襲われ、手負いの彼が最期に握りしめていたのがその草だった。それがいつの間にか根付いて広がっていた。


 先週、この草の話を聞いた彼は早速フリッカの案内でここへ来た。そして竜の血の土と同じように根付いた土ごとキエリオンに運ぶように指示した。


『閣下がこの新種の植物にそこまで興味を示した理由をお聞きしても?』


 自分の指示に前のめりなところを感じているのだろう、とは彼女の顔を見て察するところが彼にあった。


『お前も気づいてるかもしれねぇが、コイツは繁殖力がすげぇんだ。土が痩せてようが勝手に根付くし、勝手に増える。根付くと根絶するのが逆に大変で、芝生を駄目にすると言われてた』

『それを敢えて持ち込むと?』

『コイツは家畜も好んで口にするし、良質な蜂蜜が取れると耳にしたことがある。休耕地に生やすなら打って付けかもしれん。でも、まずは持ち帰って調べねぇとお前も判断できねぇだろ?』

『……承知いたしました。まずはキエリオンのお屋敷で栽培してみましょう。それに家畜が食べてしまうなら、ある程度株を増やしてからでないと食いつくされてしまうかもしれませんので』

『そもそもコイツはお前が見つけた「新種」だ。どう生かすかはお前に全部任せる。頼んだぞ!』


 こうしてフリッカは「新種の植物」を土ごとキエリオンへと持ち帰って、実験農場として活用する屋敷の近くの耕作放棄地を使って栽培を始めた。

 それと時同じくしてユーティミアが予算を捻出して、馬の産地である直轄領から馬と当面の飼料となる燕麦を買い付けた。アグネアは荷車を確保の上、輜重隊しちょうたいを編制して、厳しい軍事訓練に嫌気が差していた内陸出身者を中心に編入している。

 輜重隊は街道を使って沿岸のアルデギアから内陸のカルディツァ、キエリオンの両郡都へ向けて焼いて磨り潰した牡蠣の貝殻や魚の骨などを運んだ。軍事訓練から脱落した者たちが多く割り当てられた経緯もあって、訓練に残った猛者もさの中には輜重隊を「骨無し」とわらったり、「残飯運び」と揶揄やゆする者も少なからずあった。


 ***


 郡都キエリオンの農園で汗を流すフリッカを一人の貴人が訪ねてきた。


「おひさしぶりね、フリッカ」

「これは王女殿下! ご無沙汰しております」

「お元気だったかしら?」

「落ち込んだりもしたけれど、私は元気です」


 首をかしげたソフィア王女に、フリッカはふふふと吹き出して応じた。


「今日はどうしてこちらへ?」

「シャルルがカルディツァに工廠を作るそうで、面白そうだからわたくしもこちらに足を運んでみたのです。それに最近フリッカの顔を見ていなかったから」

「それはそれは……殿下の御尊顔を拝し、光栄至極でございます」

「おやめなさい。そんな他人行儀な付き合いでもないでしょう?」


 にこやかに微笑んだソフィア王女に真顔を作ったフリッカも破顔一笑。互いに肩の力が抜けたところで、フリッカは本題を切り出した。


「すごい発見があったんです。お目にかかったらこれは是非お話ししたいと思って」

「まぁ、なんでしょう?」

「王都の『地上の楽園』をここでも作れるかもしれないと申し上げたら、王女殿下はどうなさいますか」

「是非聞きたいわね」


 目をキラリと輝かせ、その話に食いついてきたソフィア王女。呼吸を落ち着けて、フリッカはソフィアを栽培中の新種の植物のもとへと案内した。


「以前、殿下にお力添えいただいていかづちの術式を王都の試験農園に組んでいただきましたよね。覚えておいてですか?」

「ええ、覚えています。宝石を砕いて魔力の源に使った、あの術式ですよね」

「さようでございます。あれに期待した効果が得られる植物を見つけたんです!」

「ええと……たしか、人為的に雷雲を発生させておいて空気中の元素を雷雨を通じて土に染み込ませる、だったかしら。そんな植物、神様のお庭にだってあると思えないのだけど」

「確かに稲妻いなづまを起こすなんて不可能ですし、そんな大掛かりな仕組みは必要ありません。この植物は根っこに根瘤こぶを生じて、そこに直接空気中の元素を取り込む性質があるとわかったんですよ!」


