第6話 二重生活のはじまり(1)

 鳥のさえずり、差し込む朝日。

 くたくたになるほど愛し合って疲れ果てた二人が絡み合って眠っていた。

 いつもなら着替えて仕事を始めている時間になって二人は目を覚ました。


「今朝は寝坊したって慌てないんだな」

「たまにはよいではありませんか、こんな日も」


 彼と彼女だけ――二人きりの朝だからこそ許される、仮初かりそめの贅沢をもう少しだけ楽しんでから、二人で薄衣を着て一緒に朝風呂に向かう。

 銀髪を結い上げたせいで首筋から丸みを帯びた肩を経て背中へとつながる滑らかな曲線が露わになる。湯着をまとわぬ豊満な裸身に惚けていると目が合った。さすがに恥ずかしく思ったのだろうか、背中を向けた彼女は木桶で湯をすくって自分の身体を清めている。彼もまた別の桶を持って湯を頭からかぶった。

 それから肩を並べて湯に浸かる。シャルルは自身が機動甲冑の操縦者として魔術を学ぶ羽目になったとヘレナに明かそうと決心した。


「早速今日から始めるって、カリスが陛下に宣言しちまったらしい」

「まぁ……それは手が抜けませんね。ふふふっ」

「本当は、もっとエレーヌとイチャイチャしたかったんだけどなぁ」


 ため息をこぼす彼。じっと身動きせずに彼を見守っていた彼女がハッとした。


「もしかして……昨日疲れ切ったお顔をなさっていたのは、まさか」

「ああ……そのまさかさ。まいったよ」


 愚痴をこぼした彼に、彼女はクスクスと笑って応じた。

 昨日の出来事すべて打ち明けるわけにはいかないが、言える範囲のことだけ伝えておきたかった。そんな気持ちが伝わったのか、今日一番柔和な彼女の笑顔に救われた思いがした。


 風呂上がりに二人で軽く朝食を取り、ヘレナを伴って王城のソフィア王女に挨拶へ向かったがあいにく席を外しているところであった。王女が戻るまで控室で待たせてもらい、ようやく応接室に通されたのは三十分後である。


「お待たせしましたわね、シャルル」

「いえ、俺こそ昨日は失礼しました」

「あなたの予定を聞かなかったわたくしの不手際ですもの。どうぞお構いなく」


 そう答えたお姫様の表情も、口調も何らトゲのあるものでなかった。サバサバした反応に表情を和らげて、彼は勧められた長椅子に腰かける。


「カリスがシャルルの魔術指南役になったと今しがたお母様から聞き及びました」

「お耳が早いですね」

「資格者に対する命令は本来わたくしのあずからぬところですが、わたくしの騎士だからと特別にお話しがあったのです」


 席を外していたのは女王陛下から呼ばれたのだろうと彼は理解した。

 ソフィア王女がどこまで話を聞いているのか探りながら話を進めていく。


「シャルルは今日にもカルディツァに戻る予定でしたわね」

「はい、所領でやることがいろいろありますので」

「でも、アルス・マグナで魔術の教育を受けるにはきっと王都にいる方が都合がよいのですよね」

「おっしゃる通りです。なので王都と所領を毎週行き来することになるかと。ただ、困ったことがありまして」


 シャルルはお姫様に悩みを打ち明けた。

 王都ルーナと郡都カルディツァは石畳で舗装されたバルティカ街道で結ばれているので、他の街と比べればずっと行き来しやすい。行軍に慣れた彼であれば馬に乗って半日ほどの距離である。

 しかし、使用人を伴っていると休憩が必要になり、どんなに早くても一日がかりとなってしまう。若い使用人であっても体力の消耗は激しい。その往復を毎週続けるといつか使用人たちがまいってしまうのではないかと彼は危惧していたのだ。


「わたくしも少し考えました。ちょうどヘレナもいますから提案したいのですが」


 そんなお姫様の提案が、シャルルとヘレナの生活を一変させることになろうとは、二人とも想像だにしていなかった。


 ***


 その日の午後、シャルルはアルス・マグナでカリス・ラグランシアによる第一回の魔術講義を受けた。講義はオクタウィア・クラウディアのほか、なんとソフィア王女もが聴講を希望した。

