第18話 コンクエスタ・シエロ(2)

 召喚獣との戦いを終えたオクタウィアは精魂尽き果てて疲れ切っていた。

 それを察した郡伯カロルスことシャルルはカリスにオクタウィアの身を託しつつ、来賓を早々に郡都キエリオンの屋敷へと招いて、残りの接待を一手に引き受けた。

 サイフィリオンが倒した巨象は郡司代行フリッカとアルス・マグナの上席研究員に処分を委ねた。フリッカはあらかじめ上席研究員と調整を行い、象牙だけは王室への献上品としてアルス・マグナが持ち帰るとの条件で、民草たちに象肉を振舞うことを決めていた。欣喜雀躍きんきじゃくやくする者たちで郡内は文字通りお祭り騒ぎとなった。

 一方、屋敷では家政婦長ヘレナの陣頭指揮下で、レンディナ村で調達したリンゴ、メネライダ村で調達した羊肉と羊乳、その他にアルデギア地方の漁村で調達して運び込んだ海産物など、郡伯の領内で得られる食材に使用した料理などが振舞われた。

 テッサリア領主名代イレーネ・マルキウスは機動甲冑と召喚獣の戦闘に圧倒されていた様子であったが、その後二人の王女と歓談の機会に恵まれたことに加えて美味な料理も手伝って終始上機嫌であった。

 こうして郡伯カロルスことシャルルはキエリオン郡領主として、その働きを来賓と領民の双方に見せることができた。


 翌日、キエリオンの屋敷に宿泊した来賓たちは帰途に就いた。また、オクタウィアとサイフィリオンもアルス・マグナの研究者たちと一緒に王都へ帰っていった。

 パラマスから運び込んだ土の取り扱いとキエリオン郡内の当面の内政をフリッカ・リンナエウスに一任したシャルルもまた、使用人たちを引き連れて郡都カルディツァへと帰った。

 接待で総動員した使用人たちには交代で休暇を与えることを決めた。彼にも郡都の屋敷でゆっくり羽を伸ばす一日が数週間ぶりにようやくできたところだった。

「この度の視察と接待、大変ご苦労様でございました」

 肩の荷が下りてくつろいでいたシャルルのもとにヘレナがワインを持ってきた。長椅子に寝転んでいた彼はさっと身体を起こすと、傍らに家政婦長を招いた。

「君たちにも苦労を掛けたな。助かったよ、エレーヌ」

「クロエも外出が続いていたので疲れがたまっているようです。休みを与えようかと思いますがいかがでしょうか?」

「君の判断を尊重する。あの子もよく頑張ってくれたからね」

 侍女のクロエはアルデギア地方での海産物の買い付けに向かわせていた。王太子の依頼で接待を引き受ける条件として、羊乳を運ぶのに使うかめの貸与を引き出すことができたからである。瓶はいくつか借りることができたので羊乳のほか、カキやエビ、カニといった足の早い食材を輸送できるかどうか試す目的でも使ってみた。

 その結果、瓶に入れた海水に一緒に入れた海産物は鮮度を落とさずにカルディツァよりも内陸のキエリオン郡まで運べることがわかった。これらの見慣れない海産物を目の当たりにした来賓たちは食べることを躊躇ったが、王女ソフィアが実に美味しそうに食べているのを見て関心を持ったその他の来賓も口にするに至った。見た目の割に珍味が味わえることがわかり、予想以上に好評を博する結果を得た。

 結果的にシャルルは来賓の接待をやり遂げただけでなく、海塩の活用、魔術の瓶による傷みやすい海産物の輸送を来賓たちの前で実践することに成功した。これは彼の構想にとって大きな意味を持っていたが、クロエの貢献によるところが大きかった。

 そして、シャルル自身も愛馬で方々ほうぼうを駆けずり回った間にもう一つ成果を得た。買い取った仔羊こひつじの胃で作った羊乳チーズである。

 ずっと愛馬の鞍に付けていたものを取り外したそれをヘレナに初めて見せた。糸で縫った胃の中で生乳が水気と固形物に分離しているのを見て彼女が尋ねた。

「羊の乳がこのようなものに変わるのですか?」

「ああ、そうだ。羊乳の成分を固形に凝縮したものに塩を加えると長持ちする。保存食になるんだ。そいつを俺の国ではチーズと呼んでいた。村ごと――いや、それこそ家ごとに作り方が違うような民草の食い物さ。だがな、こいつを何か月あるいは何年と保管しているうちにさらに旨味が増すんだぜ」

「シャルル様はそれをお作りになるのですか?」

「ああ、俺の国にあったモノをこの国でも作りたい。作り方をメネライダ村の皆にも教えれば、あそこの羊乳を原料に新たな産業を興せるかもしれないんだ。そうすれば塩の需要が高まる。アルデギアにある塩田が生かせるってわけだ」