 それからは興奮を抑えきれずにフリッカの独壇場となった。身振り手振りを交えてこれが如何いかに大発見であるかを力説する。


「ですから、土地が痩せていてもこの草は自発的に土を豊かに変えていけるんです。信じられない草があるもんです。これだから植物って面白い!」

「この草ってもしかしたら……リンゴ畑にも植えられるのかしら……」

「まだわからないことが多いので何とも言えませんが、一部の畑に植えてみて他との違いを見るのもありかもしれません。ただ、繁殖力が旺盛なので一旦植えてしまうと取り除くのが大変なんだとアントニウス卿が話していました」

「ちょっと待って……なぜそこでシャルルの名前が出てくるのです?」


 ***


「これが『マグメル』で騎士殿と一緒にやってきた植物、ですか。確かに初めて見る草です」

「まぁそんな不思議なことじゃねぇだろ? 俺が身につけていた衣服や短剣なんかも一緒だったんだからよ」

「リンナエウス農務官から聞き及びましたが、大気中の窒素ちっそを土壌内に固定する――世の中にはまことに摩訶まか不思議ふしぎな植物が存在するものですね」


 領内に機動甲冑の手入れを行う簡単な工廠を作ろう、とのシャルルの発案を聞いて現場視察に訪れていた「機動甲冑の専属調律者」カリス・ラグランシアも、この草を見て感嘆を隠さなかった。


「お前の言ってる意味が俺にはさーっぱりわからねぇんだよな……コイツがよく育つ草ってくらいしか俺は知らねぇし」

「これを持ち帰るよう農務官に指示したのは騎士殿と聞いていますが?」

「よく育つし、家畜も好んで喰う。だったら牧畜に活かせるし、家畜の糞尿が肥料になるんだろ? そンなら土を肥やすにはもってこいだろって、それだけさ」


 白詰草トレーフルを育てれば農業と牧畜の両方で役に立つ――シャルルにはそんな直感めいたものがあった。理由を深く問われても「勘」以上の何かはない。


「私の専門外でありますが、生物が生きていくのに不可欠な元素のひとつが窒素ちっそだと書物で目にした覚えがあります。窒素それ自体はごく安定した分子ぶんしを持っているので魔術を使っても土壌に取り込むのは容易ではないのです」

「あのさ……俺にもわかる言葉で頼むわ」

「魔術を使っても決して容易でないことを、この何でもない草が難なくやっているんですよ。これがどんなに不可思議か、おわかりですか」


 魔術の権威たる小さな大賢者カリスが植物に興味を示したのは意外に思われたが、貧しいテッサリア農家の出自で身売りされた身の上だけが理由ではないのだろう。


「そんな不可思議でもないんじゃねぇか」

「……ふむ?」

「あの特殊な鋼の製造に動員してる連中だって魔術の権威ってわけじゃないんだろ? 

あいつらは高度な魔術を学ばなくても感覚で鉄の本質を理解してる、鉄の取り扱いに慣れているみたいなことを前に言ってたよな」

「確かに……言いましたね」

「頭のいいヤツより、元々そういうのが得意なヤツに仕事してもらえばもっと効率が上がるって話ではアレと変わらんのじゃないか」


 小さな大賢者の瞳がカッと開いた――かと思えば、肩を震わせて笑い出した。


「どうした、なンかおかしいこと言ったか?」

「いいえ、失礼しました……騎士殿は私たち魔術師とまるで違う考え方をするのだと思い知らされて、つい滑稽こっけいに感じてしまいました」

「……ふん、どうせ俺には魔術のことなんかわかンねぇよ!」

「まあまあ、そう怒らずに少し聞いてください」


 また魔術の講義のような長い話になるのか、と彼はほんの少し覚悟を決めた。


「この国は魔術師が国家の中枢に位置付けられているのです。良くも悪くも」


 良くも悪くも――それが何を匂わせているのか、関心を払いつつ続きを聞く。


「リンナエウス農務官はすごいお方です。王都の官僚なのに土を触ることに全く抵抗がない。それでいて植物に関する知識は第一級。この一帯の農民もあの方を信頼して協力を惜しまないのが理解できます」