 この世界における魔術体系、その基礎である六門の基本属性。それらを組み合わせた複合属性――ルナティアでは乳飲み子すら知る、基本中の基本からの徹底した講義だった。

 カリスの伝える一言一句たりとも逃さず習得しようと、シャルルは紙に鉛筆を滑らせていく。赤子と大差ないと以前女王の前で彼自身が自嘲した通り、彼にとっては、重要な一歩だけに入念に確認しながら筆記を続けた。目に見て、耳に聞くほとんどが見知らぬ言葉と概念だけに、片っ端から辞書を引き、読解に努めた。


「さて、本日は基本の基本となる講義となりましたが、どうですか、騎士殿」

「初回から覚えることが多くて熱が出そうだぜ」


 まったく気を抜かずに講義に集中していた彼がこめかみを押さえて言った。


「たしかに、改めてこうして説明を受けると覚えることは多いかもしれないわね」

「とはいえ王女殿下とオクタウィア様にとってはあまりにも初歩的過ぎて退屈だったのではないでしょうか?」

「いえ、全然! 基礎、基本と言っても詳細な部分は知らないこともありましたので改めて勉強になりました」


 ハキハキと応じるオクタウィアにほんの少しカリスが表情を和らげて言った。


「それは良かった。今日は座学を中心に行いましたが、来週からは騎士殿には演習も行ってもらいます。そのためにも一度、ここで今日の講義の確認となります」

「よし、何でも来い!」


 若干の疲労が顔に浮かんでいたシャルルだが、威勢の良い返事を聞いてカリスは確認の質問を投げかける。


「それでは、聖の属性と相性の悪い属性をお答えください」

「魔、だったな」


 即答したシャルルに、一つ頷きカリスは続ける。


「では、相性の比較的良い二つはなんですか?」

「たしか……水と、火だったか」

「残念。水と土ですね」

「うーむ……どうにも、このあたりの相関関係は把握が難しいんだよな」


 鉛筆の尻で頭をかくシャルルに対し、同席したソフィア王女とオクタウィアの二人は疑問符を浮かべるなか、カリスだけがなるほどと相槌を打つ。


「我々は感覚的に理解してしまっていますが……だからこそ改めて言葉にしてみると理解が難しいのかもしれません」

「そうなの? シャルル」

「姫様にわかりやすく言うならば、剣を振るにしても身体の色々な部分を使うものですよ。俺やオクタウィアなら、それが腰をひねるとか、足を踏み込むといったことを感覚で理解していますが、具体的にどう動かすかを口で説明するのは難しい。身体で覚えてもらった方が早いってわけです」

「師範、腰を使って踏み込むんですか……?」


 思いもよらぬ言葉にシャルルは愕然とした。


「……お嬢、今度また稽古だからな。覚悟しておくように」

「ひゃい……」


 話の腰を折った二人を尻目に、王女は改めてカリスに問うた。


「ともかく、今日学んだ内容をもとに来週の演習を行うのですね」

「その通りです、王女殿下。異界からの来訪者でいらっしゃる騎士殿にはこの世界のことわりに対する理解がありません。我々が生まれてから感覚的に得たものを補っていくために、知識はもちろんですが、身体で覚えていかねばなりません」


 ソフィア王女は女王よりシャルルが異界からの来訪者であると知らされた。しかしそれほど驚いてはいないという。この国の言葉に不自由だったこと、魔術の扱い方を知らないこと、よってまったく違う世界から彼が来たのではないか――そんな直感が元々あったそうだ。

 彼がこの世界に来るにあたって、極めて大規模な古代魔術が使われた可能性があり得る――このような見解をカリスが述べたところ、王女は並々ならぬ関心を示した。そんな事情もあって、彼が受ける講義の聴講を希望して今に至っている。


「そうすると、こいつらをみんな領地に持ち帰らねぇといけねぇのか。できるだけ荷物は減らしたかったんだがな……」


 彼の書き込みが入った辞書、講義の内容を書き取った紙束、さらには魔術に関する入門書――持ち帰って復習するにはどれも欠かすことができなかった。

 今回は馬車同伴だからどうにかなるが、来週からは彼一人が馬での移動をするつもりだった。どうしたものかと鉛筆を口にくわえて顔をゆがませている彼を尻目にオクタウィアが微笑を浮かべた。


「ふふっ、こんなこともあろうかと乗馬用の鞄と馬具を確保しておきました!」

「おおおっ、さっすがお嬢!」


 彼女が取り出した鞄は皮布製の丈夫な作りで、馬が駆ける揺れにも耐えられるようになっていた。それを鞍に取り付ける馬具と併用することで、馬体にぶら下げて運ぶことができるという。


