第5話 第三の力(5)

 シャルルがそこで手を挙げた。ある事実が気にかかったからだ。

「……時々、乗っていると妙に疲れることがあるんだが、何か関係あるか?」

「大いにあるでしょう。ですが、本来はそうならないようになっているようです」

「どういうことだ?」

 首をかしげる彼に、少女が訊ねた。

「ルナティア国内には、いくつかの大きな街道があることはご存知ですね?」

「何度も使っているし、交通の要衝にもなっているよな。それがどうした?」

「それでは、その街道の地下に巨大な魔力マナの流れがあることは?」

「魔力の……流れ?」

 理解が追いつかない彼を見て、カリスは譬えを交えて説明を始めた。

「魔力自体は先にも言ったように、あらゆる場所、物にありますが、その中でも特に大きな物――私たち魔術師はときに『龍脈』とも呼ぶこともあるのですが、川の流れのように、大地の下で流れ続けている魔力の潮流があるのです」

 彼には今一つわからない。

 だが、とりあえずそういうものだと理解しておくことにする。

「例えばそうですね……先般の竜の血を湊町から王都に運ぶかめを見たかと思われますが、覚えていますか」

「ああ、普段であれば羊乳などを運ぶために使うと聞いたな」

「はい、あれは内容物の性質を保つ魔術が施された道具です。何もしなければ腐ってしまうものを腐らせずに遠く離れた場所に運搬できます」

「ほう……」

 それ自体、興味深い話である。

 だが、ここでは本筋から外れてしまうので後日訊ねよう、と深入りは避けた。

「ああいった魔術を施した物を常に活性化させるためには安定した魔力の供給が必要です。それらのほとんどは地下から賄われているのです」

「もしかして、機動甲冑の魔力も?」

「その通りです。機動甲冑ほどの物を動かすともなれば、人間一人の持つ魔力量ではすぐに限界が来ます。そこで通常時は地下にある龍脈から魔力を吸い上げ、その胎内に蓄積し、それが無くなると搭乗者の魔力を使う、という方式を取っているようです」

(なるほど……それでか)

 そこまで話を聞いたシャルルは、ある気づきを打ち明けることにした。

「“ケイローン”に乗って間もない頃だが、街道から少し外れた原野で軍事教練に参加した事がある。アイツに乗っていて明らかに疲れたなと感じたのはそれが最初だ」

「騎士殿の予想の通りでしょう。間違いなくエールセルジーは溜め込んだ魔力を使い切り、騎士殿の魔力を使って稼働したことの証左です」

「あの街道はたしか、古代帝国の頃のものをそのまま使っていると耳にしたのだが」

「その通りです。このバルティカ大陸に張り巡らされた石で舗装された街道、そのほとんどすべてが古代帝国時代に作られていると考えられます」

「……バルティカ? ん、どこかで耳にしたような」

 首を傾げた彼を見て、カリスはハッと気づいたらしい。

「古来、ルナティアがあるこの大陸を『バルティカ』と呼んだのです。その名残で、古くからある街道には『バルティカ街道』と呼ばれるものがあります」

「なるほど……話の腰を折ったな、続きを頼む」

「龍脈の話に戻りましょうか。龍脈の流れは多少のゆらぎがあるものの、同じ場所を流れ続けています。今から千年前であっても大きくは変わらないはずです」

「……千年前?」

「古代帝国が亡んだとされる年代がその頃と言われています」

「つまり、古代帝国時代に存在した龍脈とやらは、現代でも近しい場所に流れているという理解でよいのか?」

 カリスが頷く。

「その通りです。現在の王都のある場所は龍脈の中でも特に大きな魔力貯まりのようなものを形成しています」

「……川の流れの間にある湖のような?」

「その理解で間違いありません。これはあくまでも仮説ですが……機動甲冑、街道、そして龍脈はいずれも組み合わせて古代帝国時代に設計されたものなのではないか、と私は考えます」

