第19話 コンクエスタ・シエロ(3)
午後に入り、屋敷での昼食を終えたオクタウィアは郡伯カロルスことシャルルを連れてアルス・マグナを再び訪れていた。目に隈のできた待ち人がいつの間にか彼らを待つ側になっていた。
「お待ちしておりました、オクタウィア様、アントニウス卿」
「……よ。二週間ぶりだが少しやつれたか。メシ食ってるか?」
「……必要な食事は摂っています」
シャルルとカリス。
この二人のやり取りを見て、オクタウィアには妙な違和感がした。
(なんでしょう、何か距離があるような……無理をしているような……)
様子を気遣ったシャルルとあからさまに迷惑そうなカリス。
前にもこんなやり取りは目にした。だが、見掛けのやり取りそれ自体とは何か別の奇妙に感じる空気感があった。
シャルルは以前のように髪を触ろうとしないし、カリスは噛みつきそうな勢いでは嫌がったりもしない。そうしないのが普通といえばそうだが、あえて言うならどこかよそよそしい。
以前の二人とは明らかに何かが変わった。それもおそらく良くない方向に。しかしその決定的な変化をもたらした何かがオクタウィアにはわからず、どこか靄がかった面持ちで眺めるしか出来ずにいた。
「アントニウス卿がこちらにいらっしゃった……ということはエールセルジーの修理状況の確認が目的なのはわかっています」
平たい口調でカリスが言うと、落ち着いた口調でシャルルも応じた。
「それもそうだが色々調整作業があると前に聞いていたからな。もしかして、時期としては早かったか?」
「いえ、ちょうどいい時分です。そうですね……せっかくですからオクタウィア様もご覧になられますか?」
「……え、あ、はい? いいんですか?」
唐突に話を振られ、オクタウィアは戸惑うも「自らの機動甲冑以外に興味がない」と言えばウソになる。軍からアルス・マグナへと転籍して日が浅い新参者の自覚から遠慮がちで、エールセルジーに関わりを持てずにいたに過ぎないのだから。
「いい機会です。資格者となられてからはエールセルジーには触れていませんでしたでしょうから、ご都合がよろしければ……」
「はい、是非とも!」
カリスが言い終えるよりも先にオクタウィアは返事し、カリスはうん、と頷いた。
カリスの先導でシャルルはエールセルジーが格納されている別の蔵へと連れていかれた。オクタウィアも一緒についてきている。先ほど自分をお嬢様扱いするのかと口にした彼女だが、今はどこか期待に胸を弾ませた年頃の少女らしい面持ちだった。
(無理に背伸びしなくても、とは思うが……ま、俺もあのくらいの年頃は激しかったからな。オクタウィアのことは言えねえか)
数ヶ月ぶりに見る四本脚の人馬獣の姿は博物館で初めて目にした威容とは異なって上半身は隻腕で、鎧の部位もところどころ外された状態となっている。以前目にしたボーパレイダーという白亜の機体がそうであったように。
「……まだ装甲はくっついていないのか?」
「物自体はすでに完成しています。あとは実際に装着しての微調整の段階です。すでに鍵剣の方は挿入したままで作業を進めています」
「なるほど……“ケイローン”、調子はどうだ?」
『――搭乗者、カロルス・アントニウスを確認。おかえりなさい、マスター』
「……えっ!?」
素っ頓狂な声にシャルルもカリスも振り返った。
「どうしました、オクタウィア様?」
「あなた、
カリスはわずかに驚いた様子だが、すぐに状況を理解したようだ。
「……オクタウィア様、エールセルジーの声が聴こえるのですね?」
「はい。でも、どうして?」
「以前、アントニウス卿に同行した際には聞こえなかった。そうですね?」
「そうです、そうです」
シャルルは前にオクタウィアを抱きかかえてエールセルジーに乗せたことがある。
その時からエールセルジーを通じて物を見聞きしたり、機動甲冑の搭乗者たりうる才覚の片鱗を見せていたのだが、エールセルジーの「声」自体は聞こえていなかったということか――。
理解が追い付いたシャルルの傍らで、カリスはさらに一歩先を行っていた。
「だとすれば、そうですね……では、エールセルジーにこう聞いてみてください。『私のことが分かるか?』と」
頷いたオクタウィアが四つ脚の巨人を仰ぎ見てこう問いかけた。
「……エールセルジー、私のことが分かりますか?」
僅かな間。
『――確認。サイフィリオン、正規パイロット、オクタウィア・クラウディア。ごきげんよう』
「私のことが分かるのね!?」
やり取りを横目にしていたシャルルは思わず口笛を吹く。驚きに目を輝かせているオクタウィア以上の成長というべき、相棒の劇的な変化にため息がこぼれた。
「しばらく会わないうちに随分と饒舌になったもんだな」
「え……私、ですか?」
「違う、“ケイローン”だ。あいつがここまで喋るとは思わなかった」
「では、そのあたりの確認も含めて色々と作業の方に入りましょうか。アントニウス卿、よろしいですね」
「ああ。“ケイローン”、乗り込むから背中を開けてくれ」
『了解』
