2通目。私の記憶
あなたが私を忘れてしまったことを知ったからといって、特に日常が変わることは無い。
あなたは誇り高き帝国の騎士として。
私は裏の大陸から来た魔導書解読士として。
あまり交わることのない関係で、それぞれの仕事をこなしている。
人違いだと言われたあの日以来、話すことはなかったのだけれど、それでもやっぱり私はあなたが気になって。
「過去にすがる女性が一番嫌い」なんて言われてしまったのに、私はいつも君を探している。
あなたの話には耳をそば立て、元気にしているのか確認していたんだ。
私を忘れてしまったあなたからすると、気分の良いものではなかったかもしれないから、側から見守るくらいが私にできる精一杯。
人から聞くあなたの姿は、いつも勇敢な騎士だ。
膨大な魔力を所持し、それを操ることも秀逸であることに加え、剣の腕も相当なものと来た。優秀なあなたが次々に危険な任務を遂行させるものだから、私もそれに負けないようにと解読を進めたんだ。
「ウォーカーさん。入りますよ」
「はい」
ひとり研究室で魔導書と向き合っていた私は、顔をあげて叩かれたドアを見つめる。
入ってきた男性はレイス・ノン・オーマン。
この国の魔導師長を務めていらっしゃるとてつもなく偉い人だ。私の直属の上司でもある。
「進捗はどうですか」
慌ててモノクルを外し、彼に挨拶すると今取り組んでいる魔法陣の解読状況を説明する。
「かなり複雑ですが、何とか七割ほど分析を終えています。今月中には解読が完了するかと」
「そんなに早く……。わかりました。そのまま作業を進めてください。終わり次第、すぐに報告するように」
「かしこまりました」
こうして時々、彼は進捗を確認しに私の研究室へ訪れる。今回も用件はそれだけかと思ったが、オーマン様は物言いたげな視線を私に向けていた。
「あの、何か?」
小首をひねると、彼は言う。
「あなたがここに来て初めて解読した呪文が、正式に『帝国魔導新書』に掲載されることが決まりました」
『帝国魔導新書』とは、神の宣旨が発現する魔導書に載った特別な力を持つ言葉や図形—つまりは呪文と魔法陣が持つ能力を、人間が会得できるようになったものが載った書物を指す。
基本的に、オリジナルの魔導書に浮かぶ呪文と魔法陣は、それだけでは何も起こすことができない。
いわゆる魔法を使用するには、それらを解読してどんな魔法が発動するのか、またそれにはどんな条件が必要で、時にはその発音方法なども見出さなくてはならないのである。
そういった魔法の説明が書かれたのが魔導新書であり、平たく言えば魔導書の解釈書なのだ。
魔法を使用する上で、必ず必要になる重要なもので、解読士たちが多数存在する魔導書を攻略しようと挑戦し、挫折を味わって来た。
「年にひとつ、低級の魔法が解読されるだけでも十分な称賛に値するというのに、この短期間でこれだけのものを解読するとは。
ウォーカーさんには、一体その魔法陣がどう見えているんでしょうね」
私はそう問われて、魔導書からトレースした魔法陣に視線を落とす。
モノクルを使わないと読み取れないくらい緻密なデザインの魔法陣。
そこに敷き詰められるようにして書かれているのは、この世界には存在しないはずの言語。
「どうしてでしょうね。私には魔導書を扱うための魔力が乏しいというのに、これらが懐かしい言語に思えるんです」
「懐かしい?」
「はい」
そう。懐かしい。
この剣と魔法の世界とは違う星の言語たちは、私の脳裏に浮かんでは、それがどういう意味なのか、どう発音するのかを教えてくれる。
果たして、これを前世の記憶と言って良いのかと訊かれれば、答えは曖昧だ。
何故なら、私は言語についての知識しか記憶を持たないから。その言語というのもひとつではなく、あの世界にあった大半の言語を理解することができるのだから、私の記憶はまるで辞書のよう。
「前世の自分」という存在は不透明で、それとはまた違う記憶の持ち方みたいなのだ。
ババ様には「あんたは天啓を受けているのさ」と言われたが、同時にその力を間違って使ってはならないと耳にタコができるくらい聞かされた。
「……そうですか。解読の先は長い。あまり無理はしないように。あなたは熱中し過ぎて食事を忘れているそうですから」
「はい。気をつけます」
研究室には私ひとりしかいないので、集中するとつい時を忘れて解読をしてしまう。
それくらい魔導書を読むことが好きなのは、懐かしい文字をこの世界でも触れることができるのが嬉しいからなんだと思う。