「なるほどな」

 言われてみれば納得する部分もある。

 王女ソフィアや女王陛下の遣わした馬車はこの国でも随分と大振りな物だったが、それでもルナティア国内に敷かれた街道の道幅と比較して小さいと感じた。

 そして、シャルルは機動甲冑で街道を疾走する際、同じ大きさの物が二機横並びでちょうどよいくらいの幅だと無意識に感じ取っていた。

「“ケイローン”に乗っていて、街道には十分な広さがあると感じたんだが、もともと機動甲冑を使うことを念頭に置いた軍道なのかもしれんな」

「ええ、私もそう思います。水道などと同じで魔力を供給するための設備です。流通の観点から見れば運河に近いかもしれません」

「運河か……なるほどな。機動甲冑は龍脈の上を高速に走れる船といったところか」

「ええ。それを現代に応用したものが竜の血や羊乳を運ぶ瓶というわけです。自走はできませんが、常に魔術を活性化しておくことができます」

 水道、運河という譬えをカリスは用いた。

 人が活動するために不可欠な水を得るのと同じように、機動甲冑やその他の魔術を活性化させるための原動力を供給する『文明の利器』だったのだろう。

 そのようなものであると完全に理解することができた。

「ここまで説明すれば、龍脈による魔力供給がいかに重要かおわかりでしょう。龍脈には膨大な魔力の流れがあります。それを活用することで、機動甲冑はほぼ無尽蔵の動力を得ることができるわけです」

「ああ、それは理解した」

「一方、龍脈から魔力供給が途絶えた場合、機動甲冑はあらかじめため込んだ魔力を消費します。それが尽きてしまった場合、それに乗る人間の魔力を消費しますが……ここで困った問題が生じます」

「アイツに乗っていると妙に疲れるってのがそれだな」

「それはまだよい方です。機動甲冑の場合は魔力が切れれば動かなくなるだけで済みますが、それに乗る人間の魔力が枯れたとすれば、最悪の場合は命に関わります」

「……死にかけるってことか」

「いいえ、死にます」

 あっさり言い放った。

 エールセルジーで竜討伐を果たした直後、彼は意識を失って昏倒していたという。自身の魔力が枯れた結果、死線をさまよっていた可能性がある――そのようにシャルルは自覚した。

「あの湊町で竜を召喚した魔術師が三名いたそうです。そのうち二名の死亡が確認されています。人間の魔力マナが枯れた具体例です。騎士殿も似たような、いえ、外傷を考慮すればもっと悲惨な状況でしたが、マナポーションを使って枯渇した魔力を補ったので手遅れにならずに済みました」

 背筋が凍る思いだった。

 懸命に自分を救ってくれたかわいらしい使用人に改めて感謝すべきだろう。

「今後、“ケイローン”を使う場合は街道から外れないほうが良いのか?」

「それは、先の竜討伐を経験した騎士殿が一番理解しているのではないですか」

「あれは……」

 咄嗟に反論しようとしたが、言葉に詰まった。

 疑問形ではない断定した少女の言葉はあまりにも正鵠を射ていた。

「ただ、それにしては疑問が残る話なんです。エールセルジーの内部の消耗もそうですが、騎士殿の魔力消費があまりにも激しすぎたんですよね。機動甲冑と言えど、搭乗者の魔力をここまで吸い上げ、生死の間をさまようほどの消耗は起きないはずなのですが……何が起きたのか説明できそうでしょうか?」

「うーん……」

 実際のところ、氷嵐竜トルメンタドラゴンを倒す決め手になった『光の剣』のことをシャルル自身うまく説明がつけられずにいた。

(だが、こいつには話しておいた方がいいだろう。理屈を知らないまま、あの武器を使うのは危険かもしれない)

 カリスの説明もあって、さすがのシャルルもいくらか慎重に考えるようになった。拙い説明だとわかっていながらも言葉を紡いでいく。

「あのドラゴンと対峙したとき、いくら剣を突き立てても弾き返されてしまってな、まるで勝てる気がしなかった。俺は無我夢中でドラゴンの首を落とせるような武器がないのかと“ケイローン”に聞いた。そしたらアイツは『ある』と言ったんだ……だから、俺はそいつをやらせただけだ」

「……それはどういうものですか?」

 興味深そうな顔をした少女。

「なんと言うべきか……剣に魔力だかなんだかを這わせる魔術とか何かがあるらしいじゃないか。同じようなことが出来ないかって聞いたんだ」

「……エールセルジーはそれをなんと言っていましたか?」

 母語ではない言葉を表現するのは難しい。

 難しいなりに、シャルルはその音を真似て口に出してみた。

「おとん……いや、ふぁんとむ? あれ、えっと……なんだったかな……」

 聞き取った言葉も曖昧なら、発音も曖昧なシャルルの答えを聞いてしばらく思索に入っていたカリスの表情が変わった。一つだけ思い当たる物が閃き、口にする。

「もしや……『光子フォトン』、ですか!?」

「そうそう! そんなことを言ってたな。ソイツを剣にまとわせて斬ったんだ」

「……!?」

「初めてだったんで使えるかわかんなかったんだけどな。剣が光って大きくなって、それでなんとかぶった切れたみたいだ。斬った瞬間に何も見えないし、聞こえないしで、結局意識を取り戻してから結果を知ったんだ。まぁ剣はけて無くなっちまったみたいだがな」