「視察に行かれて以降、シャルル様は生き生きとしていらっしゃいますね」

「まぁな。いろいろとやりたいことができたからな。でもそれだけじゃないんだぜ」

 長椅子に腰かけたヘレナの肩に手を回し、耳元で囁いた彼。

「君と会わない日々が続いて、俺も少し気が滅入りそうだった」

「……っ!?」

 目を泳がせている家政婦長の顎をくいとこちらに向かせて、語り掛ける。

「それを紛らわそうといろいろ突っ走ってきたのかもしれない」

「こ、困ります……まだ明るいのに……」

「それじゃ楽しみは今晩にとっておくよ」

 ほのかに赤い色の差した頬に口づけをする。ヴァイオレットの瞳が揺蕩たゆたっていた。


 こんな日々が一週間ほど続いたある日、郡都カルディツァのシャルルのもとに王都から書状が届いた。アルス・マグナ総裁、つまり王太子ベアトリクス第一王女からの書状である。

 アルス・マグナが企画した演習への協力に対する謝辞に始まり、来賓として歓待を受けたことに対するお礼が記されていた。

 海産物や塩の流通拡大、塩田の活用、農村部での特産品創出――領地経営のために彼が様々な施策に取り組んでいることが、彼を領主に任命した女王ディアナ十四世の耳に入ったとも書かれている。

 その他には、今回の来賓接待で貸与した瓶の返却など、現場から事後処理について協議したいとの声が上がっているという。

「また王都に行くことになりそうだな……これを機会にいろいろ進めるとしよう」

 シャルルは早速ユーティミアを呼び、今回の「お祭り」にかかった経費を算出するよう指示を出した。合わせて、王都から貸与してもらった瓶の代用品の取得にかけられる予算見積、塩田の活用や羊乳の流通拡大で領内の歳入がどれくらい増えるかなどの試算をまとめるように依頼した。

 ユーティミアたち大蔵府の官僚がそれらを試算している間に、キエリオンのフリッカに会いに行き、農地の復興で見込める収穫増や今度の課題などを聞き取った。

 一週間を要してこれらをまとめ上げたシャルルは王都へ上った。キエリオンでの接待の際、ヘレナが不在でも屋敷の家事を回せる体制が構築出来ていたため、王都に連れていく侍女は休養を与えたクロエではなくヘレナを選び、その他は金銭面の折衝を託す実務者としてユーティミアを帯同した。


 ***


 郡都カルディツァを発って関所の近くで一泊し、翌朝王都に着いたシャルルは王城に向かった。ベアトリクス・ソフィア両王女に挨拶を行った後、ヘレナは王都での滞在先の準備、ユーティミアはベアトリクスに引き合わされたアルス・マグナの実務者との協議にそれぞれ取りかかった。

 残されたシャルルは王城から近いアルス・マグナにカリス・ラグランシアを訪ねることにした。事前に約束はしていなかったものの、行けば会える気がしたのだ。

「こちらへどうぞ、アントニウス卿」

 彼の応対に立ったのは別の職員だった。職員の先導で巨大な蔵の中へと進む。

 カルディツァ郡へ下る数ヶ月前まで毎日のように訪れたアルス・マグナの研究棟。その巨大な石造りの数々に懐かしさすら覚えていた。

 石壁の向こうのあちこちで鉄と石の弾ける音、理屈も分からない作業器の動く音、怒号混じりの指示。

 むせかえるほどの鉄と油の臭いは、改めて王都に戻ってきたのだとシャルルに実感をもたせていた。

 ひときわ巨大な鉄扉が開かれた先。複数階層をぶち抜いて作られた巨大な石室が目の前に広がる。

 せわしなく走る技師や魔術師たちの姿も懐かしい。

「えーと、エールセルジーは……」

「前と変わらないのならばここから先は大丈夫だ」

「しかし、アントニウス卿……」

 事実、勝手知ったる場所だけに、先導されるというのもシャルルにとっては少々の煩わしさを感じていた。

「あの、勝手に歩き回られますと困りますので!」

「だがなあ、俺は――」

「あら……師範! どうしてこちらに?」

「お嬢……」

 そんな押し問答の最中に見知った少女の声。彼と職員の顔が仲良く横を向いた先に新進気鋭の『資格者』オクタウィア・クラウディアが立っていた。

「あとは私が引き受けます。よろしいですか」

「そうですか、それではお願いいたします。オクタウィア嬢」

 職員から彼の応対を引き継いだオクタウィアは改まってお辞儀をした。

「先日の演習では師範にご心配をおかけしました」

「身体の方はよくなりましたか?」

「はい。魔力マナを著しく使っただけで、体調を崩したわけでもありませんでしたので。とはいえご来賓の皆様とお話しできる気力がなかったので、本当に助かりました」

 そのように口にしたオクタウィアの顔色はよく、一時的な不調であったと裏付けるものであった。自然とシャルルも表情が緩んだ。反対にオクタウィアは不愉快そうに少し顔を曇らせる。