「それはいいことじゃないか」

「私が言いたいのは逆でして。実は王都の官僚の中には隠然たる序列があるんですが大蔵府は最上位、軍務府はそれに次ぐ上位寄りと見られています。アルス・マグナはそれらとはもはや別格ですけれど」


 大蔵官僚のユーティミア、軍務官僚のアグネアが郡都カルディツァの中でも発言力のある人物と目されているのは彼もよく知っていた。それぞれの才覚もあるが組織の序列のせいもあるのだろう。


「じゃ、フリッカのところはどうなんだ?」

「農務府は下位から数えた方が早いでしょうね。あまり重要視されていません」

「どうしてだ? 農業は国のいしずえだろ」

「農業はそれほど魔術が介在せず経験に基づくゆえに、魔術師からはどうしても低く見られがちなんです。これは畜産業や水産業についても同じことが言えます」

「どれも食いモンにかかわる分野だな。魔術師って生きモンはかすみでも食って生きてるバケモンなのか?」

「まさか。寄宿するアルス・マグナの魔術師には国から衣食住が保証されています。しかし飢えたことは一度や二度くらいはございます」

「……そうか」

「まぁ、当たり前に食にありつける立場ではそのありがたみが薄れるものです」


 当たり前にメシが食える。

 皮肉にもそれが国家の食糧政策の軽視につながっている。

 ずっと前から感じていた違和感が根深いモノであると彼は思い知った。


「なるほどな、道理どうりでこの国が食糧確保に窮しているわけだ」

「おっしゃる通りです。ゆえにリンナエウス農務官の序列はさほど高くありません」

「意外だな。以前からソフィア様とフリッカは親しそうに見えたんだが」

「あれはむしろソフィア王女殿下が例外なんでしょう。宝石を砕き得た魔力を用いて人為的に落雷を起こし、菜園に雨を降らせる術式を組んでしまうようなお方です」

「……魔術師から見て、それってどうなんだ?」

「目的と原理を理解した私はともかく、アルス・マグナの魔術師の多くは王女殿下の贅沢な道楽と一笑に付しました。宝石で得られる魔力を雨を降らすために使うなんて才能と労力の無駄遣いにしか見えないと」


 彼方の山々で無窮むきゅうの空高くに向かって伸びてゆく遠雷。

 冬の雷は珍しい――そう思っていた。しかし、王都の一帯は一年を通じて風が強く吹くため、海からの湿った風が山地を駆けあがって立ち上る雷雲になるという。

 いつの間にか雲が落とす影が辺りを覆ってゆく。


「話を戻しましょう。あれほどの人物がそんな風にぞんざいに扱われているのがこの国だと言いたかったのですよ」


 曇り空を仰いでこう言い放った少女。

 言葉に詰まった彼を尻目に空色の髪が風にたなびいた。


「人買いに売られたとはいえ、私も農村の生まれです。農村が国家を支えている自覚は持っています。その農村が低く見られている国家に明るい未来はありません。そう考えていました」

「……いましたって、今はどうなんだ?」

「少し希望ができました。今はまだった大地に根付いたわずかな葉っぱでも、これがいつか大地を覆う緑野に変わるんだと」


 雲間から差した一条の陽光。

 天使が降り立つ階段を前に両手を目一杯広げる少女。

 空の色を映したような瞳が彼を射抜くようにじっと見つめた。


「騎士殿がなぜ『マグメル』の力でこの時代に現れたのか、いまだに私には露ほどもわかりません。ですが、きっと大きな意味があったはずです」

「なんだよ、やぶからぼうに」

「あなたの親御様であられたアルトリウス皇帝陛下はきっとご存じだったのではないかと考えます。陛下の深慮遠謀しんりょえんぼうが浅はかな私たちにわかるのはきっと何十年後……あるいは何百年後かもわかりません」

「おいおい、随分とデカい話になってきたな」


 呆れた顔を隠さない彼に向かって小さな大賢者はこう言った。


「騎士殿、どうか長生きしてください。この国のために――くれぐれも死に急がないように。私もできるお力添えをいたしますから」

「お、おう……」


 年齢相応に無邪気な笑みをこぼした少女に戸惑いつつ、頭をかいて彼は頷いた。

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