 シャルルのあっけらかんとした顔に対し、カリスは眉根に縦ジワを作り、これまで以上に深刻な顔をしてぶつぶつと早口で呟き始めた。その様子は完全に自分の世界に入ってしまったようで、シャルルも流石に事態の深刻さを察する。

「……もしかして、俺……とんでもないことをやっちまったのか?」

「――対消滅による発生だとすれば流石に……しかし、あの距離での観測から熱放射量を推定すれば良いわけで、でもそれには波動関数によって導かれる方程式では理論的にありえない訳ですから……そうなると想定されるのは収束率の問題で――」

「……カリス? 大丈夫か? おーい……」

「動力炉の過負荷を考えるにおそらくはおっしゃったことは間違いはないでしょうから……であれば、屈折干渉による振る舞いを想定して……スピン角運動量は……うん、つまり相互作用による媒介を――」

「カリスー?」

 もう一度呼びかけると、非常に厳しい目つきで睨まれた。

 それ以上何か言ったら、冗談なしに噛みつかれそうだった。何か気に障ったことを口にしたかと彼は思わず身構えた。

「――いいですか、騎士殿」

 頷く。

「これから私が言うことを必ず守って頂きたいのです」

「内容による」

「守って頂きたい」

「……わかった」

 有無を言わせない凄味があった。

 彼が沈黙してから、少女らしからぬ険しい顔をしたまま、彼女はこう言った。

「今後、何があったとしても、その武器の使用は禁止です」

「何があってもか?」

「はい」

「またあんな怪物が出てきてもか?」

「絶対です」

「なぜだ? まさか、アレを使うと死ぬのか?」

「そんな生易しい話ではないのです。場合によっては街道が大変なことになります」

 思わず唾を飲み込んだ。

「街道に沿った龍脈が火山活動のような事象を起こして国中に広がる……言うなれば、大爆発しかねないのです」

 街道が大爆発する、というと不思議な言い回しだが、仮にそれが言葉通りなのだとすれば……

民草たみくさの生きる手段が絶たれる、ということか?」

「それであればまだ良いのです。最悪の場合、この国が亡びます」

 国が亡ぶ――。

 幼い少女が口にするには似つかわしくない言葉。

 その年頃の子供の口にする冗談の類ではなく、間違いなく真剣であり、彼女なりの矜持を持って吐いた言葉であることがシャルルにも伝わった。

「おい……冗談だろ?」

「冗談ではありません。本気です」

「お、おぅ……」

 動揺を軽口で誤魔化そうとする彼に、彼女は冷たく言い放った。

「無論、これは最悪中の最悪を想定した場合ですけど」

「……」

「仮にあの武器を再び使用する必然性のある場面が訪れるとすれば、それは絶体絶命の状況ということに他ならないでしょう?」

 思わず息を呑んだ。

 あの武器を使ったとき、シャルルは間違いなく断崖絶壁に立たされた最悪の状況下にあったからだ。

「機動甲冑の胎内での魔力は暴走寸前の状態で激しい流動をしています。その状態で万が一、機動甲冑が破壊された場合、街道の下の龍脈と繋がっていれば、機動甲冑の内側で暴走した魔力が龍脈全体にそのまま伝播する可能性が極めて大きい」

「つまり……?」

破局的噴火はきょくてきふんかのようなものです。ルナティア全域に広く流れる龍脈を瞬く間に伝って、暴走した魔力が伝播していく。この国を走る街道、その上にあるありとあらゆる都市、人の営みすべてを飲み込み、破壊しつくします。文字通り、ルナティアは確実に亡びます」

 返す言葉がシャルルには浮かばない。

 軽口を叩くことも出来ないほど深刻な言葉が彼の後頭部を打った。

「改めて釘を刺しますが、あの武器の使用は今後禁止です」

「だが……街道にいなけりゃ使っても良いんだろ?」

「……今度は、命の保証は出来ませんよ?」

「それでもだ」

「いいかげん流れ者気取りはやめていただきたい! 正七位カルディツァ郡伯カロルス・アントニウス卿ッ!」

 激昂。

 握り締めた拳で机を叩いた少女はまくし立てるような早口で一気に言い切った。

「またあんなことになりたいのですかっ! 魔力も何もかも枯れて、目も耳も潰れていたんですよ! それでも侍女殿の懸命な治療でかろうじて一命をとりとめた貴殿が、なおも懲りずにあれを繰り返したいとおっしゃるのですか!」