短く応答するや否や、エールセルジーの背中の扉が開く。縄梯子ではなく、作業用に組まれた櫓に上って、シャルルは相棒の背中の中に入った。
「それではアントニウス卿、座席に座ってみてください」
数カ月ぶりに腰掛けた座席は、僅かに油の臭いがするものの、以前よりも座り良くなったようにシャルルには思えた。
「座席の材質を新しいものに変更して、柔らかく、より深く座り込めるようになったはずですが、いかがですか?」
「悪くない。よし、それじゃあ色々検査とやらを……」
吐き出そうとした言葉がシャルルの呼吸とともに一瞬止まった。
「その前に一つ。アントニウス卿はなぜエールセルジーを“ケイローン”と呼ぶのですか?」
「それ、実は私も気になっていました」
カリスとオクタウィアの質問の意図がわからず、一瞬言い淀んだ彼はこう訊ねる。
「……なにか、問題でもあるのか?」
「問題……そうですね……」
カリスは一言だけ口にし、少し考え込む。顔をしかめたシャルルに、オクタウィアも困惑の色合いで答えた。
「機動甲冑は魔術を利用して動いていることはご存知ですよね?」
「まぁ……なんとなくそういうものってのは聞いていたが……」
「魔術の法則、というのでしょうか……原理、うーん……この場合なんというべきでしょうか、カリスさん?」
「『真の名』というものが万物にはあります。我々の使う魔術はこの『真の名』を掌握することで行使されているのですよ」
「……つまり?」
「つまりですねぇ……本来与えられている名とは違う名で呼ぶ、ということは『存在する意味合いを曖昧にする』ことに繋がる、ということです」
オクタウィアの説明が今一つ彼には理解できない様子であった。
「……まるでわからんぞ、オクタウィア? 『真の名』ってのは確かにどっかで聞いた覚えがあるんだが」
そこでカリスは思い出したようにして目を見開き、そしてため息をつく。気になる態度ではあるが、あえて気にしてもしょうがない、と彼は深入りしなかった。
「ひとまずこの話は後でにして。エールセルジーの整備に入りましょう」
「はいはい。“ケイローン”、検査とやらをするから、よろしく頼む」
『――了解。システムチェックスタート、メンテナンスモード』
エールセルジーがそう言うと、固定されていた鋼の巨体がわずかに震える。
『メインシステムに異常無し。左腕部脱落、後脚部反応途絶、各部装甲脱落』
「なんか色々くっついてないとか、反応がないとか言ってるぽいんだが、いいのか、これ?」
シャルルの問いにカリスは表情一つ変えることなく答えた。
「左腕は内部破損が酷かったのでまだ外して調整中です。後ろ足も同じく部品ごとに分割していますので」
「ほーん……んじゃ、色々くっついてない所は問題ないんだな」
『肯定』
「うん、大丈夫そうだぞ」
「それは良かった。では、以前お話ししていた座席に革布の装着から始めますね」
そういうとカリスは背負った大荷物から分厚い革布の帯を取り出す。各所に留め具のようなものがくくりつけられていることから、おそらくはこれでシャルルを座席にしばりつけるのだろう。
そう考えてはいたが、実際に取り付けに入ると何カ所もの留め具が固定され、予想していた以上の大掛かりな仕組みに身体の動きが拘束されていった。
「おいおい、頼むとは言ったが、こりゃ大げさじゃないか? ぐるぐる巻きじゃないか」
テキパキと作業を進めるカリスはシャルルの抗議には一切答えず、小さな身体で、手際よく取り付けていく。
「腕と首と足は最低限動きます。オクタウィア様、そちらの金具を座席に取り付けてください」
「はいっ。師範、もう少しのがまんですからねー」
「だああ……お子様扱いはやめろッ」
二人がかりの作業は程なくして終わる。装着の具合を確かめるため、一度カリスとオクタウィアが座席から離れた。
「どこか苦しい所はありますか?」
思っていたよりもおさまりが良いことに気づく。
「……そうだな……案外、快適だ、これ」
「それはよかった」
彼女らへの
それゆえに腕を伸ばし、首を回し、軽く身体をひねり、強度や締付けの確認も抜かり無く行う。少し時間が経ってみると些細に思われた違和感が気になりだした。
「ん……ここか?」
「どうしました?」
シャルルが腰を何度かひねって、気になる点を述べる。
「腰の所だな。ひねると少々腹が苦しくなる」
「なるほど。他には?」
「腕が自由に動くのは良いんだが、もうちょっと締めてくれると助かる。竜と戦ったときはそれこそ天地がひっくり返る目に遭ったからな。調整はしっかりやっておきたい」
「わかりました。ではそういう方向で仕上げましょう」
「ああ、頼む」
「がまんできてえらいですねー」
「……オクタウィアッ!」
赤面するシャルルに冗談を言う少女ではあったが――当然悪気があったのでなく、彼女なりに察する物があっての言い回しだったとは彼も気づきようがなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます