忘却の彼方へ
冬瀬
私を忘れた騎士に捧ぐ
1通目。13年ぶりの君は
——久しぶり。元気にしてた?
その一言が私には言えなかった。
すぐ前を通り過ぎて行く、琥珀色の髪から碧く冷たい瞳をちらりと覗かせる君。
最後に君の姿を見たのは、もう13年も前だから、すっかり身長が伸びて顔つきも大人びていたのには驚いた。
私は廊下の端に佇んだまま、そんな君の背中をただ見送ることしか出来なかった。何か言わなきゃいけないと思ったんだけれど、その時は胸がいっぱいで何も言えなかったんだ。
だって、君とはもう二度と会えないと思っていたんだから。
オーロラ姫の護衛中だった君は彼女に「ジーク」と名を呼ばれて「ハイ」と、低くて凛々しい声で返事をしていた。昔の名前では無かったけれど、私は大きな廊下の前を進んで来る君を見た瞬間に、〈迷いの森〉でババロア様と一緒に兄妹のように育った大切な家族である「セオ」を見つけたよ。
紺を基調にした制服は凄く似合っていて、まるでお伽話に出てくる皇子様みたいだった。
ババ様にもかっこいい君の姿を見て欲しかった。
いや、きっとあのババ様だから天の庭からでも君のことを見守ってくれているよね。
君を見つけたこの日は、私が初めてギルロード帝国の皇城に上がった日。お城で働くことを認められたばかりだったから、名前もそうだけれど、君がどんな13年を過ごして今ここにいるのかなんて、全然知らなかった。
私は君とすれ違った後、居館の案内をされながら、何よりもまず君のことが気になって仕方なかった。
だから、案内をしてくれていたメイドのサラさんに思い切って君のことについて訊ねたんだ。
「さっき、オーロラ姫様の隣にいらっしゃった騎士様はどなたですか?」ってね。
それまで私は大人しく話を聞いていただけだったから、サラさんはその質問が意外だったみたいで目を丸くしていたけれど、「あのお方は、ジークフリート・ルド・ロマロニルス様でございます」と教えてくれた。
君。いや、あなたはロマロニルス公爵家の養子になっていた。
公爵家という身分に驚くだけでは足りず、最年少でギルロード帝国騎士団〈青い龍〉に所属し、今では団長クラスの実力者であることを知った。
昔からそうだったけれど、あなたは容姿も優れているから、かなり女性に人気みたい。
何でも、噂では「オーロラ姫様のお気に入り」らしく、仕事にゆとりがある時は姫様の護衛をしているそうだね。
私と歳は1歳しか変わらないけれど、急にあなたが凄く大人で、遠くの存在に感じた。
私は今も変わらず、「平民 : エレン・ウォーカー」のまま。
とある理由で〈裏の大陸〉から遥々、帝国のある大陸へ、魔導書に書かれた呪文や魔法陣を解読する「魔導書解読士」として城に務める名誉をいただくことになったけれど平民は平民。
身分的にも、もうあなたは「久しぶり。元気にしてた?」なんて気軽に話しかけることができる人では無くなってしまった。
それでも。
10年という年月を一緒に過ごした君だから、私はどうしても話がしたかったんだ。
新しい環境に慣れるのには、思ったよりも時間はかからなかった。
あの大陸にいた時も各地を転々としていたから、案外順応するのは得意みたい。
いつも頭の片隅にあなたのことを置いて、話ができる機会を見逃さないようにと過ごす日々。
私は基本的に研究室にこもって仕事をしているから行動範囲が狭くなってしまう。
それに加えて、あなたは姿を見かけても姫様の護衛中だったり、魔物討伐の要請が入ったりして、とても忙しそう。
声をかけようとして口を開き、何も発さないまま口を閉じるのを繰り返すこと十数回。
あっという間に3ヶ月が経過しようとしていたある日。その時はやって来た。
私は仕事に必要な本を借りるために、厳重な警備がされる城の地下にある広い書庫をぐるぐる探し回っていた。
あまりにも沢山の書物が並んでいるから、なかなか目当ての本を見つけられず、今日のところはもう諦めようと踵を返したところ。
本棚の前で一冊の本を手に取って、長い睫毛を伏せている君がすぐそこにいたんだ。
あまりにも絵になる姿で、私の目は釘付けになった。
琥珀色の髪がさらりと頬に落ちて、あなたはこちらを横目で見る。