 絶句。

 あまりの剣幕にシャルルは何も言えなかった。

 顔を真っ赤にしたカリスは咳払いをして、努めて元の口調に戻していく。

「もうお一人だけの身体ではないのですよ。ルナティア臣民としての自覚があるのでしたら、二度とそのような軽口は控えていただいて……」

「わかった、わぁーった……降参だ、降参。もうあの武器は使わんよ。約束する」

 両手を上げて降伏の意思を示す。

 そんなシャルルをカリスは沈黙して睨んだままであった。

「……それでだ、“ケイローン”が魔力で動いてるってことは十分にわかった。だが、それだけじゃないだろ? あれが動いている理屈を教えてくれないか」

 少女の態度にどこか冷ややかなものを感じる。

 居たたまれない思いから逃げたかったのかもしれない。出来る限りシャルルは平静を装ってカリスに『いつもどおり』の口調で話の続きを促した。

「……“アントニウス卿”は、普段どのように機動甲冑を動かしておりますか?」

 対し、カリスは明らかに説明的かつ深刻で丁寧な言葉で問う。

 どこか慇懃いんぎんすぎる態度にさえ思われるほどだった。

(……やっちまったな)

 慣れない爵号での呼ばれ方のせいだけではない。

 何とも言えない居心地の悪さを感じつつ、シャルルは質問に答えた。

「……何も特別な操作やらはしてないな。馬に乗るよりも簡単だ。前に進めとか、敵の攻撃を避けろとか言えば、勝手にその通りに動いてくれる」

「時には何も仰らずとも機体が動くのでは?」

「そうそう! 口の中切れた時なんかはしゃべるのも億劫になってな。そんなでも勝手に斬ってくれるんだ。大したやつだよ」

 得意げに彼が口角を上げて喋っても、少女は事務的な口調のまま応じた。

「機動甲冑は搭乗者の精神、そして魔術回路と接続しています。したがって、思考をするままに動くのです」

 念じろ――。

 最初にエールセルジーに乗った時、そう言われたのをシャルルは思い出していた。

「それは、つまり……あれこれ口で指示する意味って無かった?」

「はい」

「まじかぁ……全部無駄骨だったのかよぉ……バカみてぇだ」

 がっくりと肩を落とした彼に、少女はこんな言葉をかけた。

「しかし、まったく無意味というわけではありません。言葉を口に出す、というのはそれだけ行動に対する意思が強いことの証明でもあります」

「何か物を投げる時に大声で叫ぶと遠く飛ぶような、そんなもんか?」

「魔術も同じで、『術式を口にする』ことでよりその精度や術式の強度に現れます」

「なるほどな」

 シャルルの軽口に対し、先程までとは違いカリスは同意も相槌も打たない。

 あからさまに素っ気ない態度を取られ、居たたまれない気持ちになってきた。

(ガキだと思って相手していたが……)

 彼女もまたこの国を想っての真剣さから彼との対話をしていたのだ。もっと真剣に向き合ってやればよかったかもしれない――そう思い知らされた。

「それと、もう一つ確認したいことがあります」

 黙って頷く。

「先の戦いで機動甲冑の中にいながらアントニウス卿は傷だらけでした。光の剣を使う前から『血が足りない』とおっしゃっていましたし、あの武器を使ったこととの因果関係はなさそうです。どうしてあんなことになったのですか?」

「機動甲冑は無事でも、その中で揺さぶられた俺は全然無事じゃなかったんだ」

「つまり、揺さぶられた時に座席などの出っ張りに身体をぶつけて負ったケガだったのですね」

「ああ……あんのクソむかつくドラゴンに投げ飛ばされたり、ふっとばされたりでそこら中に頭だの腕だの、しこたまぶつけたのさ」

 当時を振り返って肩を怒らせた彼に、少女は何度か頷いた。

「オクタウィア様もサイフィリオンに乗り始めた時、転倒をしていますが、アントニウス卿のようなことにはなっていないんです。どうやら魔術により機体内部に身体が固定されていたようなんですが」

「俺の時は全然そんなことなかったぞ!」

 感情を露わに彼が喋っても、少女は落ち着き払ったままであった。

「わかりました。まだ試作中ではありますが、座席と身体を固定する皮布を取り付ける予定です。アントニウス卿の体格に合わせたいので、完成しましたらお伝えします。その時、またアルス・マグナにいらっしゃってください」

「ありがたい。矢傷から守るはずの甲冑だってのにあそこまでやられるのは理不尽だからな」

 カリスとの長い対話を終えた頃、陽はすっかり傾いていた。

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