「かなり大きめのものを見繕ってきましたが、鞍に下げて運べる大きさです」

「馬の扱いに慣れたクラウディア家ならではの気付きですわね。ありがとう、オクタウィア」

「アントニウス卿にはお世話になっているから、と母がこれを差し上げるよう申しておりました。母からの贈り物も中に入っておりますので、どうぞお持ちください」


 シャルルがオクタウィアから鞄を受け取って中身を見る。彼に渡す目的の書簡らしきものがいくつか入っているが、それを含めても彼が持ち帰る教材類全てが収納できる大きさだった。


「何から何までありがたい……軍務卿閣下によろしくお伝えください」

「これで当面の問題は解決でしょうか。本日の講義はここまでといたします。皆様、お疲れ様でした」


 教材を持ち帰る算段をつけたところでカリスが手を叩き、お開きとなった。

 出発の時間が迫る。領地に戻る前に片付けておきたかった諸問題になんとかけりをつけて急ぎ足で邸宅に戻ってくると、大蔵府の官僚ユーティミア・デュカキスが先に着いて彼を待っていた。


「遅くなった。待たせたな」

「いいえ、こちらもさっき駆け付けたばかりです」


 資格者として女王から急な用件があったとユーティミアに伝えていたが、彼がやるつもりだった仕事のいくつか肩代わりを彼女が申し出てくれていた。


「そっちもギリギリまでかかったのか。ホントありがとうな」

「ええ。いろいろ大変でしたが全部片付けました。例の件も予算の都合がつきましたので、ご安心ください」

「よしっ! これでいろいろ進みそうだな。ホントご苦労だった!」


 ユーティミアから報告を受けた彼のもとに、家政婦長ヘレナ・トラキアが来た。


「荷物はすでに馬車に積んでありますので、いつでも発つ準備はできております」

「助かるよ、エレーヌ。次はまた来週だな」

「はい。それとお着きになりましたら、こちらを屋敷の者にお渡しください」


 ヘレナが彼に書簡を渡す。留守を預けた者たちに対する指示が書かれていた。

 シャルルとともにヘレナも郡都カルディツァの屋敷に戻る予定だったが、彼が毎週王都と郡都を行き来しなければならなくなり、王都にヘレナを残すと決まった。

 急な決定で屋敷の者たちはそのようなことを知らされていない。よって、家政婦長のヘレナから留守の者たちに事情を記した書簡を送ることにしたのだ。


「すまねぇな、君や屋敷の皆にも迷惑をかける」

「女王陛下直々のご意向でございますから光栄なことです。使用人一同全力をかけて対応いたします」


 実に誇らしい返事をした家政婦長に見送られて、シャルルとユーティミアを乗せた馬車は邸宅を発った。

 王都から門をくぐって川の対岸に渡った馬車は街道に入る。都を囲むように広がる大湿原を貫く石畳の道以外、人工物は何もない。かといって自然豊かというわけでもなく、無数の草花が生い茂る以外に背丈の高い樹木はほとんど見当たらない。

 それだけに高さ二〇フィート六メートルを優に超える機動甲冑同士がすれ違えるほどの横幅が十分に確保された街道の存在が異質なほど際立つのだ。


(こんな何もねぇところに都を築き、街道を敷く――よくこんなこと、大昔の人間は思いついたな)


 彼の父親がそんな大昔の人間の一人であったと知った今、父が何を考えていたのか思いを馳せるようになった。大帝国を統治した皇帝は何を考えてこのような物を作り遺したのか――図らずも『光の皇子おうじ』なる大層な称号を戴くことになった彼は、父がこの世界で何を為そうとしていたのか、じっと考えていた。

 魔術の教養を身につけて、この異界のことわりを学んだ先に、父から受け継いだ血筋にふさわしい統治者にならねばならない。煌々と耀くあの太陽のように、皆が仰ぎ見る存在であらねばならない――と。

 その為には、ずっと武人として追いかけてきた父のもう一つの側面――この世界の統治者として何を為そうをしていたのか、彼は知る必要があった。


(わからねぇことがあまりにも多すぎる……そいつらを解き明かしていくしかねぇ)


 黄昏に照らされる白亜の都。いつか見た戦乱の夢と同じ赤金あかがねの空の下にはそれと似ても似つかぬ美しい街。そのように戦場を跡形もなく消し去った悠久の時――。

 それほど遠い彼方の過去から父がシャルルの生まれた地へとやってきたのはなぜか。そして、何のために彼は父が生きた遥か未来のこの大地にばれたのか。

 馬車に揺られながらいまだ多くの謎に頭を悩ませる彼であった。

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