たとえ解読ができても、それを発動させるだけの魔力を持っていないことが、自分でも不思議なくらいだ。
オーマン様が部屋を去って行くと、研究室は静かに私を囲んでいる。
ひとりで作業するには広い部屋。
魔導書解読士は、新書に載せることができるくらい正確に解読できれば、それは儲かる一攫千金のお仕事だ。
しかしながら、魔導書にはこの世界に生まれたはずのない文字が使われているわけで。ルーツも分からない言語を解読するというのは、とても難しいに決まっている。
だから滅多に解読を成功させることも出来ないので、解読士を志す者はごく一部であり、その存在は希薄なのだ。
各国、新しい魔法を喉から手が出るほど欲しがっているのにも関わらず、予算をかけても成果が出ない解読にお手上げ状態。それならば現時点で解読されている魔法を習得し、剣術など武術を磨いた方が、よっぽど有意義な費用の使い方なのである。
この大陸で絶大な力を誇るこのギルロード帝国でさえ、魔導書の解読を専門とする機関を持っていなかった。私が引き抜かれるまでは。
どうして私が生まれ育った裏の大陸を離れ、このギルロード帝国に来たのか。
運命だったと言ってしまえばそれまでだが、ことの経緯はちゃんとある。
きっとあの件が無ければ、私は裏の大陸を出てこの表の大陸に住むなんて考えなかっただろうし、ましてやあなたと再会することもなかっただろう……。
*
私は数ヶ月前まで、こちらで言う裏の大陸にある宗教国家バイスに身を置いていた。
草原が広がり、放牧が盛んなバイスの長閑な田舎にポツリとたった平屋建ての家に住んでいた。そこはとても静かで、心が落ち着く場所だった。
まだまだ駆け出しの解読士だった私は、試行錯誤しながら魔導書の解読に明け暮れる毎日。
「エレン。いるかー?ハロルドだ」
「ハロルドさん?! 今、開けます!」
扉を叩く音と一緒に、面倒を見てくれていたハロルドさんの声が聞こえて私は慌てて玄関へ。
そこには白い髭を蓄えた物腰柔らかそうなおじさんと、見るからに高級感あふれる着こなす貴族と思わしき人物がふたり。
前者であるハロルドさんは、後ろのふたりを見て目を丸くした私に真剣な表情で言った。
「大事な話がある。この方たちは教皇様のお使いだ。上げてくれるか」
「は、はい」
教皇の使いと聞いて何事かと驚きながらも、三人を中に通した。大きな平屋建ての家には、たくさん部屋があるから、数少ない客人のために空けておいた個室に案内したんだ。
「今、お茶を淹れますね」
ちょうどコーヒーを飲もうと沸かしていた湯とティーカップをトレーに乗せて再びお偉い様の前に行くと、彼らは静かに私を待っていた。
その雰囲気はどうにもピリピリしていて、私は解読に失敗してしまったのではないかと一気に不安になったよ。
「お口に合えば良いのですが。よろしければどうぞ」
場を取り持つためにお茶を勧めたけれど、ハロルドさんは一番この家に訪れる人なので今更心配ないが、貴族の方に安い茶を勧めるのは些か勇気がいる。
そんな心配を余所に、おふたりは本題へ入って欲しいようで、チラリとハロルドさんを見た。
「エレン。取り敢えず座ってくれるか」
「はい」
私は頷いて席に着く。
バイスに移り住んで一年半が経ちそうなのだが、こんなことは初めての出来事だった。
どうか良い話であってくれと私は心で願った。
ハロルドさんはゆっくり口を開く。
「単刀直入に言おう、エレン。君に帝国からお呼びがかかった」
「帝国?」
海を越えた反対側の大陸にあるギルロード帝国。
侵攻は合理的に行われ、無駄な争いをせずにその領土を広げているお国だ。経済的な発展が著しく、安住の地を求めてこの大陸からも海を渡ろうとする富豪が多い。
「申し訳ないが、あなたには嫌でも帝国に渡ってもらいたい」
そこで今まで黙っていた貴族さまが告げたんだ。
そんな言い方をするものだから、私は思わず反論しようとしたのだけれど、存外、彼らはかなり深刻な顔だった。
すがるような目つきに気がついてしまったものだから、私は何も言えずに困惑した。
「これは国を揺るがす問題なんだ。ここから話すことは他言無用で願いたい」
話を聞かずには何とも言えないので私はこくりと肯いた。
それを確認するように使者のふたりも重く頷いて、彼らは話を続ける。
「先日。帝国から我が祖国に同盟条約を結ぶようにと打診があった」
「それは……」
宗教国バイスはこの世界で信仰される「星教」の聖地である。敬虔な信仰者であれば人生に一度は大聖堂を訪れ、出来ることであれば教皇に見えたいと願う。
星の導きはこの世界ではかなり重要なものであり、国のトップに立つ者は勿論、平民までその教えを乞うのだ。
この国が大陸で長きに渡って続いた大陸統一大戦を乗り越え中立国でいられたのは、言わずもがな、この世界の純正なオアシスであったからだ。
そのバイスに帝国ギルロードから、同盟関係の提案とは。
確かにこれは貴族さまが深刻な顔で平民に語りかけるのも理解できる内容だ。下手をすればまた戦争になる。それも今度は表の大陸も巻き込んだ世界大戦だ。
「我々は天地が翻っても、公に帝国と同盟を組むことは出来ない」
それはそうだ。帝国にはバイスとは比べものにならない戦力がある。皇帝は星の導きを重んじるタイプではないようなので断れば攻め込まれるだろうし、飲めば他国からの目が恐ろしい。
「帝国はこちらが下手に断れないことをわかっていて、同盟が組めないならばと違う条件を出してきたのだ」
もう一人の使者が怒りを秘めた瞳で続ける。
「教皇様の御才女であらせられるリナーシェ様を嫁がせろと言ってきた」
それもとんでもない事だ。
何故こんな恐ろしい話を自分が聞かされているのか、まだ先が見えずに私はゴクリと喉を鳴らした。
「勿論、教皇様がリナーシェ様を帝国に渡すようなことはしたくない。
そこで引き合いに出されたのが、君なんだ。エレン・ウォーカー」
「……え?」
物騒な話の流れで自分の名前を呼ばれた。
この時の私は、とても間抜けな顔をしていただろう。
この国の生まれでもない下賤な庶民が、リナーシェ様の引き合いに出されるなど、夢にも思わなかったのだ。正直なところ、私は聞き間違えかと本気で疑った。
我に返り、私が異議を唱えようとするのを察知したハロルドさんがすかさず言った。
「エレン。君は自己評価が低過ぎる。魔導書の解読が出来る人材が、どれだけ貴重なものかちゃんと分かっているか? 君の存在が明らかになれば、世界中が君を欲しがるだろう」
私はびくりと肩を震わせる。
魔力が乏しかったことと、大陸統一大戦に巻き込まれたことから、魔法を攻略するために発動時に現れる魔法陣や呪文を解読して、相手がどんな魔法を使うのかを見極めて生活していた。
それは私にとって、摩訶不思議なこの世界を怖がらずに歩んで行くために必要なひとつのツールでしか無く、「魔導書解読士」の仕事に当たるものだと知ったのはここ数年であった。
勿論、ババ様の教えからして、解読士がどんな仕事なのかを理解していないわけではなかったので、自分が解読した魔法が、決して良いことだけに使われるのではないことを常に念頭に置いていた。
私が中立国であるバイスで解読士になったのは、もっと使用できる治癒の魔法を増やしたかったことがきっかけ。
バイスは星教の中心地。
人々を守り、癒す力を正しく拡めるためには、打ってつけの場所だと考えた私は、次々と新たな魔法を世に送り出したのだ。
それがこうして帝国に目をつけられることになっているとは、思わぬ誤算。
できることならば、私はバイスで解読を進めて行きたかった。
「……だから、この国の生まれでもなく存在も朧げな私が帝国に渡ると」
ハロルドさんたちは私の呟きに押し黙った。
心を落ち着かせようと、私は冷めかけたお茶に口をつける。
自分が行けば、帝国とバイスは水面下でのやり取りを行っただけで、他国から気がつかれることはない。帝国もそれで取り敢えずは満足してくれるようなので、バイスは大きな山を乗り越えたことになる。世界の平穏が守られるのだ。
そこまで考えて、カップをソーサーに置いてふぅと息をつくと彼らを見上げた。
「私の身の安全と、健康で文化的な生活は保証されますかね?」
どう転んでも、私は帝国に行くより他なかった。今の自分には一応生かされる価値があるし、帝国も話はできる相手だろうから何とかなるはず。
母国を滅ぼされて敵国の捕虜になった経験以上に辛いことはそうないだろうから、私は海を渡ることにしたんだ。
どんな扱いを受けるかとビクビクしながら帝国の城に上がったというのに、そこには死んでしまったと思っていた君がいるものだから、人生とは全くわからないものだ。
この出来事のおかげで私はまた君に会えたんだ。
あまり好きな言葉ではないのだけれど、この時ばかりは「運命」を感じずにはいられなかった。星の導きも、捨てたものではないみたい。
だからね。
星の導きが、私と君を再び出会わせてくれたというのなら。
きっといつかあなたが過去を思い出してくれる日が来るんじゃないかと、心のどこかで運命という言葉にすがっていたんだ。
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