「それはそうとして、『お嬢』とは聞き捨てなりません……まだ私を「お嬢様」扱いなさるのですか?」

「すみません、咄嗟とっさに出てしまいました。オクタウィア」

「かりにも『資格者』となった者同士、もっと対等に話しかけてもらえるとありがたいのですけど」

「わかりま――いいや、わかった! これでよろしいか?」

 咳払いをして敬語を無理やりくだけた表現に置き換えた彼にオクタウィアは頷く。

「今日はカリスさんにご用事ですか?」

「ああ、そうで――いや、そうなんだが……」

「残念ですけどまだおいででないのです。午後からいらっしゃると聞いています」

 オクタウィア曰く、カリスは一度根詰めると寝食を忘れて研究に没頭する癖があり昨夜も遅くまで作業をしていたそうだ。

「今日はカリスに用事というか、実際のところは“ケイローン”の様子見です」

「……ケイローン?」

 聞き慣れない言葉に一瞬の間があった後、オクタウィアは気づいたらしい。

「ああ、エールセルジーのことですね? 一瞬、何のことかと思いました」

「俺なりの愛称です。ついその名前で呼んでしまって申し訳ない」

「エールセルジーの修復作業を把握しているのがカリスさんなので、いずれにしても不在では話が進みませんね」

「なるほど……まあ、事前に約束していたわけじゃないからなあ」

 気まずそうに頭をかいたシャルルに、オクタウィアは微笑んで言った。

「それならば、お昼食をご一緒しませんか? 私もこの後一度屋敷に戻る予定がありますので」

「それはいい! クラウディア家ご令嬢からのお誘いとあっては断る理由がないのでお言葉に甘えるとしましょう」

「そんなに大したものでもないですから、ふふふ」

 そう口にしたオクタウィアは少女らしいあどけない笑みを浮かべていた。


 オクタウィアに連れられて、シャルルは王都の貴族街にあるクラウディア家の本邸を訪れた。母親の軍務卿ユスティティアとも二週間ぶりの対面である。

「ようこそ、アントニウス卿。先日の美味なごちそうのおもてなしには及びませんが歓迎いたします」

「とんでもない。恐縮です、軍務卿閣下」

 ユスティティアとオクタウィアの母娘とシャルルが同じ食卓で会食を行うのは何カ月ぶりのことであった。その時彼はまだ一介の田舎騎士、貴族でなければルナティアの臣民でもなかったのだ。アグネアの縁で剣術師範を務めたに過ぎない。

「アントニウス卿がカルディツァに行かれて二カ月になるでしょうか……先日のご接待では見事な手際を見せてもらいました。カルディツァで最初お会いした折は老婆心ながら耳障りなことを言いましたね。ご容赦ください」

「いえ、自分が領主としてあまりに不勉強だったと今も恥ずかしくなります。最初の大事な時期に閣下からご鞭撻べんたつを賜ったおかげでうまく乗り切ることができました。お礼申し上げます」

「この王都はルナティアの中では裕福なものが集まり、それゆえ他の直轄領の地域に比べれば高級な食材もあります。しかしキエリオンのお屋敷で供された食事は王都でも見たことがない食材ばかり。しかも美味……感嘆するしかありません」

「ソフィア殿下が以前にわが領内アルデギアにお越しになり、そこで海産物をお召し上がりになったと聞き及びました。その食材をどうすれば確保できるかと苦心して、海水を詰めた魔術の瓶を使う閃きを思いついたのです」

 シャルルは羊乳を運ぶ瓶が内容物の質を保つことを聞き、それを王都で借りて使ったことを明らかにした。これには母娘ともに驚きを隠さなかった。

「あの瓶にそんな使い方が……よく気づきましたね」

「惜しむらくはこの瓶を返さなくてはならないことです。できれば私も買い求めたいのですが、この国では焼き物が高価で鉄が比較的安価と聞き及びました。どうせなら焼き物以外で、それこそ鉄を使って瓶を作る方法がないか考えているのですが、人脈がないもので困っております」

「そうですか……当家が贔屓にしている職人を何人か紹介しましょうか? 何か役に立てばよいのですが」

「本当ですか!? もしお願いできるのでしたら、とても助かります!」

 シャルルがオクタウィアとともにアルス・マグナに戻った後に、ユスティティアはクラウディア家と取引のある何人かの職人宛に紹介状を書き記した。これがシャルルの構想実現に大きな役割を果たすのだが、それはまた後の話である。

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