これが大人の色気というものなのかな。
あなたの目に私が映ったと思うと、何だか恥ずかしさが沸いてきた。
だって、私は癖のある亜麻色の髪をいつも適当にひとつに結ぶだけで、化粧も薄く、全く洒落気のない女だったから。
でもね。私は馬鹿だから、君ならありのままの自分で向かい会っても、思い出してくれると思っていたんだ。
今思えば、団長クラスの騎士様が自分に注がれる視線に気が付かないはずが無いのだから、それまであなたが私に声をかけなかった事の意味をもう少し考えるべきだったんだ。
私は自分のことばかりを考えて、ちっともあなたのことを何にもわかっていなかった。
「何か」
あなたに尋ねられて、私は今しかないと思う。
「あ、あの。私、エレン・ウォーカーです。覚えていらっしゃいませんか?」
13年ぶりの再会だけれど、話せばきっと私だと気がついてくれる。
そんな期待をしていたんだ。
あなたは私の家族も同然な存在だと信じて疑わなかったから。
「……どこかで会ったことが?」
でも。
端正な顔を全く動かすことなく、あなたはどこか冷たい眼差しでそう告げた。
刹那、私の呼吸がグッと止まった。
まるで鈍器で殴られたような衝撃が、心臓をドクリと跳ねさせる。
どこかで会ったこと?
そんなレベルの話なんかじゃない。
それぞれ〈迷いの森〉に捨てられた私たちは、森に住む魔女ババロアに拾われて、忌々しいあの日が来るまで毎日同じ時を過ごした。
一緒にご飯を食べて。一緒に遊んで。一緒に勉強して。一緒に笑って。一緒に泣いて。
道ですれ違いました〜、くらいの数分とは単位が違う。
「私だよ、セオ。迷いの森でババ様と一緒に暮らしてたエレンだよ」
私は声が震えそうになるのを必死に耐えて、あなたに聞いた。
今、自分がちゃんと地面に立っているのかもわからなくなるくらい、頭は真っ白。手は震えて、足の爪先からスッと血の気が引いていく。
自分から訊ねておきながら、あなたから返事をもらうのがとても怖かった。
パタン。
あなたは持っていた本を強く閉じる。
私はその音に、びくりと肩を震わせた。
「俺はジークフリート・ルド・ロマロニルス。それ以外の何者でも無い。生憎、君のことは全く知らないんだ。人違いだろう」
あなたはそう言うと、また私を通り過ぎようと歩き出す。
どうか嘘だと言って欲しかったが、とてもじゃないけれど、サプライズにしてはタチが悪過ぎる。
あなたの言葉を理解しようと、心の中でもう一度言われたことを反芻させたけれど、私は呆然とするしかなかった。
すれ違う時、あなたは立ち止まって付け加えた。
「悪いが過去にすがる女性が一番嫌いなんだ。他を当たってくれ」
どうしてだろうね。私の頭は理解が追いついていないはずだったのに、軽蔑の目であなたがこちらを見ていたことは分かってしまう。
——違うよ。
私は玉の輿を狙って、高貴な方なら誰でも良くてあなたに声をかけたんじゃ無い。
あなたがセオだから。あなたが唯一の家族だから、話したかったんだ。
話せる口はついているはずなのに、言いたい言葉は何一つ出てこないで、あなたは私から遠ざかる。情けないことに、言葉の代わりに出てきたのは、しょっぱい涙だけ。
13年ぶりに再会した君は、私を、家族を、覚えていなかった。
もう、泣いていたら涙を拭ってくれる優しい君はいない。
君に会えた束の間の喜びは、音もなく崩れ去ったんだ。
悲しかった。寂しかった。辛かった。
でもね。セオ。
私だってこの13年で、自分で涙を拭えるくらいには大人になったんだよ。
しばらくして、袖でごしごし涙を拭いた。
唯一の家族である君に忘れられてしまったことはすごく胸が痛かったけれど、死んでしまったと思っていた君が生きてくれていただけでも喜ぶべきことなんだ。
生きてさえいれば、もしかしたらまた私のことを思い出してくれるかもしれない。ババ様と三人で過ごした楽しい時間を思い出してくれるかもしれない。
今は忘れていても、君が幸せに暮らしているなら、それでいいと思っていたんだ。
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